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被爆者の生の声が聞かれます

右脳俳句で自分史作り

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2009年1月12日 (月)

今日の俳句・雪

今日の俳句・雪

雪の朝二の字二の字の下駄のあと  田 捨女

この句は子供が作った句として誰でも一度は聞いたことがあっても、作者までは知らないでしょう。私も俳諧を勉強するようになってやっと分かりました。

田 捨女(でん すてじょ)は、芭蕉より10年早く生まれ芭蕉の数年後に亡くなりました。
当時では著名な女流俳人だったようです。『続近世畸人伝』に「幼より風流の志あり。六歳の時」としてこの句があげられているそうです。しかし存命中に書かれた自筆句集の中には見あたらない所から、真偽の程は分からないという説もあるそうである。

たとえ6才の少女の作ではなくても、何か清々し感じがしてとても良い句だとおもいます。
長崎でも10日は久しぶりに1センチほど雪が積もりました。早起きの人には下駄ではなくても、

雪の朝蛇行しているわだちかな

雪の朝小股小股の靴のあと  

のような情景が見られたかも知れないですね。

当ブログは 1/13-25 まで投稿できません。
下記では投稿をしていますのでよろしかったらどうぞ。
http://saigokusanjin.cocolog-nifty.com/blog/

蝋梅

2009年1月 7日 (水)

羊水塞栓症(ようすいそくせんしょう)?

31日に男の子を出産した娘、一時母子共に危なかったという知らせがあり、何かの感染症に罹っていると聞かされてはいたけど、5日、ICUから一般病棟に移り、6日に主治医から説明があったと娘から電話があった。病名はインフルエンザとは全く関係がなく「家庭医学大全科」にも乗っていない「羊水塞栓症(羊水は母体のものと思っていたが実際は胎児のものであり、その羊水が分娩中の母体の血液に入ると、希にアレルギー症状を起こすのが原因らしい)」ではないかと言う話である。グーグルで検索した所、数万例に一人という珍しい難病、奇病で、致死率80%、つまり10人の内8人は死ぬという難病。分娩中か分娩後に発症するから事前に発症を予測することは不可能と書いてある。主治医の説明では「どうして助かったのかが分からない、奇跡です」と言われたそうだ。教授会でも討議され、これは「羊水塞栓症」の疑い大と診断され、この病気を研究している H 医科大の教授に全データを紹介したいと言われ勿論承諾したということだった。医者がどうして助かったか分からないというのだから、娘の自然治癒力が異常に強かったという以外無いのだが、病気のベテランと言われている私も検索記事を読んで腰が抜けそうになりました。この娘は私が心臓バイパス手術をする時に「お父さんは強運の持ち主だし、何かに守られているから私は心配しないからね」と言ってくれたのだが、多分この娘も何かに守られていたのだろう。妻はすぐにお墓参りに行き、私も今週中に行くつもりでいる。助けてくれるのなら、私の両親しかいないから。
娘は土曜か日曜には退院できそうである。まだ元気がない赤ん坊もミルクを飲めるようになったし、毎日見ている看護師の話では、多分大丈夫(脳に障害はない)と言っているそうだ。しかしまだ当分は保育器の中らしい。あと精密検査をパスすると、「終わりよければすべてよし」となるのだが?
今度ばかりは寿命が縮まった気がします。

2009年1月 4日 (日)

年賀状

亡き師より賀状来て居り達筆な  山人  

宛名書きも文章も全て筆で書かれている師の賀状、12月19日に亡くなったので12月早々に書かれたものでしょう。俳句に衰えが無かったように、筆にも衰えがありません。貴重な形見になりました。


今朝よりは生命あるかに初暦  蕉露

師の句です。年が改まると暦はこの日あの日の予定が組まれ生きてきます。初暦が効いています。

大晦日に生まれた5人目の孫、心肺停止で生まれ、脳症の疑いで未だ保育器の中です。
元日には「痙攣が起きたら危ないです」と言われていたそうだが、三日には酸素チューブがとれ、自呼吸ができるようにはなったものの、ぐったりとしてまだ元気がないそうです。二日に子供と対面でき嬉しそうにしていたという娘も、三日は、歩いて子供に会いに行けるようになり、感染症の治療があるものの、平熱に戻ったし二三日の内に一般病棟へ戻れるだろうという話である。どうやら最悪の事態だけは免れたようでやれやれである。


保育器をけふ出でし児に日脚のぶ  下村ひろし

(父とも知人であり、私の長女も取り上げていただいた、長崎

では著名な産婦人科医であり、また著名な俳人でもあった方

でした)

我が孫にも一日でも早くこの句のようにありたいものである。

今回は大学病院に入院していても胸のつぶれる思いをしたのだが、産気づいて救急車でたらい回しされた妊産婦の方、その家族の方のことを思うと怒り心頭である。これはまったく政治の責任である。官僚を制御出来ない無能な大臣が続くからこのような信じられない医療行政がまかり通るのである。これを正すには選挙しかないと山人は思っている。
師から頂いた薔薇の絵

2009年1月 1日 (木)

謹賀新年

喜びも悲しみもあり去年今年

あけましておめでとうございます。
当地は雪がちらつく元旦となりました。
結婚42年目で始めて二人だけの静かな大晦日と元日を迎え、我が家の手抜き無しの雑煮を二人で有り難くいただきました。(我が家の雑煮は、あご(トビウオ)でだしを取り、餅、ブリ、鶏肉、かまぼこ、カツオ菜、大根、人参、たけのこ、里芋、しいたけという具だくさんの雑煮です)
大晦日は十一月に結婚した末娘と婿の三人で恒例の墓参りをすませ、終わって二人は雲仙市の婿の実家へ出発。当地では暮れにお墓参りをするのが常識になっています。婿は高学歴、高収入ではないけど、とても気だての良い青年で、私の大のお気に入りです。両親とも気が合い、暮れには搗きたての配餅(丸餅、鏡餅、餡餅、きなこ餅、のし餅)が婿の実家から届けられました。いいことずくめの年末となるはずがそうはいきませんでした。

1月10日が予定日だった次女が30日に産気づき31日に男の子が生まれました。母子共に健在といきたい所なのに、暮れに4才の子がインフルエンザにかかり、続けて夫まで罹り、娘も8度近く熱があるという最悪の状態の時に産気づき、超難産で生まれた子は、へその緒が首にぐるぐる巻き付いていて仮死状態、娘は40度の熱で脈が180まであがり、そのまま集中治療室へ直行、夜には熱は下がったそうですがまだ集中治療室にいるそうです。赤ん坊は蘇生はしたものの、母親の体熱で脳症の恐れがあるので、精密検査が必要と言われている状態です。まあ大学病院なのでなんとか乗り切れるとは信じてはいるのですが、まだもう大丈夫だという知らせはきていません。というわけで我が家は波乱含みの年開けとなりました。
今年もよろしくお付き合いの程お願いします。


手作りおせち



2008年12月23日 (火)

霊前にて俳句会

山人夫婦の仲人でもあり句会の主宰でもあった恩師が八九才で亡くなられました。12月句会の前日の夕方でした。
息を引き取る数時間前に明日の句会の句を書き取ってくれと付き添っていた妻に頼む程、俳句は人生の一部でもあった方でした。句は残念ながら聞き取ることが出来ず、いまは知る由もないのが残念であります。早朝に救急車で入院され夕方には亡くなられ、私がかけつけた時は二〇分前に息を引き取られていて間に合いませんでした。
師は尊厳死協会員ではありませんでしたが、担当医に自分の口から「覚悟は出来ているから、無用な延命治療は一切しないでくれ」という潔い死に様でした。
帰宅後、明日の句会は中止と句友に連絡しました。翌日の朝、奥様から電話があり、「夫の側で普通通りに句会を開いて下さい、このことが俳句を愛した夫に対する最大の供養であると自分は思うから」と言うことでした。一瞬絶句をしたものの、その通りだと思いました。そして午後〇時から、親族の方は退席していただき、喪主である夫人は投句だけされて、霊前で私の進行で追悼句会ではなく、例会という形で句会を開きました。流石全員が自分の両親を見送った人生のベテランたちである、何事もなかったように和やかに普通通りに句会は進行し一時間半ほどで句会は終了しました。

「十二月例会」

 露座仏の竝び在して草枯るる     主宰夫人

 卒寿の師赤いマフラー似合もし    路子

 寒月や終点降りし我一人       山人

 山茶花のこぼれて白き道となり    千代美

 鳴りやまぬ霧笛が包む街師走     伯水

 聴診器埃かぶりて年を越す      寂水

 時雨るるや列福式の聖男女      汀子  

 寒禽の飛び翔ちしあと山しじま    慶秋

 虚子の掛軸主なき冬座敷       智恵

 
 弔句

 水流るゝごと師は逝きて年暮るゝ   路子

 オリオンの星座を愛でし師は宇宙へ  山人

  まなざしの優し遺影や冬薔薇     洋子 

 在るがまゝ恩師は逝きし冬薔薇    千代美

 冬うらゝ古武士の如き恩師逝く    伯水

 薔薇愛でし師は逝き除夜の鐘を聞く  寂水

 整ひて淋しや主無き冬ざしき     汀子

 枯菊や色残りゐて艶もなほ      慶秋

 大き星ひとつ加はり冬銀河      智恵

 
 この夜、通夜が行われ、子供がいない八五才の夫人が淡々と病状の経過と延命治療をしなかったことなどを述べられました。翌日の本葬の時は言葉に詰まりながらも凛として謝辞を述べられ、見苦しい様だけは見せたくないという毅然とした女性の生き様を見せていただき、喪主を務めた父母の葬儀のときに出なかった涙を禁ずることが出来ませんでした。

なお式場では、主宰が「僕の葬式の時は大好きなこの曲流してくれ」と言われた「仰げば尊し」の歌が場内を包みました。


(一)
仰げば 尊し 我が師の恩
教の庭にも はや幾年
思えば いと疾し この年月
今こそ 別れめ いざさらば

(二)
互に睦し 日ごろの恩
別るる後にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば

(三)
朝夕 馴にし 学びの窓
蛍の灯火 積む白雪
忘るる 間ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば

合掌!

2008年12月18日 (木)

今日の俳句・日記買ふ


生きるべく十年日記買ふ重し  塚原 游子

日記という季語はないが「日記買う」で十二月の季語になる

主治医のR・MDによると、字を書く行為は老化防止に多いに役立つと言われます。ということは日記を書くことは最大の効果がありそうである。でも古稀を過ぎると10年はちと重たい。

三年を生きむ三年日記買ふ   鈴木 勇

ならなんとか挑戦出来そうであるが、惚け防止のため頑張って10年、やっぱり無理だから3年、さてどっちにしょうかな?

「おーい!魚が居るぞ」「どれどれ」

2008年12月14日 (日)

今日の故事ことわざ

 山人が「俳諧を読む」というメルマガを発行したときの第一号に乗せた言葉である。

「愛縁機縁、合縁奇縁」(あいえんきえん)

人と人とが互いに和合するのもしないのも、すべて因縁によるということ。特に男女、夫婦、友人などの巡り合いについていう。『日本国語大辞典』

私事であるが、妻とは見合い結婚である。見合いは父の俳句仲間であり現在山人の句会の主催である人の紹介による。話が進む中で、私の祖母(30年前に亡くなっていた)と妻の祖母(10年前に亡くなる)が親友だったことがわかった。お香仲間のリーダーだった祖母は結構口やかましく同居していた母をちびりちびりと嫁いびりをしていたそうだ。ある日、お香仲間の会合で母を「この嫁はお嬢さん育ちで全く気がきかん」と面前でけなしたとき、妻の祖母が、その場で「人前で言っていいことと悪いことがある。そういうことを人前でいうものではない」と諭したそうである。妻の祖母は十歳も年下だっただけに、祖母はかなり応えたらしく、それ以後嫁いびりは全くしなくなったそうだ。だからは母にとって妻の祖母は命の恩人とも言う人だったので母が一番乗り気であった。このような縁を無視するか大事にするかで運命は決まる。私は躊躇無くこの縁を大事にした。そしてこの結果を後悔することはない。恋人同士、夫婦、友人との愛縁機縁が良縁なのか、悪縁なのか、無縁?なのか、冬の夜のひとときに思いを巡らすのも一興だと思うが如何であろう。

長崎寺町の晧臺寺(こうたいじ)

2008年12月10日 (水)

今日の俳句

ボーナスと縁がなくなり10年が過ぎましたが、子供たちがいくら貰うのかちょっぴり気になる今日この頃です。


 無駄遣い少し許してボーナス日  本田 洋子


少しがいいですね。庶民ですら無駄遣いをなくそうと努力しているのに、国が2兆円の定額給付金という壮大な無駄遣いするのだからたまりません。こんな馬鹿なことは止めて本当に困っているところへ使うのが筋である。と思うがすでに「レイムダック」となっている麻生内閣にとっては馬耳東風のようである。

中島川の鯉


冬の長崎港

2008年12月 8日 (月)

今日の俳句

12月8日 太平洋戦争開戦記念日

1941年12月8日、この時山人4歳の時であるが、朝起きると母が不安そうな顔で「戦争が始まったよ」と言ったのを忘れることがない。母の顔から何か良くないことが始まったという感じをよく覚えています。


 熱燗や反戦を説く地下酒場  尾関 乱舌


 季題・熱燗(冬)、鰭(ひれ)酒、寝酒、玉子酒、生姜酒、霰(あられ)酒、年中飲まれるが
皆冬の季題となっています。

地下酒場だけでなく、麻生総理が毎晩行くという一流ホテルの高級バーでも反戦が話題に
なって欲しいですね。無理無理!

銀杏落葉

2008年12月 4日 (木)

ボウリング例会

ボウリング十一月例会

山人は風邪など引いたことがないのに、例会の三日前から咳が止まらず最悪のコンディションだったが、無欲で力まず投げたのが良かったのかまずまずの成績であった。しかし1ピン残りを5回もミスしたがこれは風邪のせいだと思った

     1G 2G 3G 4G 計 HD 合 AV HG

1 とし、203,173,195,173,744, 64,808,180,216
(普通)

2 じん、176,158,139,151,624,176,800,145,204
   (風邪気味にしては上出来)

3 なお、102,133, 96,135,466,288,754,109,155
   ( 上昇気流発生)

4♀けい、 86, 76,104, 83,349,404,753, 75,124
   (まだまだ)

5 やま、144,171,150,140,605,144,749,154,218
   (アベレージ通り)

6 やす、111,110,141,170,532,208,740,135,188
   (相変わらず大波小波)

7♀ゆき、149,157,125,148,579,156,735,150,212
   (アベレージ維持)

8 しげ、 195,158,132,152,637, 80,717,168,222
   (竜頭蛇尾)

9♀みち、100,112,122,112,446,264,710,116,171
   (練習ではよかったのに)

10 さだ、 38,135,135,126,434,140,574,132,233
 (退院5日目だからしょうがない)

例会前に練習に行くと、山人よりどう見ても年上のグループ、15名ぐらいが「わいわい」と試合をしている。山人より遙かにレベルが上である。聞けば毎週例会を開いていて、全員70才以上、80代も2人いるとか、ハンデイが20〜30だったから、アベレージは160〜175ぐらい、我らが例会では山人が最年長だがまだまだ頑張らねばと思った次第であります。

観光客が「おー眼鏡だ」と喜んでいました


うむちとでかいな


黄色いトンネル

2008年12月 1日 (月)

今日の俳句

 いよいよ十二月、月日が飛ぶように過ぎて行く。悠々自適の生活だと云うのにどうして歳月はこう慌ただしく過ぎていくのでしょう。多分アホな政治家や官僚共が馬鹿なことばかりやっているからそう思うのかも知れませんね。


主婦の座に定年欲しき十二月  塙 きく


主婦の座を楽しむ心境になりましょう。

雲仙市
富津

2008年11月29日 (土)

今日の名言

祖先の時代の世の中はよかった。

なんとなれば信じる心、正しい心、それに愛する心があったからだ。

それに信仰心もあったが、いまやその欠片もない。

世はことごとく変わってしまった。そしてその色艶も失われてしまった。

今後この世は決して祖先の人々の時のようにはならないであろう。

ノアの頃、そしてアブラハムの頃、

また神をおおいに愛でたダビデの頃、

世の中は良かった。このような価値ある世は二度と来ないであろう。

この世は年老い、衰弱し、すべてが滅亡に向かっている。

この世は悪へと向かい、良きものはことごとく廃れていく。

『聖アレクシ伝』1-10行

私のメルマガで二度も取り上げた名言である。
11世紀の中頃に流布した聖者伝の一節であるが、今のこの世に於いても心に迫って来るものがある。ノアの頃、ダビデの頃がはたしていい世であったかどうかは分からないが、いつの世でも語り続けられる名文である。いや時代が進に従って、この言葉はより重みを増してくるだろう。
話は変わるが、何度でもいう。地球は生きている星である。人類が地球環境を破壊し続ける限り、地球の怒りは増していく。そしてその怒りがある頂点達したとき、人類はまた、ノアの時代に戻るのかもしれない。

中島川沿い


銀杏黄葉

2008年11月26日 (水)

十一月句会

十一月の兼題は「小春」でした。

何もせぬことが楽しき小春縁  蕉露

憩い石すでに人ゐて小春苑   田子

通院も小春日なれば気も軽し  路子

嫁ぐ娘と母針仕事小春縁    山人

小春日の暮れゆく空に月円し  洋子

光あふ雑木林の小春かな    千代美

眼鏡橋渡る芸子衆小春かな   伯水  芸子衆(げいこし)

白き帆の海が絵となる小春かな 寂水

小春日や初顔の猫庭よぎる   汀子

暮れてなほ普請の音や日短   慶秋  日短(ひいみぢか)

句会雑談

「K」さんは毎月東京から出席されます。いつもはショルダーバッグなのに今月は大きなキャリーバッグ。「空港はエスカレーターがあるから楽ですね」と誰かがいうと「とんでもない。下りのエスカレターはありませんよ。こんな空港は見たことない」と長崎出身にしては厳しい言葉である。確かに車椅子の人とか、お年寄り、足が悪い障害者の方には、エスカレーターがないと大変である。山登りでも怪我するのはほとんど下りの時である。要するに障害者は家に居てうろちょろするなということらしい。

今年の正月、娘家族と「JR」で「ハウステンボス」へ行ったのだが、土曜日の午後なのに、「ハウステンボス」駅で降りたのは我々家族だけ、すぐ理由が分かった。娘が「何でエスカレーターがないのよ」と怒った。見上げるような高い階段。翌日東京へ帰るから両手に荷物、それに幼子。駅の階段を登れば水路をまたいで立派な橋が架かっている。アンバランスの極致である。要するに「JR」は身軽で、健康な人が利用する乗り物だから、老人や障害者の為に金など掛けられるかということのようだ。そうして赤字になることはわかりきっている「長崎新幹線」に数千億の金をつぎ込むのである。

私の姉は、膠原病で膝から下を切断したのち、車椅子で娘一家とハワイ旅行をしたのだが、ハワイの人たちは親切で、まったく不便を感じなかったと言っていました。その後、法事で長崎へ来たとき、ホテルへ付き添って行ったものの、タクシーの乗り降りから全てに於いておおごとでした。十数年前の話だが、情況はほとんど変わっていない。自分が弱者になって、経済大国日本がいかに弱者に冷たい国かがよく分かるのである。大富豪で、通学は高級外車で送り迎え、愛読書はマンガという政治家が総理になる国である。弱者の気持なんて分かるはずがないよね。

初冬の長崎港

2008年11月22日 (土)

今日の名言

11月22日は「いい夫婦の日」、『1988年通産省(現在の経済産業省)と余暇開発センター(現在の自由時間デザイン協会)が、語呂合わせから提唱した』
というわけで、当日は「婚姻届」を提出するカップルが多く、毎年行列が出来るそうである。


「生活の深化と成長のためには、同じ夫と妻が死ぬまで幾度か結婚し直さなければならない」

野上弥生子(1885-1985)、大分県生まれの作家。著作に「海神丸」「真知子」「迷路」「秀吉と利休」などがある。

 正に名言。結婚にはバラ色の夢と共に、またこのような覚悟が必要だと思う。


最近の披露宴で見かけるウエルカムドッグ


初冬の長崎港

2008年11月20日 (木)

今日の俳句

日本列島に寒気が流れ込み全国的に冷え込みました。
長崎も最高気温が11度と真冬並みの寒さです。


風呂吹にとろりと味噌の流れけり 松瀬 青々


風呂吹(ふうふう吹くところからという風呂吹、輪切りにした大根や蕪をゆでて熱いうちに、味噌を付けて食べる。低カローリーで旨い。今夜などもってこいの料理ですね。

初冬の眼鏡橋

2008年11月12日 (水)

雲仙へ紅葉狩

仁田峠駐車場


9日、友人で山人の主治医でもある R・MD に誘われ雲仙へ紅葉狩りと洒落込んだ。
あいにくの曇り空、小浜からの登山道路は霧がかっていたが、温泉街に入ると霧も晴れてくる。仁田峠への循環道路は「駐車場へは2時間待ち」の標識あるも、ものともせず一路仁田峠へ、正午過ぎでピークを過ぎていたのか40分ぐらいで駐車場へ辿り着く。ロープウェイには乗らず、普賢岳への登山道をぶらりぶらりと紅葉狩りをする。

R・MDは三脚を担ぎ、「ニコンD70」にF2.8 の200ミリ望遠レンズを付け、素人が見たら、プロのカメラマン? 途中であった小学生から、「おじさん明日の新聞に載せると?」と質問受ける。「そうだよ、楽しみにしてな」とか言わないところが、素人である。普賢岳、妙見岳の登山口の手前まで逍遙する。定年後登山を始める人が多いそうだが、防寒完全装備の同年配の元気なグループが山から陸続と下りてくる。ラフな格好をしていたので、同じ仲間と見たのかみんな声をかけてくれる。会社時代は登山部長をしていたのにと、感慨無量、叶わぬ望みだがもう一度山に登りたい。
山人のカメラは、古稀のお祝いに R・MDから頂いた「ニコンD40」、600万画素だが軽くてとても使いやすい。一眼レフが欲しいと思っている方にはお勧めである。200枚近く撮って店仕舞い。帰りは「六兵衛うどん定食」までおごってもらって5時頃帰宅する。

さてブログ題名に恐れ多くも「つれづれ草」なる題名を拝借しているゆえに、兼好法師の「徒然草」を時折繙いているが、その第百十七段こうある。
 
 よき友三つあり。

一つには、物くるゝ友。
二つには、医者(くすし)。
三つには、智恵ある友。

正に理想の友であるが、山人にとってR・MDは一、二は該当している。三つめの智恵あるというところは、名もなく、貧しく、チビデブ老人の山人を友人扱いしてくれる所がはたして智恵あるかどうか評価が分かれところである。が山人にとっては「福の神」、老いてなお美しい母上、美人の奥さん共々家族ぐるみのお付き合いをさせていただいている。
持つべきものは良き友である。







まゆみ








対岸は熊本県宇土半島



2008年11月 7日 (金)

立冬

あたゝかく冬に入りたることうれし 三澤 久子

七日から立冬。暦の上ではこの日から冬に入る。陽暦では11月までが秋であるが俳句の世界では7日から冬である。
室温が22度あり、寒さに極端に弱い山人としては有り難い冬入りとなった。

さて世界経済はアメリカから流れ込んだ寒気団のために極寒の世界にある。そして雲仙市「小浜温泉」街が総力を挙げて応援していたアメリカ初の黒人大統領オバマさんが、春の訪れのように来年から登場する。しかしニューヨーク株式も、東京株価も上がる気配がない。ウォール街でのインタビューでもまだ一年はこの不景気は続くという話であった。
ゆえにこの寒気団は当分居座りそうな情勢にある。一方選挙管理内閣として誕生したと思われた麻生内閣は、この寒風を神風の如く受け止め、権力維持につとめている。  支持率50%位の時に総選挙を行えば、あるいは過半数は維持できたかも知れないのに、このままでは自民党にとって歴史的大敗を起こす可能性が強まるばかりであろう。
オバマ大統領は世界では春の兆しでも、アメリカ大統領史上、最悪最低というレッテルを貼られてもおかしくないブッシュ大統領と一心同体のごとく支え合ってきた自民党にとって、逆風にこそなれ、追い風にはならないだろう。寒さが応える山人としては、一日でも早く日本にも春が訪れて欲しいと願うばかりである。

雲仙市富津



2008年11月 3日 (月)

熊本城



「熊本城」

爺婆の町内旅行や秋惜しむ

二年に一度の町内旅行、今回は新たに本丸御殿が修復された「熊本城」だった。町内会の「会計」担当なので必ず参加することにしている。旅行はガイド付きの大型貸し切りバス、費用は一人あたり7千円弱。参加費は千円だから行かなきゃ損と思うが、参加人員は毎年40名から50名ぐらい。町内会費が年2千円なので、赤字にならなくて丁度良い人数である。

熊本へは高速道路を通っていくが、年寄りが多いから休憩時間が必須。だから3時間近くかかる。ガイドさんには悪いが道中は「ipod」で楽しませてもらった。昼食は「菊水の里」で豪華な蒸し料理、昼飯が楽しみという人も多い。

熊本城は日本三大名城(名古屋城、大阪城)の一つと言われるが、とにかく大きい。周囲5,3km、バスの駐車場から天守閣まで10分かかる。足の悪い人は大変である。大きなバッジを付け、ガイドが旗を持って案内してくれるが、人がうじゃうじゃしているし、迷い子になりそうで、落ち着いて見ることが出来なかった。本丸御殿は土足厳禁なので、見学が終り靴を履いていると、カメラが肩から滑り落ち「ガシャン」、「ドジ間抜け!」レンズ側でなかったのが幸いだったが、1Gのメモリカードが「フォーマットされていません」と表示が出るようになり、結局撮った写真が全てお釈迦になってしまった。カメラが壊れなかっただけでもよしとする。観光時間は2時間あったのに、集合時間の30分前に、やっとこさでバスにたどり着く。後は姉が近くに住んでいるので何度か行った「水前寺公園」へ寄り帰路についた。朝8時半出発、夜7時着、年齢60才を越える人たちが大半の中で事故無く終わったのは何よりだった。

本丸御殿と「銀杏城のいわれとなった銀杏の樹


天守閣より


水前寺公園


iPodシャッフル、この中に200曲以上入っている、すごかー!

2008年10月30日 (木)

10月ボウリング例会

老人が多いせいか腰痛、メニエール病とかで欠席が多かった。

     1G 2G 3G 4G 計 HD 合 AV HG

1 しげ、177,203,159,210,743, 92,835,169,222
(多分ベスト)

2 たか、150,146,158,168,622,180,802,145,191
   (上り調子)

3 たけ、187,168,157,179,691,100,791,169,217
   ( アベレージ通り)

4♀ひろ、151,147,135,140,573,212,785,134,180
   (調子が上向き)

5 やま、144,164,140,171,619,144,762,155,218
   (アベレージ通り)

6 とし、161,180,189,162,692, 64,756,179,216
   (調子悪し)

7 じん、113,168,141,149,571,176,747,144,204
   (113が痛かった)

8♀みち、137,121, 92,121,471,264,735,117,171
   (練習の成果が出ない)

9♀けい、 65, 87, 78, 81,311,408,719, 73,124
    (初心者にカムバック)

10 やす、118,133,118,142,511,204,715,135,188
  (乱高下が激しい)

11 なお、 78, 89,121,105,393,288,681,108,155
    (練習不足)

 迷走気味だったWBCの監督が決まった。山人は日本一を獲得したことが条件の一つだと
思っていたから、原監督でもいいと思うが、あのメンバーでのあの成績では監督として
?マークが付くと思う。山人としては、ボビーか野村監督にやって欲しかったのだが?
 山人が選ぶベストメンバー
 捕手(城島)、一塁(内川or新井)、二塁(松井)、三塁(岩村)、遊撃(川崎)、左翼(松井)、中堅(福留)、右翼(イチロー)、このメンバーなら韓国には負けない。
 
 フィリーズVSレイズのワールドシリーズを BS で楽しむ。どちらのファンでもないが第5戦まで楽しむことが出来た。伊東勲氏の解説も的確で分かりやすかった。日本人選手がMBLでプレーしたいと思うのはよく理解できる。日本プロ野球機構を根本的に改めない限り、日本人選手の海外流失に歯止めはかからないだろう。

野草でもきれい

2008年10月21日 (火)

10月句会

俳句の四季は陰暦に基づいている。だから春は立春から立夏、夏は立夏から立秋、秋は立秋から立冬、冬は立冬から立春であるから、俳句の四季は陽暦よりおよそ一ヶ月近く早く始まる。
もう俳句を始めて20年になるので、この感覚が身にしみ込んでいるが、異常気象で、日中の気温が27、28度近くあればこの感覚が崩れてくる。ゆえに今の季節は俳句の世界ではすでに晩秋であるが、現実ではまだ中秋であり、秋たけなわという感じである。
東北地方では紅葉の盛りかも知れないが当地ではまだまだである。
今月の兼題は「夜長」であったが、季節感が狂ったせいか、主宰からいい句が少なかったと言う講評を受けた。そのせいか選句もばらばらで高得点句が少なかった。

妻と我れ二階と下の夜長かな   蕉露

アルバムに夜長の心遊ばせて   田子

貸店舗札の目立ちて秋深む    路子

今日も又消し忘れしや夜長の灯  山人

長き夜やおもひおもひの部屋灯り 洋子

長き夜の眠れぬ夫のバッハかな  千代美

冬支度また古きもの出してをり  伯水

捨てきれぬ古き写真や秋の夜   寂水

秋の花野にあるように壺に挿し  汀子

新米といふ幸せの塩むすび    慶秋


久しぶりにMBLアメリカンリーグ優勝決定シリーズ第7戦、レッドッソクスvsレイズ戦を開始から終わりまで観戦する。緊迫した投手戦で、はらはらどきどきの連続だった。結局はレイズ監督の投手交代に迷いが無く、小刻みの継投策で2点差を守りきった。レッドソックスファンであるが、昨年最下位だったレイズに判官贔屓心が沸いていたのでよしよしであった。企業の宣伝媒体のような日本プロ野球より、MBLが遙かにおもしろい。

秋だな!

2008年10月 9日 (木)

長崎秋のチャーチル展

10日(金)〜14日(火)まで長崎秋のチャーチル展が「浜せん3階」で開催される。知人が居るので必ず行くことにしている。

所で七日、今年のノーベル物理学賞を日本人の南部、小林、益川三氏が授与されるというニュースが日本中を沸かせましたが、八日、今度はノーベル化学賞をまた日本人の下村脩博士が授与されるという発表がありました。久しぶりに明るいニューとして日本中で大きく取り上げられています。しかも下村脩さんはなんと当地の現長崎大学薬学部卒業ということで地元紙にも大大的に取り上げられ、テレビでも友人知人が何人も取材を受けられていました。

長崎は文化の発祥地で在るににもかかわらず、ノーベル賞などにはとんと縁がなかったので、何とも喜ばしい限りであります。
というところでチャーチル会に戻れば、なんとなんとチャーチル会員「O」さんのお姉さんが、下村脩氏の奥さんであることが分かり、会員一同びっくりしたと、友人の会員「Y」さんから電話がありました。
なにか遠い遠い存在のノーベル賞が「チャーチル展」を見ることで身近に感じられかも知れませんよ。地元の方は是非お出かけ下さいませ。

「Oさんの作品」


ほかの人の作品、色調が少し違います。お許し下さい。






「Yさんの作品」

2008年10月 2日 (木)

年に一度のMRI

毎年頭のMRIを撮っている。10年前に手術した下垂体腫瘍が全部取れなかったためである。腫瘍が頭の中にある内頸動脈を圧迫しているので、動脈に張り付いている部分はあえて残したといわれた。それであなたの寿命と腫瘍が大きくなるのとどちらが早いかと言われたのだが、過去十年間全く変化がなかったので、「今年変化がなかったら今後は二年に一度でいいでしょう」ということになっていた。

9月にMRIを撮ったが、初めて変化が表れ「去年より大きくなっているので又来年撮りましょう」と言われた。しかしあと10年は大丈夫だそうである。つまり10年ぐらいは治療する必要がないと言うことらしい。これで寿命と腫瘍の成長とどっちが早いかという言葉が現実味を帯びてきたことになる。といっても、良性腫瘍だから命に別状はない。
しかし手術はもう御免である。山人の場合は、朝7時半に出発して午後3時に観察室に戻ってきたから7時間ぐらいかかった。下垂体腫瘍の手術としては長く、脳腫瘍としては短い方だと思う。友達になった I さんは良性腫瘍だったが、8時に出発して夜の12時過ぎに帰ってきた。
(手術はまず腰から脊髄に針を入れて、空気を送り込み、その空気が髄液の中をぶくぶくと下垂体まで上がっていき、髄膜を持ち上げていた腫瘍が空気で髄膜と離れたことが確認出来てから、手術がスタート。まず上唇をまくり上げ、歯茎との付け根を12cmぐらいをざくりと切って、鼻を切り離し、鼻の奥の粘膜をはがして、(腫瘍を取った後で又貼り付ける)ガードしている骨に穴を開ける(これも後で何かでうめる)。そこまでを耳鼻科が担当して脳外科にバトンタッチ、骨の奥にあるトルコ鞍に穴を開け、腫瘍を削り取ると言う手術。また術後が大変、麻酔が取れてきた午後4時頃から顔面が破裂するような激痛が始まり痛み止めを2回使って、やっと激痛が治まったのが翌日の午前4時だった)

今後の治療はガンマーナイフを使うかどうかであろう。術後もガンマーナイフを使うと言われたが、片目失明の可能性が5%位有ると言われたのでこれは断った経緯がある。10年後の放射線治療の精度はさらに上がるから今度は受けても大丈夫だと思う。今まで成長しなかったのがミステリーであって、これで正常になったと言うことだろう。山人の闘病に終わりはないようである。

すかんぽ? 当地では子供の時「すいかんぼ」と言っていました。茎をかじったり茎の中にある筋で斬り合いをして遊びました。

2008年9月28日 (日)

9月ボウリング例会

暑さ寒さも彼岸までというが、彼岸明けの26日から急激に気温が下がって来ました。徐々に下がれば問題ないが、一気に4度、5度と冷えてくる。体調を壊さないようにお気をつけ下され。
会員に不幸があり常連の二人が欠席となりました。ここ数ヶ月不調だったが、やっと今年のベストが出る。NO.1、NO.2とレーンが同じだったのでフォームの修正が出来、崩れそうで崩れなかった。またバイオリズムが良かったのも一因かもしれない。

       HG、LG、 4G計、HD、合計、AV、HG
1  
 ♀ ゆき、212、157、760、184、944、151、215
(157、212、200、191は、天晴れ!HD込みだが944は会の新記録)

2  はつ、190、122、623、220、843、134、190
(ラージボールが上達するにつれボウリングも上向き)

3  じん、171、145、652、184、836、144、204
(今年のベスト、普通なら優勝のスコアなのに)

4  たか、175、146、631、184、815、143、191
(ライバルも上向き)

5  やす、156、127、575、208、783、136、188
(やっと大崩れしなくなってきた)

6  ひろ、153、124、546、216、762、133、180
(少し上向き加減)

7  とし、191、160、700、 60、760、180、216
(スプリットが多かった)

8  やま、163、131、602、140、742、155、218
(本人は調子が悪いと嘆いていた)

9  みち、164、 91、478、264、742、117、171
(落差が激しい)

10 たけ、176、144、627、 96、723、168、217
(これまたスプリットが多かった)

11 なお、126、 80、409、288、697、109、155
(逆戻り)

民主党の代表選にぶっつけた茶番劇の総裁選を経て、鳴り物入りで登場した麻生新内閣の中山国交相が早くも失言の連発で辞任。本音を言っただけだから当人は失言とは思っていないであろう。数々の失言歴がある麻生新総理であるからいずれ馬脚を現すと思っていたが、このような形で現れるとは全く「あーぁ」である。日本国民は可哀相と、どこかの国が笑っているかもである。

腹の大きいブラックモーリー(胎生魚)のつがいを買って来たら三日後に30匹近くの子供が生まれた。かわゆい!かわゆい!

2008年9月23日 (火)

九月句会

 恩返し出来ぬ人生鰯雲 山人

 妻の叔父が亡くなり世話役の妻が居ない句会となりました。
 

 草に鳴き頭上に鳴きて蟲浄土   蕉 露

 絵心と句心同じ芒道       蕉 露

 雑念の入る隙もなき虫時雨    路 子

 絵の批評手話が飛び交ふ秋画廊  路 子

 ケアハウス一つ残りし夜長の灯  山 人

 妻の居ぬ冷えた味噌汁秋の暮   山 人

 食べ方に上手下手あり秋刀魚かな 洋 子

 色々の秋の蝶来て庭たのし    洋 子

 風通ふビルの谷間の爽やかに   千代美

 露けしや小庭の闇のやはらかく  千代美

 石仏も吾も濡れたる朝の露    伯 水

 豊漁の秋刀魚焼く日の続き居り  伯 水

 虫の声若き佛の声と聞く     寂 水

 栗を蒸す匂いにつられ本を閉じ  寂 水

 たまさかの静かな家居昼の虫   汀 子

 いつとなく敬老として祝はるる  汀 子

 
 23日は彼岸の中日、妻の実家のお墓がある佐賀県多久市へ息子と娘の四人で行ってきました。現地で妻の弟一家三人と落合い計七人でお参りしました。ご先祖様たちも賑やかで喜んでくれたことでしょう。
子供たちは赤ん坊の時から、春秋の彼岸、お盆、年末と墓参りに連れて行ったので、大人になっても嫌がらずにお墓参りをしてくれます。親に似て富や地位に恵まれなくてもこれだけでも十分だと思っています。

道路沿いの曼珠沙華


赤い花なら曼珠沙華オランダ屋敷に雨が降る……


白い曼珠沙華

2008年9月19日 (金)

霊視者

これまで何回か書いた「ミステリー」は福岡在住のある霊視者と一時間ばかり親しく懇談する機会を得たことにある。その彼が本物であるか偽物であるかは現在でも分からないというのが結論である。何せ普通の人には見えないものが見えるというのだから、私には確かめようがない。でも何かを持っている人だと思うが、それが何だかはよく分からない。例えば医者と同じぐらいの医学的知識を持っている。また人の仕草や表情からその人の感情や性格まで鋭く感じ取ることができるのかもしれない。 しかしそれだけでは、10年ぐらい先のことまで予測できるのは何なのかよく分からない。彼は霊が教えてくれるというのだが霊魂ならば何でも分かるということになるが、所詮霊なんて見たことがないので、コメントしようがない。
彼は見た感じでは普通の人であり、違和感は全くなかった。例えば我が家には悪霊が憑いているので、除霊しなければならい。100万払えば除霊してやる。とか言われれば、こいつはペテン師と思うのだが、私と妻と娘を気軽に只で見てくれたし(1時間で一万円かかる)、いかがわしいところは何もなかった。そして東京にいる娘が妊娠初期で流産しかかっていたのだが、無理をしなければ無事に生まれる。そして「子供は男の子です」と断言した。当たる確率は5割だが、外れる確率も5割ある。外れれば何だ偽物ではと思われる訳だからなにも霊視能力を疑われる危険なことを断言する必要はないはずである。
前にも書いたが、本来、占い、霊能、霊視、予知能力などは、神の領域である。だからそれらで商売をするということは、神の領域を侵していることになる。ゆえに神様に見つからぬようにひっそりとその能力を使うべきだと山人は思うのである。だからかような一般人から見て理解できない能力を持つと称する人を、偽物と言い切るのは簡単である。しかし古稀となり余生を楽しむことが出来る齢になれば、科学で証明できぬものが世の中にあっても、それらを楽しむ余裕が出てくるのである(但し大枚を要求するものは要注意、多分インチキだと思うべし)。
そして今六ヶ月を過ぎた娘のおなかの子は「男の子」である。うむ、もしかして彼は本物かも知れない!

木槿

2008年9月14日 (日)

緑内障

 二年に一度、放影研(放射線影響研究所)で原爆健診を受けている。この結果は市へ送られ原爆手帳に記載される。しかし放影研本来の目的は、被爆の影響が年と共にいかなる変化を遂げて行くのかを調査研究するのが目的であろう。だから山人はサンプルの一つなのだが、妻の腎臓癌を見つけてくれたし、ためにはなっている。それで趣向を凝らしてと言うか普通の健診では受けられない検査がいろいろある。ピロリ菌の検査も胃腸内科の医師が「ピロリ菌てなんですか」と聞く位のときに検査があり、陽性反応が出ている。
今回は初めて眼圧の検査があった。ところが左が19、右が20で「これはちょっと高いですね、21以上は緑内障です。それに視野欠損もありますよ」といわれた。放影研では検査するだけで治療はしない。そこでこれは精密検査を受けねばなるまいと、何で受けたか覚えがない眼科の診察券があったので、そこへ行って精密検査をお願いした。ここで受けた眼圧は16、17と低かったが視野欠損があると言われ、精密な眼底検査の結果、右の視神経乳頭部に出血がある、この症状がある場合は緑内障と診断している、ということだった。緑内障は放置すれば視野が狭くなり、視力が落ちてきて最終的には失明する。私の場合は、緑内障と言っても視力は全く落ちていないし(遠視はあるが裸眼で左1.1、右0.6)初期であるから眼圧を下げる点眼薬を暫く続けて様子を見ましょう、ということになった。視野欠損は自分ではまったく自覚症状がないし、眼だけの健診を受けることはまずない。だからまたまた悪運に強い結果となった。
心臓バイパス手術を受けるとき、担当医から「あなたは病気のベテランだから大丈夫です」と妙な励ましを受けたことがある。それに又一つ新たな「はくが付いた」ことになった。

道ばたでまだ咲いていたひまわり

2008年9月 6日 (土)

ミステリー7

ミステリー1〜6で私の家族の災難を書きつづってきたが、ただ独り災難を免れていた私の話である。
息子が九死に一生の大事故を無事乗り越えたのち、平穏な日々が数年続きました。しかし体調は悪く「頭の中に鉛があるようだ」が口癖となり、抗うつ剤と、睡眠剤は常備薬であった。今まで一番熱中したテニスもやる気が失せてしまっていた。ある日曜の朝、目覚めると異様な世界があった。医学的に言えば複視、つまり物が全て二つに見えるのである。どんなに眼をぱちぱちさせても直らない。手探り状態で洗面所へ行き鏡を見ると、右目が白眼になっている。このとき母が亡くなった後、私も通院するようになり、今や友人として家族ぐるみの付き合いをしている主治医へすぐ妻が電話した。日曜日だったがすぐ往診に来てくれた。診察の後、「複視の原因は眼ではない、頭にある」と言われ、すぐに主治医の先輩が院長をしている病院へ入院手続きを取ってくれた。そしてこの入院は一ヶ月以上の長期になるだろうと言われた(実際は三ヶ月かかった)。翌日ドクター夫人が車で病院へ連れて行ってくれた。そして初めてのMRIを撮った。翌日、病院の担当医から、脳の下垂体に腫瘍がある、しかもかなり大きい、手術が必要と言われた。正確な病名は「下垂体線腫」良性腫瘍であると言われたのだが、脳腫瘍と言われたところで目の前が真っ暗になり、その後の記憶が途絶えてしまい、良性腫瘍という言葉は翌日になって思い出したのである。翌日から片目つぶらないと歩けないので、眼帯を付けた。眼科、耳鼻科の検査を受け、手術は札幌、東京、名古屋、福岡、熊本と、当地の病院を紹介されたが、看病する妻の健康などを考え、当地の脳神経外科で手術を受けることに決めた。ところが不思議なことが起きた。この病院には二十日ぐらい入院していたが、十日目ぐらいに眼をぱちぱちさせていると、すうとピントが合い、複視が直ったのである。複視は腫瘍が視神経を圧迫しているからであり、侵された視神経はよくなることはないので、複視は死ぬまで続くだろうと言われていたのである。物は眼で見ると思っているが違うのである。物は視神経で見るのである。だから眼球が正常でも視神経が侵されると目は見えなくなるのである。
「これはおかしい、ありえない」と言うことになり、腫瘍の形が変わったのではということで、院長から悪いがもう一度MRIを撮らせてくれと言われ、二十日間の間に二回もMRIを撮られたのである。結果は全く腫瘍に変化はなかった。後でよくMRIを見た結果、複視は腫瘍と関係がなかったといわれた。主治医は神経の専門医であるが、彼も腫瘍は動眼神経と離れている、複視と腫瘍は関係ないと断言した。
では複視はどうして発症したのか、あたかも私に「頭に腫瘍があるよ、早く手術しなさい」と教えるために現れたとしか言いようがない。親戚一同に脳腫瘍になった者など誰もいないし、「頭の中に鉛が入っているようだ」が私の口癖だったが、心の片隅にも脳に腫瘍が有るなど考えたことはなかった。毎年一泊二日の人間ドックでも脳の検査はなかったし、複視が発症しなければ、重度の後遺症が残ったかもしれないのである。執刀医から「あなたの術後経過はよすぎるぐらいによい」と言われた。腫瘍は全部取れなかったので、あなたの寿命と残した腫瘍の成長とどっちが早いかと言われたのに、十年以上経った今、腫瘍に全く変化がないと言われている。
今や抗うつ剤も、睡眠薬も飲んでいない。口癖だった頭の中の鉛もとれてすっきりしている。眼帯を付けないと歩けないような重度の複視が手術が決まると、自分の役目が終わったとばかりによくなってしまった。これが私には未だに分からぬミステリーなのである。もしや母が………


庭に咲いていた野の花、名前が分からない

2008年9月 2日 (火)

福田首相 退陣表明 所感

1日夜、福田総理の退陣会見が行われた。週末に決意したという話だが、電気シェーバーの音が「ジーニン!ジニン!」と聞こえたのかもしれない。山人としては退陣大歓迎であるが、国民にとっては無責任極まりない話であろう。政権運営に自信を喪失と有るが、最大の要因は、アメリカに行ってまで確約したインド洋での海上給油が、公明党の反対で延長が危ぶまれる状態になってきたことが最大の原因ではないか?給油延長法案が成立せず、そのときにアメリカに弁明することが出来なくなる前に、早めに投げ出したというのが本音ではないか?国民に対する責任よりも、アメリカに対する責任を果たせないから辞めるというのは双方に対して無責任な話だと思う。
昨年十一月の保守大連立構想も、テロ特措法延長に反対する小沢代表を、代表から引きずり落とす大ペテンであったことは、その後の小沢代表及び民主党の対応を見れば明らかである。真剣な連立構想なら話し合いが途切れることなどあり得なかったはずである。
唯一評価出来るのは、中国、韓国と無用の摩擦を起こさなかったことであろう。

さて次期総理は誰、が今後一番の話題になると思うが、テレビ朝日の古舘伊知郎氏は「麻生幹事長」、「小池百合子」さん、「野田聖子」さんの名が上がるのではないか?
と言っていたが、ため息が出るような素晴らしい人たちではないか。今年中に衆議院選挙が避けられない見通しになってきた中で、誰が一番選挙用の顔として有利かも総裁選の一つのポイントになるのだから、国民的人気がある?小池百合子氏もあり得ない話ではないだろう。これから暫くは経緯を見守るしかないが、昨夜から何回ため息をついたことか、止めていた「ハルシオン」を飲まなくては眠れなくなりそうである。

2008年8月29日 (金)

ボウリング8月例会

百日紅(さるすべり)が満開


夏休みも終わりに近づいたせいか、ボウリング場は家族連れで超満員、そのためレーンは油ぎれで遅いこと遅いこと、アベレージ160以上の実力者が軒並みにスコアを落とした。
一方レーンを読めないクラスが好成績という皮肉な結果になった。山人はレーンが読めるので最近のワーストとに近いスコアだった。狙いより少し左に行ってしまうのである。


       HG、LG、 4G計、HD、合計、AV、HG
1  
   やす、166、136、616、216、832、135、188
(まだむらが多いが少し向上)

2  たか、186、112、622、192、814、142、191
(我がライバルだが追いつかれた)

3  やま、188、131、635、140、775、156、218
(アベレージ通り)

4  みほ、135、113、509、244、753、124、164
(実力はもっとある)

5  みち、171、102、485、268、753、117、171
(ハイゲーム更新、フォースはあっぱれ)

6  ひろ、140、125、533、216、749、132、180
(可も無し不可も無し)

7  なお、116、104、438、292、730、110、155
(このレベルで安定してきた)

8  はつ、153、103、512、216、728、131、186
(ラージボールはめきめき上達)

9  たけ、179、135、634、 84、718、170、217
(今年のワースト)

10 とし、192、144、662、 52、714、181、216
(練習で255だすも本番でダウン)

11 じん、161、111、534、180、714、142、204
(ノーコメント)

12 しげ、162、132、592、 96、688、167、222
(今年のワースト)

13 しん、107、 69、335、296、631、104、166
(調子が出ない)


中国の国威発揚の場となった北京オリンピックが終わった。1936年のナチスドイツが国威を示す場であったベルリンオリンピックに思いをダブらせた識者も多かったようだ。
メダル獲得もアメリカを抜き、かって「眠れる獅子」と言われながら、日本を含む欧州列強に生き血を吸われて陥った瀕死の状態から、ようやくに「咆哮する獅子」までなったのだから、中国国家としては得意満面という面持ちであろう。しかしながらチベットを含む民族自決問題、政治は共産党による一党独裁政治でありながら、経済は自由主義経済に移行するという矛盾、民主化への声も高くなるだろうし、それらを力だけで押さえ込むことは国際世論の反発もあり限度がある。今後の中国に目を離すことは出来ないだろう。

2008年8月25日 (月)

八月句会

朝夕やっと涼しくなってきましたね。蝉時雨も遠くなり、
赤とんぼが舞い、虫の音も聞かれるようになりました。
初秋雑詠で皆さんチャレンジされました。

   毎日が同じ余生や秋団扇     蕉露

   秋の蝉しみじみと鳴くしみじみと 蕉露

   植木鉢枯れて喪の家秋立ちぬ   路子

   今朝秋の路傍の花も愛しくて   路子

   うたたねや新涼の風取り込みて  山人

   精霊の帰路を照らして盆の月   山人

   盆の墓世代の移る様子見し    洋子

   雨を得て樹々甦り涼新た     洋子

   かなかなや終点のバス折り返す  千代美

   野の花の一輪挿しや今朝の秋   千代美

   無人駅人影もなし花芙蓉     伯水

   秋めいて髪切る妻のさっぱりと  伯水

   一瞬の朝焼け雲を秋と読む    寂水

   庭の隅秋茄子一つ風に揺れ    寂水

   盆の月父母遠くなりにけり    汀子

   天高し大和なでしこ快挙上ぐ   汀子

   水揺らす強き日差しや新豆腐   慶秋

   靖国に法師蝉鳴く頃となり    慶秋

お盆の長崎のお墓、時刻は夜七時過ぎ、煙は花火

2008年8月21日 (木)

ミステリー6

あついわんワン


さてラストは次女の話。ミステリーとは関係ありません。
次女は整列すればいつも前から一番か二番というぐらい体は小さかったが、健康に恵まれ病気知らずの元気な子でした。
中学二年の秋、土曜の午後から腹痛が始まり夕方から9度近くの熱、体を折り曲げるような腹痛と嘔吐が始まった。大学寮でも同じ症状を見たことがあり、99%の確率で虫垂炎だと思った。すぐ近くの外科へ連れて行こうと思ったのに、念のために知り合いでもある掛かり付けの小児科医に電話したのが運の尽きだった。自宅へ帰っていたのに「診ましょう」と言ってくれたので、車で連れて行った。丁寧に診てくれて「これは虫垂炎ではない、ビールスによる腸炎であろう」という診断で痛み止めと、抗生物質を処方箋され、症状が治まらなかったら明日また診ましょうということになった。
翌日になっても腹痛は治まらず又連れて行ったが、どう診てもこれは虫垂炎ではないと言われた。月曜になっても症状が治まらないので、すぐ病院へ行くよう言って、出社した。午前中妻が連れて行ったところ、流石にこれはおかしいと思ったのか、歩いて1分ぐらいの病院へ行くように指示され、娘は妻に抱えられながら歩いて行ったそうである。そして診察した外科医は超激怒し「今まで何をしていたのだ」と怒鳴りつけたそうだ。
重度の腹膜炎の緊急手術と言う連絡が会社にあり、早退して病院へ駆けつけた。手術が終わり、執刀医の説明を受けた。完全にはじけている虫垂を見せて「汚物が腹中に飛び散っていたのを、目に見えたものは取り去ったが、多分まだ残っていると思うので、汚物がダグラス窟(か)という下腹部に溜まってきたところでもう一度手術することなるだろう」という説明を受けた。これで命だけは取り留めたということで一安心したが、まだまだであった。まず9度前後の熱が下がらないまま一週間が過ぎ、また全身麻酔による再手術があった。今度は腹膜炎ではなくダグラス窟膿瘍という病名だった。術後少しずつ元気を取り戻したが、8度前後の熱が下がらず結局退院するまで二ヶ月ぐらいかかってしまった。退院するときに、執刀医から「二度目の手術の時は本当に危なかった、よく体が耐えてくれた」と言われた。そういう説明を受けなかったので、知らぬが仏であった。
そして子供たちの中で学者だった父の血を引いた唯一の子だと思っていたのに、病後全く普通の子になってしまった。
この後、「血液検査すればすぐ分かったのに何処の医者か」と何人からも聞かれたけれど、私たち夫婦が医者の名前を漏らすことはなかった。しかし、残念ながらこの医師による謝罪は一切無かった。
数年後三女が腹痛を起こしたとき、一瞬迷ったが、親友である主治医の内科医に連れて行った。一瞬でも迷ったのが残念だった。
今でも次女には申し訳ない気持ちで一杯である。しかしこの子の試練はこれが終わりではなかった。

その後、短大卒業のあと、東京へ就職し八年ほど前結婚した。子供が出来ず大学病院で不妊治療受け始めたとき、子供が出来た。大事に大事にして週一回は電話をしていた。いよいよ八ヶ月に入り、半月後から産休に入り、当地に帰って来て産む手筈を整えていたある朝、死産したと電話があった。妻がすぐ上京し病室に行くと、家族で一番気丈だった子が「わっ」と抱きついて号泣したそうだ。千人に一人ぐらい起きる、胎児の突然死、解剖しても原因は分からないと言われたそうだ。1.8kgのきれいな男の子だった。
二年後難産の末、無事男の子が生まれた。現在四歳、朝飼っている目高を見て「これとこの目高はきょう死ぬんだよ」と当てたユニークな子である。
そして去年妊娠したという電話の後二ヶ月弱でまた流産した。
今年になって子供が出来たようだがまた流産しそうと電話があった。ハードな仕事なので仕事は絶対に駄目だと言われ、現在病欠中である。そのため流産の危機は去り、おなかの子は順調に育っている。
今まで、妹たちのことに無関心だった長男が「前向きで希望を持って生きるべし」という内容の本を妹に送り、私たち夫婦は、先祖の霊と我が「母上大明神」に今はこの子に集中して守ってくれるようにと、朝晩のお祈りを欠かさない毎日である。
そこで、最初の霊視者に戻る。彼に次女の写真を見せ、妊娠していることを告げて霊視して貰ったが、彼は無理さえしなければ「男の子」が無事生まれると断言した。三日前、おなかの子の性別が分かったのだが、霊視者の予言が当たったかどうかは、来年その子が生まれるまで秘密である。
以上が私以外に起きた家族の出来事である。

この次女が退院して一ヶ月後に父が亡くなった。そしてその年に妻の手術、次の年に母の死亡と続いた。それから長女、長男の事故があった。三女の事故から正に悪夢のような日々が続いたわけである。しかし今振り返れば、よくぞ危機一髪という危機を家族全員が無事に乗り切ることが出来たのは、何かが守ってくれたミステリーではと思っているのである。
さて家族の中でただ独り災難を免れていた私に、神は最後の試練をお与えになりました。いずれ又。


長崎のお盆はお墓で花火をするのが常識です


長崎のミルクセーキは匙で食べるのが常識です

2008年8月17日 (日)

ミステリー5


今回は我が一家をおそった神の試練のその走りとなった三女の事故。
今から25年ぐらい前、娘が二歳の頃か、妻の弟の家に行くことになり、勢いよく玄関を飛び出したと思ったら、「ぎゃー」という悲鳴が聞こえた。飛び出すと顔中血だらけ、眉間の真ん中がぱくりと割れて骨が見えている、腰が抜けそうになったが、車で5分ぐらいの病院へ駆けつけた。暫く待たされ外科の医師が来て、これは形成外科のほうが傷が残らないので暫く待ってと言って、何軒か電話したが土曜日の午後である、どこも居ない。「しょうがない、専門ではないが自分がやりましょう」ということになった。妻は見ていることが出来ないというので、私と看護婦で泣き叫ぶ娘を押さえつけて傷を縫って貰った。傷は縦に3cmぐらいだった。「女の子だから、傷が目立たないように縫いますからね」と言ってくれたものの眉間の真ん中にはっきりと目立つ傷が残った。
原因は、割れていた植木鉢に、転んで顔をぶちあてたという分けだった。しかし不幸中の幸いといえるのは、もう2cm左右どちらかにずれていたら、眼球にもろに当たったわけだから片目失明か、眼球摘出になったかもしれなかった。正に不幸中の幸いだったといえる。私の父母共に健在の時だったから、祖先の霊が助けてくれたのかもしれない。
成長するにつれて傷は薄くなり、傷をからかわれることもなく、大人になり今年中に結婚の予定である。
次は長女。
このときは私の父母はもう亡くなっていたが、友達の彼氏の車に4人同乗していたところ、暴走運転で車がひっくり返り、、5人乗っていた中で長女のみが足首から先を複雑骨折して、2ヶ月あまりの入院となった。同乗の4人は皆無事という結果だった。
幸いにも、人もはねず、激突もせず、自損のみというこれまた不幸中の幸いだった。
この娘は親離れが早く、その点さんざん苦労をさせられたが、私が頭の手術をするときはもう駄目だと思ったのか、電話で泣いてくれた。今は娘と二人暮らしをしてるが、私たち夫婦の老後は自分が面倒見ると言ってくれている。
これだけであれば、この程度の事故は珍しくもないと言えるかもしれないが、我が一家に起こった出来事の中で考えると、やはり何かミステリーを感じるのである。
次回は次女の話。

ごおやあ

2008年8月13日 (水)

ミステリー4

前回で息子の事故を私の母が守ったいう話をしましたが、次は妻と娘たちに起きた病気と事故の話です。ミステリーとはもう関係ありません。
まず妻の話
妻は20年ほど前、腎臓癌で片方の腎臓の摘出手術を受けました。もう二十年経ちましたが今や家族で一番元気です。自覚症状など全くなく健診など受けたことがなかったのに、なぜ癌が見つかったか?
私は放影研(放射線影響研究所)で二年に一度検査を受けている。放射線の影響を調べるとなっているが、目的は被爆者の事後推移の調査研究である。だから検査するだけで治療はしない。
父は「人をモルモット扱いにして馬鹿にするな」と検査を絶対に受けなかった。私は会社の健診では受けられない検査があるのでまあいいかと受けることにしていた。これが幸いしました。

20年ぐらい前予算が余っていたのか、家族健診を受けませんかと案内が来たので、健診など受けたことがなかった妻が受診することになった。そして検査予定になかった腹部エコー検査を担当の検査技師がどういう風の吹き回しか、ちょっと「受けて見ますか」と言いったので「ではお願いします」と受けたところが腎臓に異常が見つかり、一般病院での精密検査の結果、腎細胞癌と分かり、即摘出手術となった。術後、周りに転移は無かったという説明を受けたので、主治医に「早期発見だと言うことで本人に告知して下さい」と言ったところ、主治医は「これは早期発見ではない、だから告知は出来ない」と言った。
そしてまだ効くかどうかよく分からなかったインターフェロンの投与が効いたのか妻は少しずつ元気になっていきました。

三ヶ月近くの入院生活で顔見知りになった患者さんたちが、退院後次々と亡くなって行くなかで、妻だけが生き延びました。5年後に代わった主治医から癌告知をされましたが、「あなた、よくだましてくれたね」で終わりました。放影研検査技師の「受けてみますか」という気まぐれな言葉が無かったら現在の妻はあり得なかった。何があの検査技師に「受けてみませんか」と言わせたのか、私にとってこれがミステリーなのである。
妻の病気は、母が亡くなる一年前の出来事だったが、母が亡くなって手帳を見ていたら、「嫁が可哀相、私が代わってやりたい」と書いてありました。
私が脳腫瘍から退院して一ヶ月ほど自宅静養したとき、無事退院できたお礼もかねてと、今までやったことがなかった、仏壇のお花の水替えと、お水を上げることを始めました。すると妻から「お水は駄目よ、おばあちゃんはお茶を好きだったから、お茶を上げて」と言われ、やっぱり妻も母が守ってくれたのかなと思ったことでした。
次回は長女と三女の話です。

へちま

2008年8月 9日 (土)

長崎原爆の日

きょう長崎は63回目の原爆の日を迎えました。
63年前と同じ薄曇りの天気でした。
きょうは原爆犠牲者の方々への鎮魂の日であると共に、核兵器廃絶を心から訴える日でもあります。
被爆者の平均年齢は75才になり、生存する被爆者も約23万人となりました。
被爆者の一人として私もこれから何が出来るのか自分自身が問われるところです。
また世界で26000発あるという核兵器はまだ一発も廃棄されることもなく核兵器廃絶の道は遙か彼方にあります。
これは核兵器保有国の中から核廃絶の声が全く上がらないことが原因にあると思います。これには核保有国の人々が被爆の実態を全く知らないという現実があるのではないでしょうか。
これからは核兵器保有国の人々に、被爆の具体的な実態を如何に知らしめるかが、これからの核兵器廃絶運動の一つの道筋だと云えるかもしれません。
私のささやかなブログがリンクしている、被爆者の生の声が聞かれる「被爆者の声」は、英語版が完成し公開されています。今後は中国語、ロシア語、フランス語などの翻訳が目標になると思います。そしてこの「被爆者の声」がインターネットを通して世界の人たちにより多く聞かれることにより、核兵器廃絶へのささやかな希望が生まれるのではと思っている次第です。


2008年8月 6日 (水)

ミステリー3

縦にはわせてある西瓜


息子の起きたある不思議な話。
私の長男は高校時代は剣道でインターハイ優勝を本気でねらう強豪高のレギュラーになり、将来は体育教師を夢見てある体育系大学へ進学しました。四段も取ったのだが、一年の時にアキレス腱を切り、回復が思わしくなく三年で退学してしまった。家に帰ってきて、250ccのスポーツタイプの中古バイクを買い、趣味と実益を兼ねてかバイク宅配便のアルバイトをしていた。高速道を通って北九州、熊本まで行くのも日常だった。その内に私の友人の紹介である小さな個人会社に就職できた。しかしバイクの味が忘れられず日曜日にはツーリングをよく楽しんでいた。
ある日曜日の朝、会社の仕事を通じて知り合った友人と、バイクを買った店のマスターと三人でツーリングに行くと朝7時過ぎに出かけた。暫くすると近くの病院から電話があり、「息子さんが事故を起こして入院した」と連絡があった。びっくり仰天して、妻とすぐ病院へ駆けつけた。暫くすると息子が「すまん、すまん」と言いながら診察室から歩いて出てきた。命に別状はなかったと、一安心した。医師の説明では全身打撲と左腕を骨折しているので一ヶ月ぐらい入院が必要という説明を受けた。病室へ行き事故の詳細を聞いた。
息子は横断歩道の青信号から右折して軌道敷がある片道二車線の国道を直進していた。息子言うには並行車もなく、日曜の朝で車も少ないし、制限速度40kmで走るわけがない、少なくとも80kmで走っていただろうという。最初の市道との交差点が青信号だったのでスピードを落とすこともなく直進すると、軌道敷内に入ってきた右折車が突然飛び出して、目の前で急ブレーキを掛け停止した。息子も急ブレーキを掛けたため、バイクの前輪がロックし、息子はそのまま十数メートル空中滑走をして頭から滑り込むような形で道路に激突した。ヘルメットに乗用車のトランクのペイントがついていたので道路に並行する形ですっ飛んでいったようだ。そしてバイクは前輪がロックしたため一回転して後輪が車のトランクにそのままずぼっとめり込んでいたそうだ。
乗用車を運転していたのは免許取り立てのまだ二十一、二才の女性、車を買って友人三人を乗せての初ドライブだった。右折先のガソリンスタンドで給油しようと思ったのであろう。ベテランでもバイクのスピードを読み切るのは難しい。まして免許取り立てである、左だけを見て、いけると思って飛び出したところ、横断歩道に歩行者が居たためブレーキを掛けたというわけだ。目撃していたタクシーの運転手が息子は完全に死んだと思ったと警察に証言したそうだ。結果は、左腕の骨折と全身打撲、一ヶ月ちょっとの入院で後遺症もなく無事退院できた。
ヘルメットはフルフェイスの最強級のものを付けていたし(ヘルメットは割れていた)、レーシング用の肘当て、膝当てを付けていたのも幸いしたようだ。しかし冷静に考えてみると、奇跡と言う以外あり得ない幸運に恵まれたことが分かる。車がもう30cm手前で停止していたら、バイクの後輪は後部座席に飛び込み、後部座席に二人乗っていたから、一人は即死、右側の者もどうなったか分からない。息子も頭から車に激突、最悪の場合は、若い二十代の男女三人が死亡するという大惨事になる可能性があった。僅か0.0何秒の差で奇跡的に最悪の事態を免れたことになった。警察の調べではバイクにスリップの跡が無いためほぼ制限速度で走っていたと認められ、乗用車が9割非があるということになったらしい。乗用車を運転していた若い女性は、謝るでもなく、「ああ、車を買ったばかりなのに、どうしよう、どうしよう」と座り込んでつぶやいていたそうだ。

翌日仕事が終わって、息子の病室へ行くと、暫くして昨日ツーリングに行く予定だった、バイク屋のマスターが見舞いにやってきた。
しばらく雑談していたが、マスターが急に真顔になり、次のような話をした。
「A君(息子)俺、昨日の夜夢を見たとさ(見たんだ)。A君が事故を起こしたと君の家に教えに行ったら、優しそうなおばあちゃんが出てきて、あの子は私が守っているから大丈夫です。と言いなったとさ(言われた)」と言った。
これを聞いた息子が「えー」と息をのみ、身をただして、これまた真顔で、
「Sさん(バイク屋のマスター)そんげん(そんな)作り話をせんでくださいよ(しないでください)」というと、Sさんは
「なんば言うとね(何を言うのか)、俺がなんで作り話をせんばいかんとね(しないといけないのか)、俺は君の家が何処にあるかも知らん(しらない)し、君の家に誰が住んでいるかも知らんよ」と言った。
息子は暫くの間、ぽかんとして絶句、また絶句。そして「へーそうですか」で話は終わった。聞いていた私もしばらくの間、口をあんぐりと開けたままでいた。
私は息子が一歳の時に、父母と同居を始め、食事も常に一緒だった。私の母は色白で新潟美人と言われ、意地悪ばあさんでは決してなかった。
母はこのとき亡くなって三年ぐらい経っていたと思う。私の家に年寄りは父と母しか住んでいなかったので、このおばあちゃんは母以外あり得ない。つまり赤の他人の夢の中に、私の母が現れてお前の息子を守ってやったよ。と教えてくれたことになる。

一ヶ月と少し入院して無事退院した息子は、私に輪を掛けた無信心だったが(私が仏壇にお参りするようになったのは五十近くになってから)、帰ってきたその日から、壁に掛かっている祖父母の遺影に手を合わせ、祖父母の位牌がある仏壇に線香を上げ、毎日お祈りするのが日課になった。これは十五年近く経った現在も続けられている。
この後から息子は、よく当たるという占い師に見て貰った。とか福岡でよく当たる霊視者に見て貰った、という話をするようになった。ちょっと違うのではと思うのだが相談して行くわけではないので、いかんともしがたい。かようなわけがあり私が霊視者と懇談する機会を得たというわけである。
まだ続く。

ひょうたん

2008年8月 3日 (日)

ミステリー2

ペンタス


父は20年ぐらい前87歳で亡くなった。健康に恵まれ75歳まで病気らしい病気に罹ったことがなかった。そして75歳の四月のある日、黄疸が現れ安静にしていても回復することなく顔が真っ黄色になってしまった。本人は痛くもかゆくもないから入院するときは軽い気持ちで入院したが、医者の診断は、胆管の周りに出来た癌が胆管を圧迫したためであり、年内もてればという診断だった。
十数時間に及ぶ大手術で胃の三分の二、十二指腸の一部から胆嚢まで切り取る大手術だった。術前余命何ヶ月という説明だったにもかかわらず、術後の説明は意外なものだった。癌が胆管を押しつぶしたという診断だっが、実際は胆管の一番細いところに、小豆大の癌が出来ていたため、黄疸が出たということだった。医師は興奮していて、「現代医学(三十数年前)では小豆大の癌を見つけることは到底不可能である。これは学会に報告されるだろう」という話をした。この後父は癌の再発もなく十三年ほど生き伸びることが出来た。今冷静に考えれば過剰医療の最たるものといえるかもしれないが、家族としてはうまくいったと感謝するばかりであった。

術後、病棟に戻っても数日意識が戻らなかったが、徐々に意識は戻ってきた。その頃は付き添いはOKだったので、付き添いと家族の手の空いたものが泊まる日々だった。
個室が開いてなく、相部屋だったが、不便この上もない。相手も迷惑だし、父のいびきがひどく、苦情がでる始末だった。個室が開いたら是非とお願いしていた。私は、土、日休日だったので、金曜の夜はだいたい泊まることにしていた。ある金曜日の深夜に主治医から、「ちょっと来てください」と呼び出され、「今個室の患者が亡くなりました。どうしますか」と聞かれたから、二つ返事でお願いします。と申し込みをした。
翌日11時頃、個室に移ることが出来、家族一同やれやれ一安心ということになった。
そして個室に移って三日目ぐらいの夜、会社帰り病室に行くと、父が真剣な顔をして「おいこの部屋は何かおかしい。ミステリーがある。部屋を替えてくれ」と言った。
父には個室の人が亡くなったからと、言うわけがない。無事退院され部屋が開いたと言ってあった。個室の人が亡くなった夜、まだ二十代の男性が、「今父が亡くなりました」と電話をしていたので、多分亡くなった方は五十代だったと思われる。まだこの世に未練があったはずである。私は一瞬ぎょとなったが、何とかごまかして帰ったが、翌日も部屋を替わりたいという。家族総掛かりで、気のせい、気のせいで押し切った。一週間過ぎたぐらいから、ミステリーは終わったのか何も言わなくなった。今思えばミステリーの正体を聞き出せば良かったという思いがあるが、そのときはまだ本当に助かるかどうかさえ分からないときに、幽霊でもでたのかと聞ける状態ではなかった。その後父は約半年間飲み食いが出来ず、70kgの体重が38kgまで減り、気管支切開を受けるなどの闘病が続いたので、このミステリーを語る余裕は無かったし、多分忘れてしまったと思う。また私が聞くこともなかったし、聞かなくて良かったと思う。もし見知らぬ男が自分をじっと見つめていたなどと言われたら、霊の存在を信じざるを得ないではないか。結局父のミステリーはミステリーのままで終わってしまった。その後父がミステリーについて語ることは二度と無かった。これだけの話であるが、霊の存在など全く信じない人だっただけに、世の中には何か摩訶不思議ことがあるものだと思ったのである。
次回は息子に起きたある不思議な話。

2008年8月 1日 (金)

ミステリー




先だって霊視者(霊が見える人)という人と1時間ほど親しく懇談する機会を得ました。
息子がこの霊視者に自分の将来を見て貰い、なるほどという御宣託を得てのつきあいらしいが、別に特別な人という違和感は全くなかった。
まあ私が霊視者を信じる信じないは最後に述べる。
元来私は占いとか霊能者とか全く信じていなかった。それは経済学者だった父の影響が多いにある。父は私に輪をかけた霊能、占い嫌いだった。
話は逸れるが私が少年時代、葬儀社で必ず「浄めの塩」が配られた時代に、葬式から帰ってきた父に、母が当然のように塩を振りかけた時、「何をするか!葬式は不浄なものではない」と父は怒った。これ以来葬式は「不浄なものではない」という意識が染みついている。今でも霊柩車に出会うと縁起が悪いと思う人がいるが、とんでもない話である。与えられた人生の終焉を終えた人に心から敬意を表すのがエチケットである。いずれ自分自身に起きることである。葬式が縁起が悪いと思うのは自分自身を卑しめる行為である。
父は私が物心ついたときから毎朝仏壇でお経を唱えていた。しかし父の宗教観は、神仏を敬い神仏に頼らずだったと思う。神様や仏様が自分を助けてくれるのではない。自分が心を無にして仏に手を合わせることによって自分が正しい道を選ぶことが出来るという考えだった。父は自分の母が眠るお墓参りは欠かさなかったがだ、大病を患った後は、かなり急な階段を登るために転んで怪我でもしたらかえっておばあちゃんが悲しむとかいって、墓参りは一切しなくなった。こういう父だったが、私に毎朝拝むことを強要することは一切なかった。ある法事で父が「私が死ねばこの子も朝拝んでくれるのでしょうね」と法事のお坊さんと話をして居た記憶がある。現在私は朝晩必ず般若心経と舎利礼文を唱えているが、これは父が亡くなる一年ぐらい前から始めたので、まあささやかな親孝行をしたと思っている。
こんな祖父や父親に育てられた息子(一歳の時から祖父、祖母と一緒に暮らし始めた)は、占いなどに興味はなかったはずなのに、今や占いや霊視者を信じるようになってしまった。しかしそれにはある出来事があったからである。
その前に科学的根拠がないものは全く信じなかった父に起こったあるミステリーを紹介します。
次回へ続く。

2008年7月27日 (日)

花火大会


正面の女神大橋


大花火大観衆の夢が散る 游子

昨夜恒例の花火大会を見に行く。
十数年前、雲仙市小浜温泉で開催されている「九州花火師大会」をかぶりつきで見てから病み付きになる。今年は一眼レフカメラで撮ってやろうと張り切って行ったものの、
開始ぎりぎりに着いたため、カメラの設定が暗くて分からない。30枚ぐらい撮ったのに写っていたのはかろうじて一枚のみ、友人にはセミプロと言いながら恥ずかしい結果となった。来年もあると、途中で諦めて楽しむことに専念する。
目の前の海上から揚がるので、大花火は頭の上から降ってきて、何とも迫力がある。
花火を見ていると雑念が消え失せ、言うに云えない幸せな気分を味わえる。
すぐ側に黒のタンクトップを着た族っぽいカップルのツーペアが居たのだが、一人が
「ブラボー」と叫ぶと、すぐ後ろにいた70代の爺さんが「おー!いいぞ、ブラボー」と叫ぶ。カップルの女の子がひっくりがえって笑う、調子に乗った爺さんが「兄ちゃんほかになんか言い方はなかとね」と言うと、別の兄ちゃんが「グッド、グッド」と叫ぶと、また爺さんがまねして「オー!グッド、グッド」周りは爆笑の渦。世代も違う身も知らぬ同士が、一緒になって楽しみあう、これも花火の醍醐味といえるかも。
3000発だったので、20分ほどで終わったが皆満足そうに家路へと帰って行きました。

かろうじて写っていた一枚

2008年7月22日 (火)

7月俳句会」

7月俳句会
東京から毎月参加されているKさんの奥さんが今月参加されました。
兼題は、「夏服」、別に強制ではないので夏の雑詠でもOKとなっています。

 誇るでもなく夏服の胸豊か   蕉露
 手に上着もつて夏服姿成る   蕉露

 夏服の孫に抜かれし背の丈   路子
 夏の日の少年にくる変声期   路子
 
 白服に変わり思春期清々し   山人
 初蝉のか細く鳴きて仕舞いけり 山人

 麻の服皺も一つのお洒落とし  洋子
 産卵を終へし目高にやつれ見え 洋子

 衣装箱父の夏服そのまゝに   千代美
 夏衣朝茶の席に招かれて    千代美
 
 甚平を纏ひて心和みけり    伯水
 百足出で我飛び跳ねつ取り逃がす伯水
 
 自家製の胡瓜一本土産とす   寂水
 日傘さす我が女房の遠く見え  寂水

 ギンガムの夏の制服あどけなき 汀子
 恙なく一日の旅程髪洗ふ    汀子
 
 夏服や細くなりたる妻の腕   慶秋
 湖の少し寂しき花火かな    慶秋
 
 夏服の見上げてをりぬ掲示板  智恵
 夕立のそこまで来てる空の色  智恵

俳句談義

「ピイヒョロロ鳶の高音に昼寝覚」 山人

三点入りその内一点は特選句だった。特選句とは自分以外の全句の中から一番よいと思った句に二重丸を付ける。つまり今月(<一人6句出しで6句選ぶ>出席11人だったから)は、60句の中から一番よい句と思われたことになる。
しかし句歴50年を超える主宰夫妻から、「ピイヒョロロ」がだめだと言われた。まあ鳶の高値はピイヒョロロに決まっているというわけであろう。そこで作り直すと

「昼寝覚鳶の高音や頻(しき)りなる」

となる。しかしこれだと多分点は入らなかったと思う。遊び心で詠んだ句であり、昼寝覚が効いていて「ピイヒョロロ」がポイントだったから満足すべき結果だったが、
超ベテランからすれば、なんだこんな句となってしまう。俳句が難しくておもしろい所以である。




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2008年7月18日 (金)

テレビ雑感

水曜日にTBSで「食糧危機、あなたは生き残れますか?」という緊急報道特番を放送していた。途中までしか見なかったが、食糧自給率39%の実態などを詳しく具体的に検証し、番組自体はなかなかの出来だったと思う。
しかしながら、世界では餓死者が1日4万人、年間では1500万人と言われているなかで、大食いタレントに日本全国の都道府県の料理を番組内で完食させるなど、理解に苦しむ放送がされている。この手の大食いとか早食いを面白がる視聴者がいるとはいえ言語道断である。このての低級番組を止めさせることが出来るのは経営者だけである。番組は自分の会社の商品である。かような欠陥商品を野放しにしているのは、番組を全く見ていないとしか言いようがない。民放経営者の頭にあるのはただ視聴率と、売り上げだけなのであろう。売れれば商品内容に問題があっても知らぬ顔の商売と全く同じである。民放各社の本社ビルは他を圧する威容を誇っても、肝心の番組は建物の豪華さに反比例している。
CMの入れ方にしても、視聴者があってこそのCMなのに、お前らがテレビをただで見られるのは、CMのお陰である、よってまずCMを見てから見せてやろうという番組がまかり通る。多分テレビのセットインユース(テレビのスイッチが入っているかどうか)は減り、今期の民放各社の売り上げは頭打ち、先行きの見通しは暗いと言わざるを得ない。
この危機を脱するには、初心に戻り良心的な放送を心がける以外に道はないと思うが番組を見る限り、危機感など皆無である。
食糧危機は重大であるが、テレビは見なければそれですむ。地上デジタルを盛んに宣伝しているが、山人の地上デジタルテレビを見る機会は減るばかりである。




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2008年7月15日 (火)

ボウリング7月例会

六月例会の身体のバイオリズムが最低の一つ前だったので成績が悪いのはそのせいでは
思ったのだが、今月は最低のところにあった。いやな予感がしたのだが、占いとか縁起を担ぐのは大嫌いなので忘れたつもりだったのに、結果は今年のワースト。
何ともしゃくに障る結果となった。

       HG、LG、 4G計、HD、合計、AV、HG
1  
   とし、212、180、808、 64、872、183、216
(ぶっちぎりの優勝)

2  たけ、205、176、756、 96、852、173、217
(久しぶりに実力発揮)

3  たか、188、140、630、204、834、139、191
(ボールを軽くして少し上向き)

4  しげ、222、156、705、 96、801、170、222
(ハイゲーム更新)

5  ゆき、169、134、579、188、767、142、178
(三ヶ月ぶりにしてはまあまあ)

6  なお、137、 90、472、288、760、108、155
(ハウスボールでは?)

7  みほ、149、 95、510、248、758、123、164
(まだ本調子ではない)

8  ひろ, 164、101、533、224、757、132、180
(まだ体調が今一)

9  やす、151、117、532、216、748、132、188
(可もなし不可もなし)

10 まつ、186、104、547、176、723、136、186
(三ヶ月前骨折したにしては上出来)

11 みち、110、104、429、260、689、116、167
(低レベルで安定)

12 じん、136、101、501、172、673、143、204
(2ゲーム目でスプリット6回)

13 しん、106、 83、384、288、672、107、166
(気力がもう少し)

6日に梅雨明けして真夏日が続いている。例年だと梅雨明けと同時にクマゼミが一斉に鳴き出すのに、初蝉は法師蝉だった。クマゼミも一度鳴いただけで途絶えてしまった。
週末から蝉時雨が始まるのだろうが、異常気象の最中である。今夏、西日本は猛暑という予想が出ているが、またいかなる異変が起きることやら悩ましい限りである。


日田の古民家(リンクしている「古里の四季」、友人Yさんの絵画、著作権クリア済)


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2008年7月 6日 (日)

定期検診




三ヶ月に一度N病院脳神経外科へ通院している。問診とチラージンS錠という甲状腺ホルモン剤の処方箋を書いて貰う。そして半年に一度血液検査でホルモン検査をする。
今回は四月に受けたホルモン検査の結果を知らされたが、薬を飲んでだがすべてのホルモン値は正常値ということでした。また年に一度、頭のMRIを撮っている。
病名は下垂体腫瘍、良性腫瘍だから転移の心配はないが、頭のど真ん中にある。
40ぐらいから始まった頭痛、不眠、鬱、体の芯を一本抜かれたような虚脱感などの体調異変はこれ以外考えられない。早期発見であれば、2、3時間ぐらいの手術で終わり、今では易しい手術の部類に入るようだ。山人の場合は下垂体をガードするようにすぐ下にある
「トルコ鞍」が腫瘍ですり減って薄くなっていたと術後の説明を受けたが、小指の先ぐらいの下垂体が親指3本ぐらいまで大きくなっていた。
手術は視神経とか動脈が近くにある左側は残さざるをえなかった、という説明を受けた。それで腫瘍は全部とれなかったので、「あなたの寿命とまた腫瘍が大きくなるのとどっちが早いか」と冗談のように言われたものだ。かようなわけでMRIは毎年撮っている。
執刀医から「あなたは術後の経過がよすぎるぐらいにいいよ」といわれたが、幸いなことに去年のMRIの結果でも形が術後とほとんど変わっていないので、今後は二年に一度でいいかもという話になった。

 昨年までの国立病院が今年から独立法人になり少し様変わりしてきたようだ。MRIの予約は医師が書いた申し込み表を放射線科受付まで持って行き、そこで日時がきまり、またその結果を聞くために、また脳外科の予約を取っていたのが、今回は担当医がパソコンでMRIのあいている日時を調べ、すぐ予約を入れて、予約表をプリントアウトしてくれる。仕事がぐーと増えたと話されていた。問診は丁寧に話を聞いてくれるし、パソコンはブラインドタッチ、とてもいい先生です。

また外来受付はベテラン看護師の担当だったのに、今回はすべて職員に変わっていた。
これで看護師の仕事が少し楽になったのかどうかは病棟へ行っていないのでよく分からないが、願わくば、普通の人間に天使でなければ勤まらないような勤務を強要する、非人間的な勤務体制が少しでも改善されたことを祈るばかりである。夜中に勤務していた看護婦が昼も勤務しているのにびっくり仰天したが、これが正常な勤務だった。まだ20代だというのに疲れ切った顔をしている。「大変だね」というと、「私たち若い者はなんとか耐えられるけどベテランの人たちはもっと大変でしょうね」という話を入院四五日目にしたことがある。心では泣き笑いしながらも黙々と過酷な勤務を果たす看護婦たちには、ただただ頭が下がるばかりであった。私に出来たことは、婦長以下18人の看護婦と2人の補助看、計21人の名前と顔を10年以上たった現在も覚えていることである。
そして私が、健康で長生きすることこそが彼女たちの看護に報いることだと思っている。




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2008年7月 1日 (火)

唐比(からこ)蓮園

唐比蓮園、正面は普賢岳、左は島原眉山





友人のYさんからどこかドライブでもと誘われ、三年前、クラス会の帰りに寄ったところ、6月始めゆえに花は全く咲いていなかった「唐比(からこ)蓮園」へ行きましょうと言ったところ快諾してもらった。妻と友人のSさんを誘い4人で出かけた。連日の梅雨模様も薄日が射す久しぶりの梅雨晴間となった。場所は長崎から小浜・雲仙へ行く国道251号線は、右手に千々石湾眺めながらの絶好のドライブコース、途中にはラブホテルが点在し、ロマンスロードなる別名まである。
場所は愛野展望台の少し手前の右手にある。長崎には珍しい湿原でもあり、隠れた観光スポットといえるだろう。蓮はお釈迦様と縁のある花だし、泥の中から清浄な花を咲かせるのが人々から愛される所以なのかもしれない。










睡蓮






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2008年6月27日 (金)

6月ボウリング例会

六月ボウリング例会
6月22日はボーリングの日。終日1G・220円で投げられるので親子連れなので大賑わいだった。連日の雨で湿気が多いせいかピンのはじきが悪く、ストライクが出ず、ワーストを出すものが多かった。

       HG、LG、 4G計、HD、合計、AV、HG
1  みち、147、113、544、272、816、118、167
(何年ぶりかな?)

2  たか、158、141、596、212、808、136、191
(16ポンドを14におとして少し上向き)

3  やま、178、130、651、148、799、156、218
(休んでいた割にはまあまあ)

4  はつ、153、127、554、220、774、132、186
(最近ラージボールを始めた)

5  なお、142、 86、472、296、768、109、155
(また少し上向きになる)

6  とし、181、156、684、 56、740、180、216
(今年のワースト)

7  ひろ、143、110、513、220、733、130、180
(まだ体調がいまいち)

8  しげ 192、129、639、 80、719、169、212
(今年のワースト)

9  じん、162、115、546、164、710、146、204
(後でバイオリズムを見ると体が最低、多分これが原因)

10 やす、137、104、497、208、705、132、188
(先月の優勝が信じられない)

11 けい、109、 54、283、404、687、 72、124
(ラージボールはうまいのだが)

12 みほ、117、100、439、240、679、122、164
(絶不調)

ボウリングの歴史は古く5000年ほど前のエジプトの遺跡から石製のピンらしきものが発見されている。近代のボウリングは、宗教改革のマルティン・ルターが競技ルールの基礎を作ったとされている(日本大百科全書)。
また日本では1861年、6月22日、長崎大浦の外国人居留地にボウリング場が開設されたという広告が、長崎の英字新聞に掲載されたことがボウリングの日の所以である。
大日本百科全書では、長崎出島と書いてあるがこれは間違いで、大浦の外国人居留地が正解である。ボウリング場では高級ワインに酒なども提供され外国人たちの社交場になっていたようだ。

ついでに、長崎歴史文化観光検定問題集にこんな問題が出ていました。
出島で楽しまれていたもので、次のうち当てはまらないのは?
1,ボウリング、2,バドミントン、3,玉突き(ビリヤード)、4,バイオリン、
5,コーヒー。 正解は勿論 ボウリング
長崎は文化の発祥地といわれる所以でもあります。

じじいみたいだけど花も恥じらう乙女なのよ


伏せ!次は


あーら恥ずかしい!


被爆者の声を収録された伊藤明彦さんのブログ
伊藤明彦ヒロ・ナガ.com

2008年6月23日 (月)

六月俳句会

墨田の花火

今月の兼題は「茂り」でした。
草木が土が見えないくらいびっしりと生え茂っている事。
我が狭庭の草木も茂りに茂っています。
雨に濡れた緑は美しく見飽きる事がありません。

けものみちめきて小径や草茂り 蕉露

ほどほどに庭茂らせて住み古び 蕉露

庭茂る留守居の夫に変わりなく 路子

水尾残し船呑まれゆく夏霞   路子

雨続き木々の茂りて窓を打つ  山人

蓮の葉の水玉ゆらりゆらりかな 山人

茂るもの茂らせて庭なほ狭し  洋子

震災の地に梅雨入りの疎ましく 洋子

枇杷熟るる岬の茶屋の昼下がり 千代美

小雨降る庭の茂のしずかかな  千代美

廃屋や茂るばかりぞ草や木も  伯水

小窓越し螢一匹ひかりをり   伯水

木々茂り茶室の香り流れ来る  寂水

青空をバックに映えて茂る森  寂水

五月晴荷を振り分けて箒売   汀子

梅茂る隣家の窓はあのあたり  汀子

ひとすじの道は万緑へと消えて 慶秋

万緑の中を崩れし道あはれ   慶秋

短夜や今見し夢を追ふてゐし  高得点句

句会の閑話 今日は方言で話が弾みました。
「ととっと」
「その席ととっと?」「うんととっと」
(そこの席は取っているんですか。はい取っています)
「すーすーする」
「こん部屋なんかすーすーせん」「うん、すーすーすう」
(この部屋は何か冷や冷やしない。うん冷や冷やするね)
 ある人の娘さんの話
ある大都会の保育園で、子供を迎えに行き、保母さんに
娘「あのう、きょう、うちの子しかぶりませんでしたか?」
保「えー、なんですか?」
娘「あの、しかぶりですが」
保「えー?しかぶる?」
娘「あの、おしっこを」
保「ああ、お漏らしですね」
娘さんは顔が真っ赤になったいうことだが、長崎でお漏らしという人はシカトされる。
「ションベンしかぶる」は標準語と思っていた人は多かったのである。今は昔の話。

梅雨の眼鏡橋


梅雨晴間の公園

2008年6月19日 (木)

天災

火鉢に咲いた睡蓮

「天災は忘れた頃にやってくる」 科学者であり、随筆家としても著名な寺田寅彦氏の言葉だが、今や「天災は忘れぬうちにやってくる」。
また岩手・宮城大地震が起きた。被災者の方々には心からお見舞い申し上げます。

十二年前頭の手術をして以来、環境問題に目覚め、既に地球がおかしくなっているのに気付いた。「これから観測史上初めてという異常気象が頻繁に起きるよ」と友人に宣言したが、その通りになっている。山人流に言えば、地球は生きている星であるから、人類の度重なる環境破壊に対する「地球の怒り」ということになるのだが、実際はバランスが崩れた地球環境を地球が元に戻そうとする修復作用といえるのではと思う。天災は今年になってもビルマのサイクロン、中国四川省の大地震、それに今回の岩手・宮城大地震と世界規模で起きている。
アメリカのハリケーンは瞬間最大風速100mを越えるものが発生するおそれがあると予想されている。天災はエスカレートするばかりである。
十年前頃は環境問題に関するマスメディアの扱いはほとんどなかった。が今や連日紙面を賑わせている。環境破壊は地球温暖化だけではないと思うのだが、今やこれ一点に絞られている。何もやらぬよりはましであるが、実際は二酸化炭素はまだ増え続けているのが現状のようだ。今や「地球がおかしい」と考えている人はたくさんいると思うが、問題を解決する力が一番ある政治家や役人が一番無関心である。天災は一般市民が一番被害を被るのが常である。環境問題はまだ「スタートラインにあつまろうよ」と言う段階でしかない。
また、環境破壊は地球には人災以外のなにものでもない。そして地球に被害を与える最大のものが核兵器である。これは地球そのものを破壊する。しかし数万発あると言われる核兵器の一発もまだ廃棄されていない。原子炉が溶解すれば核兵器と同じ被害をもたらす原子力発電所もまだ増えている。ここは地震が絶対に起きないという前提で建てられているが、果たしてそう云えるのか疑問である。先行きは暗いが今何かを始めなければ人類に未来はない。
宇宙からみれば「地球は美しい生きている星である」と、たぶん宇宙飛行士であった人の言葉を聞いたことがある。
地球は生きている星。美しい生きている星を傷つけてはいけない。これを肝に銘じて生きていくことこそが天災から逃れる一番の近道だと山人は信じているのである。

あじさい祭りをパチリ



2008年6月 7日 (土)

小学校のクラス会



1950年、小学卒業の山人達はここ十一年、毎年一泊二日のクラス会を開いている。
30年前第一回を開いて以来だからもうツーカーの仲。
当初男5人、女3人の世話人で始めたが、男2人が死亡、男1人が病気で現在5人、年四、五回は集まって分担を決め、運営している。
山人達は四、五、六年とクラス替えがなかったので普通以上に仲が良い。
63名いた中で案内状を出すのが33名ぐらい、、連絡が取れない者15名。死亡9 (男8、女1)寡婦9人、毎年一人は寡婦になっている。圧倒的に女性優位である。クラスの9割は被爆者である事が死亡率が高いのかも知れない。今回の参加者女性8人の内6人が寡婦、「毎年必ず開いて」と意気盛んである。病気の夫の世話で来られない者も数名いる。寡婦はまだ殖えそうな情勢にある。
今年は参加者14名で、西彼杵半島西海市「大島」の大島アイランドホテルに決定。
行きは外回り、天気がよい日は五島列島が見える絶好のドライブコースだが、あいにくこの日は靄がかかり視界は良くなかった。途中には遠藤周作文学館、黒崎教会、ドロ神父の出津教会などがある。途中ドロ神父記念館に寄ると、90才のシスターが、100年以上経つというオルガン弾いてくれた。誰でも知っている賛美歌なので、歌詞を貰い全員でハモる。恩師が音楽の先生だったので、シスターから上手いと誉められる。「先生ありがとうございます」山人にとっても音楽は人生の一部になっています。
大島アイランドホテルは、大島にある大島造船所の迎賓館だったのをホテルにしたということだった。フロントが4階で客室、浴室、食堂が一二三階にあるという海辺の崖に添って建てられている。二食付きで1万6千円、高いようだが行き帰りは、無料の送迎バスを出してくれたので高くはないと思う。夕食はヒラメの活き作りに、伊勢エビの活き作り、
平戸牛のステーキ、天ぷら、等々これまでの中で、最高の料理だったと皆大満足であった。目的は観光よりお喋りが第一。昔話は語り尽くしたので、話題はこれからどう生きるかに集中する。寡婦にボーフレンドぐらい持たなくてはと説教するのがいたが、男運が悪かったのか男はもうこりごりという者が多かった。70を過ぎると、かっての社会的地位など全く問題にされなくなる。かってクラス委員で、一流商社のエリートサラリーマンが毎日ぶらぶらしているというと「それは駄目だ」と説教されている。今どう生きているかが問われる。私のように三途の川からはい上がった者が一目置かれるようになる。長生きはするものだ。人生の勝利者は健康で長生きした者だと男どもの話し合いでの結論だった。

我々の世代はほぼ自民党支持者なのだが(山人は自民党に一度も投票したことがない)後期高齢者医療制度に対する怒りははげしく、うったち(私達)前期高齢者はという言葉が何度も飛び交う。中小企業の経営者で60頃まで自民党員だった者が一番怒って「自民党は殺人党だよ」と叫いていた。眠っていても自民党入れるような人たちを怒らせて、まったく阿呆党である。田中真紀子さんが言ったように福田内閣は、自民党最後の内閣として終わりそうである。
翌日は雨の中、第二西海橋の歩道を往復して帰路についた。
翌々日、恩師は術後で、リハビリ病院で療養中だったので、幹事五人でお見舞いに行く。歩けるまで回復されていて大変喜ばれた。ほんとに私達は良い子達である。

遠藤周作文学館から出津教会が見える

西海橋

第二西海橋

第二西海橋下の歩道

2008年5月25日 (日)

五月ボウリング例会

若葉道

 昨日の雨もからりと晴れ五月晴れの良い天気となった。
小学校の運動会があったせいか人が少なくレーンが荒れて
いず、ほとんどの人がアベレージを上回る成績となる。
山人も今年では一番良い成績だった。目標のAV150は目前である。

       HG、LG、 4G計、HD、合計、AV、HG
1  やす、177、117、631、228、859、134、188
(出来すぎ?)

2  しげ、212、168、736、100、836、172、212
(実力通り)

3  とし、204、182、771、 64、835、182、216
(普通)

4  はつ、186、120、588、232、820、131、186
(故障持ちにしては上出来)

5  じん、179、139、627、172、799、148、204
(もうちょい)

6  みち、140、118、507、284、791、114、167
(まあまあ)

7  たけ、183、141、671、 96、767、169、217
(いまいち)

8  みほ、159、115、518、240、758、125、164
(調子が上向き?)

9  たか、156、121、536、216、752、133、191
(じんのライバルも腰痛でダウン)

10 しん、144、 93、459、292、751、109、166
(まだ体力が戻らない)

11 なお、116、 87、418、296、714、107、155
(壁にぶち当たる)

12 ひろ、146、110、497、216、713、131、180
(フォーム改造中?)

13 けい、 80、 62、286、404、690、 73、124
(ボールがあっていない)

先日観光客の若いカップルが、眼鏡橋付近でどうしてここは、こんなに橋が多いのかな?と不思議そうに話をしていた。
長崎の人間は長崎の石橋群で片付けて不思議に思わないが、
そう言われればその通りである。写真のような間隔で10ぐらい橋が並んでいる。しかも車が通る2橋以外は石橋である。
長崎歴史文化観光検定3級所持者であるが答える事が出来い。
うむ、2級を目指してもう一度頑張るかな。


2008年5月17日 (土)

五月句会

麦の秋


福岡県朝倉の三連水車


教会の尖塔見えて麦の波

10年前、退職記念に旅行した時、スイスからミュンヘンへの車窓から詠んだ句です。

兼題は麦がつけばなんでもよしでした。

初夏の汽笛や日本丸船出   路子

代替りしてもふる里麦の秋  路子

麦秋や三連水車回りゐず   山人

確固たる訳はなけれど五月病 山人

麦畑幼き頃のかくれんぼ   洋子

教会の鐘の音遠く明易し   洋子

丈伸ばす青麦遠く列車ゆく  千代美

万緑の山を背負ひし阿弥陀仏 千代美

野球帽見えては隠る麦の波  伯水

膝掛けの手放せぬまゝ夏来る 伯水

老妻の差し出す夕餉麦多し  寂水

鯉幟いつのまにやら一つ増え 寂水

風渡り穂波たゆたふ麦の秋  汀子

ローカルの電車一輌麦の秋  汀子

学帽の麦の穂波に見え隠れ  慶秋

逆さまに穂高うつして代田かな 慶秋

句会の閑話
(一)
Aさんの奥さん、軽い追突事故を起こす。
若い警官が「お幾つですか」と聞く。
「七十七才です」、「ああ、おばあちゃんですね」
奥さん曰く。事故はどうってことないが、この「おばあちゃん」は、許せない。と今でも怒っているそうです。
この奥様は確かにお見かけはお若いですよ。
(二)
Bさんの伯母さん。
突如具合が悪くなり倒れたため、救急車を呼び搬送中、救急隊員から、「お幾つですか」と聞かれたBさん、79才と11ヶ月近くだったので、「80才です」と言ったところ、
虫の息だった伯母さんが、Bさんの袖を引っ張り「七十九!七十九!」
救急車の中は笑いの渦。伯母様はその後無事退院されたそうです。

孫がいないお年寄りは少なくないと思います。気軽に「おじいちゃん」、「おばあちゃん」と呼びかけるのは止めにしましょうね。

川端の薔薇

2008年5月10日 (土)

ブログ開設三年目

「西国山人のつれづれ草」なるブログを開設して二年が過ぎた。
さしたる目的もなく始めたのに、閲覧者数5万、訪問者数2万を超え望外の幸せであります。
さて山人は被爆者であるから、当然ながら核兵器廃絶を心から願うものである。
ゆえに、元長崎放送記者の伊藤明彦氏が人生の全てをかけて収録された被爆者284人の証言が聞ける「被爆者の声」がインターネットに開設されていた事を知り直ちに相互リンクをお願いしました。二年前は閲覧者数2万弱だった「被爆者の声」も今や9万越えようかという勢いであるが、この数字には終わりはない。私のささやかなブログを通じて何人の人が聞いて下さったのか不明であるが、今や私がブログを続ける目標の一つになっている。
その伊藤明彦さんが今年の四月にブログを開設されました。

「伊藤明彦ヒロ・ナガ.com」http://blogs.yahoo.co.jp/ito8689

伊藤さんは私にとって、「三歩下がってその影を踏まず」 であります。
そのブログは一見堅苦しい感じを受けそうだが、実際はそうではありません。
私自身が、意外に思ったのは、今でも枕元に置いて愛読している中勘助の「銀の匙」。 これは散文であって、詩である。と常日頃思っていたのだが、
伊藤さんも、5月3日の「文学好き・詩とは わたくしの詩歌論」の中で
『ことば は、それが触発するイメージがある臨界を超えるととつぜん詩になる。
韻文か散文か、かかわりない。
そう教えたのが中 勘助「銀の匙」(岩波文庫)。
散文ですが詩です。
読むもののイメージをかきたててやまない。
臨界を超えて。』ーーー
とあり驚いた次第です。ぜひぜひ一度お立ち寄り下さい。
ブログが書けなくなったとき、またやる気が起こるのは、やはりまだ訪問者がいるということであります。今後ともよろしくお願い奉ります。

母の日へ娘からのプレゼント


2008年5月 3日 (土)

サクランボ

サクランボ

「さっきの女」より

妻が植えた桜桃が毎年実を付ける。昨年は塩害で余り実が付かなかったが、今年は例年並みに実を付けている。少し実が大きくなったなと思っている内にさっと色づいてきた。
手の届く赤くなった実を外出する度につまんで食べている。
美味しいとまではいかないが、ほんのりとした甘みがある。真っ赤に熟すとヒヨドリがやってきてあっという間に食い尽くしてしまう。
さて最近軽いぎっくり腰になり通院している整骨院から帰って来ると、桜桃の木の下にピンクの一輪車が倒されていて、側に小学3.4年ぐらいの女の子がサクランボを見上げている。私がサクランボを摘んだので、家の者と思ったのか、「サクランボがきれいですね」と敬語で話しかけてきた。
気に入ったので、「サクランボ上げようか」と言って十数個付いている小枝を折ってその子にやると「有り難うございます」と言って嬉しそうに飛んで行った。
暫くして散歩から帰ってきた妻が郵便箱に入っていた名刺のようなものを読みながら、「子どもにサクランボをやった」と言うから、「ああやったよ」というと、笑いながら名刺のようなものをくれた。それには鉛筆でこう書いてあった。
「さっきはありがとうございました。おじさんやさしい方ですね。あまかったです。 さっきの女より」
まだお世辞を言うような年ではないから、見たままを言って、おじさんといったのであろう。しかも「やさしい方」と山人の性質まで見事に捉えている。非常に嬉しくなり今もってるんるん気分が続いている。今まで見たことがない女の子だが、今度会った時は百個ぐらいやろうかと思っているのである。


さっきの女のお礼のメモ

2008年4月30日 (水)

四月ボウリング例会

ボウリング四月例会
だんだんとフォームが固まってきて大崩れしなくなり、
アベレージも146と目標の150に近づいてきた。
よしよしである。

       HG、LG、 4G計、HD、合計、AV、HG
1  やま、199、143、657、188、845、153、218
(実力はもう少し上?)

2  しげ、199、161、718、 80、798、168、199
(やっと本調子)

3  みほ、155、124、540、256、796、124、164
(スランプ脱出か)

4  じん、174、133、592、176、768、146、204
(まあこの程度はよしとしよう)

5  とし、196、154、700、 64、764、179、216
(不本意な成績)

6  はつ、128、124、502、228、730、127、177
(70代で肩肘腰が悪いにしては)

7  ひろ、147、120、514、208、722、132、180
(風邪気味で体調が今一)

8  やす、141、106、495、224、719、128、177
(むらがありすぎる)

9  けい、 94、 61、308、408、716、 73、124
(処置無し、が卓球は上手い)

10 なお、147、 81、419、292、711、107、155
(フォームを変えないと苦しい)

11 みち、127、 79、428、276、704、111、167
(練習の成果が出ない)

12 しん、110、 72、391、280、671、108、166
(悪すぎる)

天下の悪法、後期高齢者医療制度の施行に続き、一度下がったガソリンがまた上がる。
車は持っていないので関係はないがまたこれで、福田内閣の支持率は下がるであろう。
既得利権をなんとしてでも手放さないという見苦しい構図である。
庶民の気持ちなど、どこ吹く風、自公連立内閣の末路は近い。

帆船まつりは終わりましたが
海王丸のセイルドリル


帆をたたみ出した海王丸


韓国の帆船、コレアナ号と先に見えるのは日本丸

2008年4月22日 (火)

四月句会

長崎では、桜はすでに葉桜になりつつあり、今や躑躅が満開である。
四月の句会は桜、花が兼題だった。
山人は町内会の会計の仕事で大忙しで句作する暇がなく
絶不調であった、ということにしておく。

 花散るやひと群れの墓碑海へ向く  路子

 散る花にまみれ転びてゆく帽子  路子

 ハングルで写真頼まる花の道   山人

 参拝し杜を巡れば初桜      山人

 四五日は通い路桜吹雪かな    洋子

 桜蘂(しべ)降る法の庭鎮もりし  洋子

 静かさの中の静かさ夕桜     千代美

 船べりにしだるゝ桜川遊び    千代美

 廃屋を抱きたるよう山桜     伯水

 ものぐさや家に籠もりし菜種梅雨 伯水

 花吹雪首をすくめて宴に入る   寂水

 花冷の修道院の道遠し      寂水

 写メールで来る醍醐寺の花便り  汀子

 九十路花満開の誕生日      汀子

 見上ぐるも見下ろすも花吉野山  慶秋

 路地まがり路地まがり花に会ふ  慶秋

島原城門


海を向く墓

2008年4月17日 (木)

島原ドライブ

先達て島原へドライブに行った。
昨年、田平教会と平戸へドライブした友人のYさんの車で、昨年と同じメンバーの平均年齢68才の五人組である。
目的はYさん所蔵の絵を「がまだすドーム」へ寄贈することにある。霞はかかっていたが良い天気で車の窓を開けてのドライブは気持ちが良かった。

「天災は忘れた頃にやって来る」

島原は雲仙岳の麓にあたり、風光明媚、気候も穏和で、静かな城下町である。
しかし、1792年、日本では有史以来という雲仙普賢岳の大噴火があり、「眉山」の東半分が崩落して海へ流れ込み、対岸の天草、熊本には津波が押し寄せ、島原、熊本合わせて1万5千名に近い死者がでるという大惨事が起きた。この出来事は「島原大変・肥後迷惑」として語り継がれている。
それから約200年後、1991年6月3日、また普賢岳の噴火によって出来た溶岩ドームが崩落、火砕流となり市部へ押し寄せ、報道陣を含む死者43名の痛ましい犠牲者を出したことは記憶に新し出来事である。
その火砕流を記念する「がまだすドーム」で火砕流の実写フイルムを見ることが出来たが轟音と震動ですごい迫力であった。体調の悪いものは見ない方が良いかもしれない。
島原市へは全員何回も行っているのだが、島原城と、名物の具雑煮を食べ、新しい建物「雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)」で火砕流の恐ろしさを体験して、島原を後にした。去年に引き続き「Y」さんに感謝、感謝であります。又お願いしますね。これはちょっとあつかましいかな!

島原城


島原城のつつじ


平成新山(1482m)


火砕流に埋まった家


島原からすると反対側から見た普賢岳、海は千々石湾

2008年4月 6日 (日)

菊池へお墓参り

長崎は桜満開、春や春、春南方のローマンスという状態である。
先週、山人夫婦と私の主治医でもある友人夫妻と熊本にある菊池温泉に行ってきました。
5年前にも行ったのだが、友人の母方の先祖が眠っているお墓へのお参りである。
日曜日が雨の予報なのでもう夕方近くであったが、墓守の方に案内されて、歌「吾亦紅」を思わせる山深い里の丘の上にあるお墓へ行く。
五年前は心臓の手術受ける一寸前だったので、独りだけお参りできなかった。
お墓参りする時は、思考が縦型になり雑念が消え失せて、先祖達へ思いをはせる事が出来る。山人にとってお墓参りは命の洗濯になる。
お参りが終わり墓守の方の家へ行き、富有柿を薄く切って干したものをお茶菓子に頂いた。干し柿とは違った甘さでとても美味しかった。一包みお土産にまで頂いてしまった。宿泊は菊池観光ホテル。旅館の料理はどこでも似たような料理が出るのだが、土地のものを使った始めて食べる珍しい食事が出る。食後、近くにある菊池神社の夜桜を見に行く。広々として穴場である。人口3万ぐらいの市であるから土曜日だというのに人がうじゃうじゃという感じではない。夜桜を堪能したところで、ぽつりぽつりと雨が降ってくる。直ぐ引き上げて、ゆっくりと温泉に入り睡眠薬を飲んで熟睡する。環境が変わると超繊細な神経の持ち主である山人はよく眠れないのである。
翌朝は雨の中菊池神社へ行き、山鹿市にある八千代座をみて帰途についた。
久しぶりに心身ともにリフレッシュすることが出来た。持つべきは良き友である。
感謝!感謝である。

お墓へ上る途中から


道ばたに咲いていた鈴蘭水仙


菊池神社の夜桜





帰りのフェリーで、
突如かもめの大群に襲撃?される



2008年3月19日 (水)

三月ボウリング例会

満開の桜桃


近来稀にみる低レベルの例会になった。充分優勝のチャンスがあったのに凡ミス連発 。しかし大崩はしなくなったのでアベレージ150は間近、ブレーク寸前というとこかな。

       HG、LG、 4G計、HD、合計、AV、HG
1  たか、149、135、569、232、801、132、191
(腰痛がまだよくならない)

2  みち、143、 89、499、296、795、113、167
(調子は上向き)

3  たけ、197、131、666、 96、762、169、217
(本調子に近いがまだむらがある)

4  じん、175、129、585、176、761、145、204
(凡ミス四つ、歳を感じる)

5  ひろ、139、122、523、204、727、134、180
(悪いなりに安定している)

6  ゆき、146、126、541、176、717、141、178
(140をキープ、立派)

7  なお、132、 84、427、288、715、108、155
(フォームを変えないと今が限界かも)

8  はつ、129、112、487、220、707、128、177
(肩肘腰が悪いにしては)

9  とし、179、146、648、 32、680、180、216
(この成績はワーストに近い?)

10 みほ、140、 97、445、232、677、119、164
(実力はこんなものではない)

11 しん、114、 92、406、264、670、112、166
(かなり元気が出てくる)

12 やす、129、 87、450、192、642、130、188
(先月の優勝がシンジラレナーイ)

13 けい、 79、 46、241、368、609、 72、124
(素質がないのかも)


卒業、入試、合格発表のシーズンである。

携帯で感謝を述べる合格子  路子

(あ、お母さん受かったばい、一年間有り難う!)、良い子ですね。

2008年3月15日 (土)

三月俳句会

「暑さ寒さも彼岸まで」というのに当地は四月下旬の天気が続いています。

これもまた異常気象か春暑し  山人 

春暑し浮かれ薄着で風邪をひき  後月美華

浮かれすぎてもいけないですね。春風邪は長引くそうですから要注意。

兼題は「彼岸」でしたが、彼岸前でもあり皆さん苦労されたようです。


姉弟で無沙汰詫びもし彼岸かな  路子

縄跳びや春光の影踊らせて  路子

聞き慣れし経も功徳や讃仏会  山人

二本の川一筋に水温む  山人 (二本・ふたもと)

ものゝ芽の雨に動きのはじまりし  洋子

里訛り話の弾み山笑ふ  洋子

彼岸会の鐘村中に行きわたる  千代美

土の香や闇の香りや沈丁花  千代美

彼岸会の仕舞の斎に和みけり  伯水 (斎・とき)

幼子も読経に和する彼岸かな  伯水

忙しき彼岸参りの僧若し  寂水

春炬燵我が城のごと守りぬき  寂水

彼岸会や寺町通りにぎわいぬ  汀子

鳥曇頬に手をあて母のこと  汀子

どこまでも石段上る彼岸寺  慶秋

群青に光る海路や涅槃西風  慶秋(群青・ぐんじょう、涅槃西風・ねはんにし)

忘れ数珠柱にかかり彼岸寺  田鶴子(高得点句)

桃の花


水温む

2008年3月 5日 (水)

辻井伸行ピアノリサイタル




 リサイタル帰路オリオンを見上げつつ

三日、全盲のピアニスト、辻井伸行ピアノリサイタルの券を行けなくった友人から貰ったので出かけました。
小柄な体からは想像も出来ない力強いタッチは、強く烈しく、優しく繊細で大きな感動を受けました。プログラムには神童と言う言葉が載っていたので、幼児の時から特異な音感をもっていたのでしょう。とにかく譜面が全く見えず、音感だけで曲を覚えるのだから、普通の人の何倍の努力が成されたのか想像もつきません。きっと彼は頭の中にピアノのがあり、その鍵盤も叩いているのでしょうね。
そして演目が終わり、アンコールで自作の曲を二曲演奏したのですが、神田川の川沿いを歩きながら作曲したという「川のささやき」、ニューヨークに行ったとき作曲したという「ロックフェラーの天使の羽」、汚れのない純粋な魂から生まれた音楽は、正に心が洗われるような実に清々しい音楽でした。前にいた若い女性が、演目のショパンとべートーベンではただ拍手しただけだったのに、この二曲が演奏されると感動のあまりぽろぽろと涙をこぼしていました。
辻井さんは演奏家だけではなく、作曲家としても名を成すのではないかと思いました。
辻井さんの挨拶で、受付で販売されるCDの中に、この二曲も入っているということなので、どうしても欲しくなり買おうと思いました。二枚組で3000円、会場を往復するだけなので小銭入れしか持っていなかったのですが、3000円ぐらいは何とかなるだろうと思い申し込みました。が、ななんと数えてみると夫婦の所持金が3000円に満たないではないか!が、諦めるには惜しく、会場で会った知人の女性に千円を拝借して購入するという恥ずかしいことになりました。そして握手券を貰い妻はちゃっかりと握手をしてもらいました。しかしピアニストとの握手会はどうなのでしょう?感動した善意の人が力一杯手を握ったりすると指を痛める恐れがあると思うので、止めたが良いと思いました。帰って早速、朝な夕なに聞いているiPodに取り込みました。
とにかく、清く、優しく、美しく、その上、貧しく迄も実感した心に沁みいるリサイタルでした。

2008年3月 2日 (日)

プロ野球オープン戦開幕

1日、何十年かぶりにプロ野球のオープン戦、「楽天」vs「ロッテ」戦を見に行く。
風もなくぽかぽか陽気の絶好の野球日和?となる。
前日オープン戦の売れいきが良くないと聞いていたので、試合開始40分ぐらい前に行く。「イーグルス」は去年の新人王、田中まー君が投げるというのでネット裏でじっくり観戦と思いきや、時既に遅し、ネット裏はぎっしりと詰まっている。また球筋が確認できそうなところも駄目、あきらめて上の方から見下ろすことにする。
イーグルスは知らない名前が多いが、ロッテはほぼレギュラー、西岡だけ出てこなかった。ロッテの先発は成瀬、昨年の最多勝投手だけに、粘りのある投球で打たれそうでうたれない。安定感があるし今年も10勝以上はいけそうである。一方、まーくんは、やはり存在感がある。彼には二年目のジンクスは無縁のようだし、松坂二世も夢ではない。多分十年後はMLBであろう。
あとはまだ初戦だしあまり目立った選手はいなかった。押さえに出てきたロッテのシコースキーがいけそうな感じだった。
天気も良いし、一球に一喜一憂することもなくのんびりと7000人あまりの人が野球を楽しんでいた。

プロ野球には勝敗に関係なく、投げ、打つ、走るという野球の高度な技を楽しむという楽しみかたがあるのである。このような真の野球ファンをプロ野球機構はもっと大事にしなければ、プロ野球ファンは年々減っていくと思う。
日本のプロ野球は、球団名を見る限り、社会人野球である。球団を会社の宣伝媒体の一つとしか思わないオーナーばかり(広島、横浜を除く)であるから、無為無策の無能協会の大相撲とあまり変わらないと思う。だからスポーツの基本である公平、平等のルールでの運用とは無縁である。結果として、一流選手になればなるほど、野球をよく知っている高度な野球ファンのいるアメリカへと去ってゆく。当分この流れは続くであろう。

そうそう思い出した。すぐ側で、近頃中学校の野球部員が少なくなり廃部の危機にある学校が増えてきたと真の野球ファンが嘆いていましたよ!

田中まー君、速球より変化球を試していたみたい


7000人の観衆
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2008年2月25日 (月)

二月ボウリング例会

当地は梅の花が見頃です。しかし昨日今日と寒さが戻ってきました。春風邪にご注意
下さい。
    デートには行く気でをりぬ春の風邪  三村 純也 (無理は禁物)

例会の三日前に練習に行く。3ゲームのAV172だった。
例会でもこの成績が出ると優勝間違いないのだが、練習と本番では全く違う。
やはり1ゲーム崩れてしまった。しかしフォームの改造がうまくいっており
今年の目標、アベレージ150は軽いと思っている。


       HG   LG  4G計  HD  合計  AV
1  やす 168、128、609、236、845、139 
(二回目の優勝、初心に戻り、素直に投げたのが良かった)

2  しげ 188、143、677、140、817、163
(今回は実力を発揮する)

3  はつ 147、130、553、240、793、131
(肩を壊していなければもっといける)

4  ゆき 169、136、590、188、778、144
(体調が戻ってきたのか、安定してきた)

5  たか、145、111、524、240、764、127
(腰を痛めてまだ調子が出ない)

6  じん、156、114、581、176、757、145
(1ゲーム崩れなければ!)

7  みほ 133、117、511、240、751、127
(練習不足?)

8  とし 192、165、737、 12、749、190
(200出なかったのが不満)

9  たけ 192、142、664、 80、744、170
(調子は悪くない?)

10 けい 124、 57、338、392、730、 84
(少し目覚めかけてきた)

11 しん 129、109、462、256、718、117
(悲しみを乗り越えるのにまだ少しかかりそう)

12 なお 133、 84、426、276、702、109
(ちょっと一服)

13 みち 126、 84、414、284、698、107
(練習の成果が出ない)

14 ひろ 149、108、498、168、666、136
(戻ってきたボールで指を挟む、注意!)

隣家の梅

2008年2月16日 (土)

二月句会


春寒や開店遅き小商ひ  路子

娘等の歴史と共に在りし雛  路子

つくばいの水飲み戻るうかれ猫  山人

我一人一粒ずつの福は内  山人

雛(ひいな)見る人は優しき顔になり  洋子

春遅々と頬刺す風に向かひ行き  洋子

猫の恋やわらかき身のこなしかな  千代美

きさらぎの星またたくや通夜のみち  千代美

紅梅の花一色や武家屋敷  伯水

ランタンの水面にゆれて冴返る  伯水

我が庭に小さき春の宴をみし  寂水

闇雲に声を響かす猫の恋  寂水

大観の筆づかひ早春の富士  慶秋

機下はるか展がる山野春浅し  慶秋

今月の兼題は「猫の恋」でした。

「長崎は猫多き町さくらどき」 宮坂静生 さくらどきにかぎらず長崎は野良猫が多い。我が庭も春先五六匹の猫が築山で談笑している。一見微笑ましい光景に見えるが実際はそうではない。植木鉢はひっくり返すし、大体は糞尿をするためにやってくる。
何故多いか?理由ははっきりしている。野良猫に餌をやる善意の厄介者があっちこっちにいるのである。
先日の町内会でも糞尿に悩む人から何とかならないかと苦情が出たが、法律違反ではないし、当人達は非常に良いことをしているいるという意識しかないから、迂闊に注意すると逆ギレされる恐れがある。昔も野良猫はいたが、路地裏でひっそりと暮らしていたから別に迷惑とは思わなかった。今や人を恐れる野良猫は少ない。庭で石を投げると球を取ったりされる。昔は野犬狩りがあったが、今野良猫狩りでもすると動物愛護団体から抗議を受けるから役所もなにもしない。
狂猫病なる恐ろし病気でも発生しない限り、当分野良猫の天下は続きそうである。

「寝不足の一つに夜々の猫の恋」 蕉露

昼の眼鏡橋


観光通のオブジェ


中華街のランタン

2008年2月10日 (日)

長崎ランタンフェスティバル

 中国の春節祭にあわせて行われる、長崎ランタンフェスティバルは冬の風物詩としてすっかり定着したようだ。
中国の春節祭では毎年爆竹で死者がでるということだが、長崎では爆竹は鳴らないので安心である。
9日夕方、妻と娘の三人で千円のバイキングを食べてメイン会場の湊公園に行った。土曜日ということもあったが人が溢れていて、身動きも出来ない有様で、じっくりと写真を撮ることも出来ずそうそうに退散した。中国産毒入り餃子問題で客の出足が心配されたようだが、中華料理店も行列が出来ていて、街頭販売の角煮まんじゅうも飛ぶように売れていた。また「ちゃんぽんまんじゅう」という訳の分からないものまで売られていました。
長崎の中華料理を食べて食中毒にかかった話など聞いたことがないので安心して食べて大丈夫です。21日まで開催されているので一度はお出かけ下さい。
http://www.nagasaki-lantern.com/index_2.html

湊公園の鼠のオブジェ、人が多くて正面に行けなかった。





眼鏡橋


頭と尻尾が龍で体が亀という動物?

2008年2月 3日 (日)

節分

 伸べし手の闇に吸はわるる節分会 大石悦子
 
今日は節分、立春の前日を言い、暦の上では冬の終わりの日でもある。冬の節が終わり明日から春節に変わる、節を分ける日、ゆえに節分というそうである。
例年散歩道にある長崎旧街道沿いある八幡宮にお参りに行く。小さな神社だが、「諏訪神社より古い由緒ある神社」と小学校の同学年であり、知人の宮司はのたまう。境内では鬼火が焚かれ、正月の飾りものや古いお札などを焼くのが恒例となっている。毎年参拝客が増え6時半の豆撒きのときは、数百人の参拝客が集まる。豆は無理かなと思ったが、飛んできた豆を二袋見事にキャッチする。ラッキー!ラッキー!
妻は隣家の娘さんから一袋もらい、山人は、一昨年、結婚式に招待してくれた若夫婦が大村から来ていたので一袋分けてやる。
後はぜんざい食べて帰る。うむ今年は何か良いことがあるかも知れない。





2008年1月28日 (月)

ボウリング一月例会

ボウリングは山人にとって健康のバロメーターである。ラージボールは二時間ぐらいしても息が切れないが、ボウリングは「ニトロダーム」という貼り薬を常備している。
心臓バイパス手術後は、この薬を胸に張ってボウリングを始めたものだが、今ではこの薬も御役御免になりそうである。成績が今一なのは残念だが贅沢な悩みかも知れない。
とにかくボウリングが出来なくなれば山人は一巻の終りだと思っている。

一月例会成績

       HG   LG 4G計  HD  合計  ハイG
1  つる 180、154、673、180、853、180 
(3年間のブランクもなんのその、かっての女性NO1は健在だった)
2  とし 216、176、785、 52、837、216
(試合前8ゲーム投げたそうな、つるの兄ちゃん)
3  たけ 189、160、703、108、811、217
(定年後の生活に慣れたのか調子が上向き)
4  ひろ 172、132、591、200、791、180
(体調が戻ってきたのか、安定してきた)
5  じん 166、103、579、192、771、204
(3ゲームまでトップ争いをしていたのに4ゲーム目でダウン、アホ!)
6  なお 133、102、453、312、765、155
(去年アベレージ50からスタートしたので順調に伸びている)
7  ゆき 154、126、564、184、748、178
(体調は良くないのに大崩しないのは立派)
8  しん 166、102、481、256、737、166
(昨年未亡人に。悲しみを乗り越えて5年振りに復帰)
9  はつ 147、109、496、240、736、177
(肩、腰を痛めているので苦しい)
10 しげ 175、121、627、108、735、196
(試合前9ゲーム投げてへばる)
11 やす 137、106、505、224、729、188
(今を乗り切れば140は目前)
12 みち 126、96、 447、264、711、167
(練習では140は出るのに、まだレーンがよくよめない)
13 やま 155、125、567、136、703、218
(長男の高校受験が悩みの種)
14 たか 163、104、499、184、683、191
(ワーストでは?)

2008年1月23日 (水)

初句会

 今年初めての句会が発句会です。
八十代三人、七十代三人、六十代三人、五十代一人という高齢化社会の句会ですが、東京からの出席もあり、全員恙無く、めでたく新年を祝うことが出来ました。
毎年同じ小料理屋で、予算も同じなのに、去年に比べ、あれ!というぐらい料理の品数が減っていて、此処にも原油高?の影響が感じられました。

初空に矢を放つかに飛行雲     路子

子等去りて二人のくらし日脚伸ぶ  路子

古稀なれどまだ迷いをり去年今年  山人

闘病の友の賀状の途絶えけり    山人

屠蘇酌むや家伝の酒器の古びたる  洋子

お霊供はまゝごとのごと雑煮膳   洋子

夫とゐて恙なきこと去年今年    千代美

ゆっくりと黒豆煮ゆる年の暮    千代美

去年今年生かされて生き古稀迎ふ  伯水

元旦の旅籠にぎやか湯の香り    伯水

新年に齢の重みをふと思ふ     寂水

ブラジルの暑き便りの初便     寂水

七十路も心は遊ぶ降る雪に     汀子

屠蘇銚子ささげもつ娘の初々し   汀子

初鴉神杉の闇朗々と        慶秋

喉に骨刺したるままに去年今年   慶秋

蝋梅(ろうばい、唐梅とも)


梅もちらほら

2008年1月19日 (土)

終りよければすべてよし

「終りよければすべてよし」
これはシェークスピアの戯曲の題名であるが、いまや名言として通っている。
山人は日本尊厳死協会員である。十年ぐらい前、脳腫瘍で約三ヶ月の闘病が終って直ちに入会した。腫瘍は良性だったので命の危険はなかったものの、私自身は死と真摯に向き合った三ヶ月だった。術後一週間ぐらい経った夕方6時過ぎに、気分が悪くなり呼吸困難に落ち入った。担当医は頭は全く問題ないと言ったが、頭ではなく心臓が止まりそうだった。手術はうまくいったのに心臓麻痺で死ぬのは残念だと思った。死の恐怖はなかった。
側にいた妻の手を握り「有り難う」と云う以外何も考えなかった。心臓はいつ止まってもおかしくないぐらい苦しいのに臨終という状態にはならない。少し欲が出てきた。そして願わくば、優しかった私の担当看護婦に「お世話になりました。有り難う」と言いたいと思ったが、残念ながら彼女は朝から見かけなかったし夜勤でもないようだ。
ささやかな望みだと思ったが叶えられそうになかった。人生とはこんなものだと思った。三時間ほどすると少し息が楽になり、危機を脱した。
翌日、ベテラン看護婦から「昨夜はきつかったですね」と言われ、担当看護婦からは「私がいなくてごめんなさい」と言われた。『うるうる』
原因は尿崩症(私の場合は15分置きぐらいに膀胱が破裂しそうになり200cc以上の尿が出る、3回続くと看護婦がホルモン剤の注射しに来る、これで間隔が遠くなる)による体液のバランスが崩れたためだと分かった。以後数日、移動は全て車椅子というVIPになった。
今でこそ冷静に振り返る事が出来るが、その時は本当に私は死と直面していたのである。この時以来私にとって、「死」は背中合わせにいる。
退院後友人から日本尊厳死協会のことを紹介され直ぐ入会した。
一般の人でまだ尊厳死と安楽死を混同している人が多いがこれは全く違う。安楽死は極端に言えば殺人の一種であり殺人罪で起訴される場合が多い。

尊厳死声明。
「(1)私の傷病が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には、いたずらに死期を引き延ばすための延命措置はいっさいお断りいたします。(2)但しこの場合、私の苦痛を和らげる措置は最大限に実施してください。そのため麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向にかまいません。
(3)私が数ヶ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、いっさいの生命維持装置をとりやめてください。
以上、私の宣言による要望を忠実に果たして下さった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従って下さった行為一切の責任は私自身にあることを附記いたします」

至極もっともだと思うが、この趣旨に賛同している医師はまだ少ない。尊厳死協会としては法制化を目指すがまだ道は遠いようだ。アメリカでは300万以上加入者がいるのに日本では10万から増えない。
病気になって死の準備が出来るのはガンぐらいである。「ガンに罹るとラッキーである。なぜなら死の準備が出来るから」となにかで読んだことがある。言い得て妙である。
日本の病気による死亡原因の半数は循環器系の病気である。この病気は待ったなしで来る。死の準備などは出来ない。健康な時にこそ、死の準備をしなければならない。そうすることによって残りの人生を有意義に生きることが出来ると思うのだが如何であろう。
人生の完結は「終りよければすべてよし」である。

追伸
昨年十一月に尊厳死協会長崎支部の総会があり、その時、長編ドキュメンタリー映画、
羽田澄子監督「終りよければすべてよし」のチラシを貰った。
1月20日(日) 11:00 と 14:00の2回、長崎市民会館文化ホールで上映。
多分全国各地で上映されていると思うのでぜひ御覧になることお勧めします。

映画の散らし

2008年1月 7日 (月)

おめでとうございます

遅ればせながらおめでとうございます。今年もおつきあいの程よろしくお願いします。
この歳まで正月に旅行することなどなかったのであるが、31日、子連れで帰省した次女が、旅行クーポン券がたまっていたからといって妻と二人、一泊二日でハウステンボスへ招待してくれた。
年末から停滞していた寒波も去り、5日、6日とハウステンボスを堪能することが出来た。ホテルは部屋から花火を見ることが出来る「ホテルアムステルダム」。
費用は、元日に来た婿を入れて総勢5人が二万なにがし(2600円のバイキング朝食付き)で済んだようなので、かなり安上がりだったようだ。ホテルの対応も親切丁寧だった。
問題点は土日だというのにハウステンボス内は人が少なく、娘は人が少なくて「信じられない」を連発していた。人混みが大嫌いな山人にはゆったりした気分になれて良かったのであるが、これでは経営は苦しかろうと思ってしまった。入場者の半数以上が韓国人、此処は韓国?と思うぐらいだった。ディズニーランドへは何回でも行きたいという人が多いのに比べ、友人達のほとんどがハウステンボスは一度行けば十分と云ってる結果が如実に表れていると思う。まだまだ改善する余地が大いにあると思うが、私としては孝行娘の御蔭でよい正月を迎えることが出来て大満足であった。
ドムトールンからの夜景


レーザービームと花火

2007年12月24日 (月)

十二月ボウリング例会

 ボウリング終り楽しき忘年会
例会が終ってから忘年会となった。
納め句会は、主宰特選ほか3句も入選し今年の掉尾を飾る成績だったので、ボウリングも優勝!と密かに期するものがあった。1G目に「204」が出て、これで優勝間違いなしと思ったのが運の尽き、スピリットの連続にがたがたと崩れて、結局AV144という平凡な成績に終る。しかし文武両道を極めて、運を使い果たしてもなんであるから来年に課題を残し、これで良いのだと納得する。来年のレベルアップは期待できそうである。
忘年会の後、何年かぶりにカラオケに行くが、プロ級の歌い手が四人ほどいて、熱唱に絶唱、自分ではうまいつもりの山人も一曲で沈黙、聞き役にまわってしまった。最後にみんなでお手てつないで「今日の日よさようなら」を合唱、ストレスある者もない者も満足して散会した。

12月例会成績

順位     HG  LG  4G計  HD  総計  AV  ハイG

1位 たけ  217 154  706  108  814  166  217
(だんだんと本調子に近づく)

2  やま  188 137  656  156  812  153  218
(ストライクの破壊力は抜群)

3  はつ  165 112  560  248  808  125  177
(肩を壊しているのでしょうがない)

4  とし  213 158  748   56  804  183  213
(酒気帯びボウリングでこれだからお手上げ)

5  じん  204 113  578  192  770  139  204
(調子が狂うと修正がきかない、年のせいか?)

6  たか  162 134  580  176  756  142  191
(可もなし不可もなし)

7  やす  148 108  531  224  755  130  188
(練習の成果が出ない、来年に期待!)

8  ゆき  159 124  568  184  752  142  178
(五つぐらいの病があるのに明るい。頭が下がる、偉女)

9  なお  122  99  434  316  750  102  155
(文化人なのに上出来、まだ途上中)

10 みち  155  89  485  264  749  117  167
(好不調の波が大きい)

11 ひろ  147 116  541  200  741  137  180
(体重30数キロで頑張る)

12 つる  170 117  574  160  734  143  170
(かつても今も女性.No1、子育てから復帰!)

13 けい  111  72  335  388  723   78  111
(道は遠い、卓球はじんをてこずらせるのだが)

14 みほ  133  97  465  236  701  125  164
(練習不足)

サンタクロースが進入中

2007年12月20日 (木)

佐世保散弾銃乱射事件

三月に市長銃撃事件があった長崎で、また散弾銃乱射による殺人事件があった。
アメリカ張りの無差別銃乱射事件かと思えば、そうではなくて、用意周到に計画された犯行であり、巻き添えを食った感じだった水泳インストラクター倉本さん本人を狙った「ストーカー殺人」の様相を帯びてきている。
ご冥福を祈るという言葉さえはばかられる何ともむなしく、腹立たしく、痛ましい事件である。
しかし防ぎようのない事件の様相を帯びながら、背景には警察のあきれはてた杜撰、且つ無責任な対応が浮かび上がってきている。犯人は、嫌がらせのために近所の家に夜中の二時頃に「トイレを貸してくれ」と来たり、銃を持って近所をうろつくなどの奇行が目撃されている。「こんな男に銃を持たせていいのか」と交番に行ってもけんもほろろの対応をされ、犯人に対して「銃所持は問題ない」という報告がなされていたと報道されている。近所の人のインタビューでも「これは警察の責任である」とまで言い切っている。
一番の問題点は、銃所持に問題があったにもかかわらず、「問題がなかったと判断した」こと事態が大失態なのに、其の時点では問題なかったと抗弁する警察当局の無責任さである。
三月に起きた長崎市長銃撃事件でも、暴力団幹部の容疑者(S)から「市長はどこへ行けば会えるのか」と訪ねられ「選挙事務所へ行けば会えるだろう」と教えた「S」の知人が、知り合いの刑事に、「Sが市長に会いに行くと言っている、『逮捕せんですか?』」と電話したにもかかわらず、電話を受けた刑事から報告を受けた上司は「緊迫感がない、ほっとけと」と聞き流した結果があの事件である。きちんと対応していれば防ぐことが出来た事件だったのである。
この事件も『緊迫感がない』という判断を下したこと自体が大失態なのに、この時点では、緊迫感がなかったと判断したのだから、警察の対応には問題がなかったという釈明で、この一件を決着させようとしているのである。
とにかく出世の妨げになる警察の非を認める様なことだけは避けようという実に見苦しい様が見え見えである。だから今回の事件で佐世保署が問題はなかっという対応をするのは不思議でも何でもない。
警察本来の目的は「市民を犯罪から守る」のが本来の業務であろう。当市でも全市で交番の間引きが行われていて、地域住民からの切実な存続要求があるにもかかわらず、一方的に廃止されている。佐世保の事件もこうゆう市民とのふれあいを一方的に遠ざける警察行政のあり方に問題があったと言っても言いすぎではあるまい。

満天星(ドウダンツツジ)


落葉

2007年12月 8日 (土)

納め句会

平均年齢71才の中、全員出席の納め句座となった。

季題は「枯れ」るもの。

 キャンバスにのせて枯野の引き立ちぬ  路子

 赤き頬バスに駆け込む冬の朝      路子

 ヒロインのつもり落葉の道を行く    山人

 滑り台落葉散らして子等滑る      山人

 人の歩も走る車も師走かな       洋子

 パソコンに初挑戦や賀状書く      洋子

 蜘蛛の糸枯葉捕らへて風のまゝ     千代美

 旅終へし夫に大根を炊ひてをり     千代美

 草枯るゝ庭の片隅夫婦蝶        伯水

 癒されて眠りを誘ふ葛湯かな      伯水

 枯れ草や芋焼くころの懐かしく     寂水

 古暦残り僅かや悔い多し        寂水

 枯葉散る山門諭吉寓居跡 (光永寺)   汀子

 柿の木に取り残されし梯子かな     汀子

 枯草に雨の匂ひや日の匂ひ       慶秋

 駅出でしより北風に背を押さる     慶秋

通りすがりの神社の参道で見かけました







 

2007年12月 4日 (火)

ボウリング十一月例会

昨年はぶっつけ本番の例会で4回優勝し、アベレージも150をキープすることが出来た。今年はボールにより回転をかけるフォームに変えたもののうまくいかず、9月までのAVが135、限界かなと思っていたが、10月例会でAV149、十一月でAV159と、やっとフォーム改造の成果が出てきた。
昨年は例会出席者が減り解散の危機に瀕したが、5人の新人が加入し参加者も十人を越えるようになり又活気を呈してきた。

十一月例会成績

       HG  LG  4G計  HD  総計  AV   ハイG
                          (今年) (今年)
1位 しげ 196 171 726 120 846 166 196
(一投目と二投目でボールを替える二球流の使い手)

2  たか 178 136 657 184 841 144 191
(69才で15ポンドを投げる、じんのライバル)

3  じん 168 138 638 200 838 139 189
(フォームが安定してきた)

4  たけ 201 161 721 112 833 166 213
(定年後、低迷していたがまた調子が戻ってきた)

5  みち 167 120 551 272 823 117 167
(♀、二球流だがみち遠し)

6  ゆき 174 140 630 192 822 142 178
(♀、体調が少し戻り成績も上向きになる)

7  なお 127 106 480 320 800 101 155
(一月加入時はAV56)

8  やす 179 113 566 228 797 129 188
(週一の練習を欠かさないのでまだ伸びる)

9  とし 191 166 714  52 766 182 212
(AV180キープは立派)

10 やま 218 122 601 156 757 151 218
(郵政民営化で日曜が休めるようになる)

11 ひろ 160 119 555 200 755 137 180
(♀、胃腸が弱く体重39キロにしては立派)

12 はつ 133 117 490 252 742 122 177
(♀、肩を痛めて調子がでない)

13 はる 118  81 409 312 721 102 152
(♀、プロのコーチを受けているのでブレイク寸前)

14 けい  98  55 303 388 691  78 110
(♀、カーブボールを貰ったのが伸びない原因)

9月頃NHKの衛星放送で何とかボウリング選手権の放送があった。東京体育館の特設リングで8人のトーナメント戦、決勝までは二百三四十の高得点での争いなり、決勝は二人のアメリカ人の対決となる。ところが10ピン(右の一番奥)をはずしたり、ポケットに入ってもストライクにならないなどで、二百点以下の争いとなった。ボウリングが如何に精神的なものに左右されるか、アベレージ200を越えるプロですらスペアミスをするのだからと妙に納得してしまった。
ボウリングは、自分の心身のバロメーターとしての効用がありそうである。

中島川沿いにある光永寺



長崎市公会堂横の銀杏並木

2007年11月23日 (金)

稲尾様,さようなら!

西鉄ライオンズの稲尾和久氏の告別式が放送されていた。同じ1937年生まれの者としても、早すぎる逝去に心からお悔やみとご冥福をお祈り申し上げます。
1958年、当時福岡にいた山人は熱狂的なライオンズファンだった。いまでも高倉、豊田、中西、大下、関口、仰木、和田、河野と名前がすらすらと出てくる。対巨人との日本シリーズ、3連敗のあとの4連勝に、当時から徹底したアンチ巨人だった私は狂喜乱舞し、掛け値なしに稲尾様々だった。
「よし優勝パレードを見に行くぞ」と友人達と天神町まで繰り出し、優勝パレードの中西、豊田と握手したことを忘れることはない。稲尾選手は反対側にいたので残念ながら握手することは出来なかった。いまや懐かしき青春時代の思い出の一齣である。

逝く人あれば、帰ってくる人ありで、レッドソックスの松坂投手の帰国会見が放送されていたが、最高の舞台で揉まれてきただけに、顔も引き締まり一流選手の風貌がすでに現れてきている。とにかく彼のように運に恵まれた者は珍しい。リトルリーグで日本一になり、春夏の甲子園で優勝し「西武」でも優勝、「WBC」でも優勝と最高殊勲選手、そして大リーグでの「ワールドシリーズ」優勝と、イチローも、松井秀喜も脱帽であろう。どんなに実力があってもタイトルと縁のない選手は山ほどいる。松坂大輔には何かがあるのであろう。そしてその強運がどこまで続くのか、とても興味のある選手としてこれからも注目していきたいと思う。

2007年11月19日 (月)

十一月句会

 十一月の兼題は「小春」
小春とは陰暦十月の異称であり小六月ともいう。徒然草の中にも「十月は小春の天気」とあるので、結構昔から使われていたようである。暑くも寒くもない春のような絶好の天気が続き、一年の中で一番しのぎやすい天気ともいえる。異常気象が続く中、小春日和は当地でも充分堪能することが出来た。

 「玉の如き小春日和を授かりし」 松本たかし

こうゆう名句にはほど遠いが各人身近に体験したことで句作されたようだ。なお俳句では、小春日和を小春で表現することが多い。

坂由来読みつゝ登る小春かな  路子

植木屋と年金話し妻小春    山人

小春空飛機音も無く輝けり   洋子

行く先もきめず小春の一日旅  千代美

紅茶飲む午後の一時小春かな  伯水

老友の薬取り出す小春宴    寂水

口上の多き研屋や小六月    汀子

蒼穹に月残りゐて町小春    慶秋

石蕗の花


友人がくれた菊


すかんぽ

2007年11月10日 (土)

小沢代表辞意撤回!

「あたたかき十一月の回り道」 松吉良信

民主党の小沢代表辞意表明を撤回する。
福田総理のクリンチで一旦リングからリタイアした小沢代表が戻ってきた。
日本のためには好ましいことだと思う。
7日のテレビ朝日の「スーパーモーニング」の中でも鳥越キャスターは、結局小沢さんは、自民党にはめられたのではと言っていた。山人の白昼夢が正夢だったと言えないこともない。
またこの件に関する、さるブログの中で、テロ特措法に断固反対を表明した小沢代表に、アメリカのチェイニー副大統領が激怒し、小沢を代表から下ろせと渡辺、中曽根氏に厳命したが故とあった。読売新聞の「連立は小沢首謀説」よりこの話の方が遙かに信憑性が高い。
小沢代表が福田総理との会談の内容を一部分だが公開したのに対して、福田総理は、口をにごし、もう終わったことだからと、何も言わないことからもそれらしい 。言わないのではなく言えないのである。小沢代表に嘘をついたのだから当然である。
一方、民主党にすれば、有り得ない連立話に、小沢代表は一旦は乗せられたのだから、本来ならもっと厳しい糾弾があってもいいのに、役員全てが小沢代表を慰留したのは、自民党からはめられたと、役員幹部全員が理解し、これで辞めたら自民党の思うつぼとばかり役員全員が辞意撤回を迫ったのだろう。
笑止千万なのは小沢代表の辞意撤回に、目論見が外れた一部のマスメディアが、しきりに茶番であるとか、辞意撤回しても民主党内にしこりが残るのなんのと、しきりに民主党の組織に問題を残したと不安を煽る記事を書いていることだ。事実は逆であろう。自民党が小沢代表をはめようとしたことを、全民主党議員が知ってしまえば、民主党は結党以来、これまでにない団結力が強まる可能性がある。自民党としてはとんだ薮蛇になっと言える。
しかしながら、購読者数1千万を越える大マスメディアが、反民主に荷担しているのだから、今後は国会活動の実績でイメージ回復をしていかねば、次の衆院選で厳しい結果がでる可能性がある。マスメディアは「壊し屋」の小沢一郎は変わっていない、とプロパガンダしているが、小沢代表は確実に変わっている。それは民主党員が一番理解していると思う。各県の支部を始め、役員全員から「辞めるな」と言われるような党首は今まで誰もいない。それを意気に感じなかったら男ではない。小沢代表が涙を見せたのがその証拠である。自民党の目的は、小沢代表が辞任したあと、副総裁などの餌で、自民党に引き抜くことまで考えていたと思うが、とんだ狸の皮算用になってしまった。この一件で一枚岩になるであろう民主党と自民党との対決が見物である。

もう一度述べるが、「はめられ論」には証拠などはなにもない。単なる山人の憶測であることを改めてお断りしておく。

2007年11月 6日 (火)

クリンチでTKO!

 「桐一葉落ちて天下の秋を知る」

 クリンチ作戦成功!福田総理に抱きつかれて転んでしまった小沢代表が起き上がれなくなり控え室に退場したと言うのが現状のようだ。
小沢代表の辞意会見を見たが小沢さん自身にはブレはない。混乱の責任を取って辞めるというのだから筋は通っている。この人は腹黒いように思われているが、実際は正直な人ではないか。いつも手厳しいヤフーの評価でも辞任すべきではないが72%である。
4日のブログで辞任すべきだと言ったが、私も今は止めるべきではないと思う。
此処から山人の独断と偏見を述べる。
大連立、冷静に考えれば絶対に有り得ない話である。仮に小沢代表が連立を呑んだとしても、民主党に持ち帰れば、絶対に受け入れられないことは分かっている。それを敢えて福田総理が仕掛けた目的は、小沢さんを代表から引きずり下ろすことが目的ではなかったか?二人だけの密室会談だったというのも問題である。言った言わなかったでなんとでもなる。目的が連立ではなく小沢下ろしだとすれば、すべて納得がいく。小沢代表が「党首会談で誠実に対応してもらった福田総理に対し、けじめを付ける必要がある」とまで言って誠意を見せたのに対し、福田総理はもう既にそんなことは言ってないと言うニュアンスの発言を今日している。ここにもう密室会談の効果が出ている。小沢さんが勝手に解釈したのだと言わんばかりである。要するに小沢さんが連立案を持ち帰った段階でクリンチ作戦は成功したわけだ。あとは阿呆なマスメディアが有ることないこと書いてくれる。小沢代表の辞意会見で朝日と日経等を除きほとんどの報道機関が政府・自民党の報道を垂れ流し、世論操作の一翼を担っている。と抗議したことでも分かる。
それにこの連立提案に、渡辺恒雄氏の名前が上がっていたことだ。そして連立は「小沢代表が仕掛けた」という首謀説を報道したのが読売新聞であったことからもそれらしい。とにかくごたごたさせれば小沢は責任取って辞めるという、小沢さんの性格を知り尽くした者の思惑通りになったと言える。その人間の「まだ小沢は青い」という高笑いが聞こえてきそうだ。
今夜、当地のローカルニュースで某自民党議員が「良かった。(小沢さんが辞めて良かった)、小沢さんはたいしたものですよ(その彼が辞めてくれれば問題はない)」と嬉しそうに話をしていた。
福田総理はアメリカに行きテロ特措法は成立させると、いうと言っている。すでに小沢さんが辞意会見で福田総理と合意したという話と食い違っている。
小沢さんが代表を降りればもう密室での約束事など知ったことではない。という気配がすでに感じられる。
ただ自民党の思惑がちょっと狂ったのは、小沢代表が辞任ではなく辞意表明で執行部に身柄を預けたことだ。渡部恒三氏が「昔の小沢さんだったらもうスパッと辞めている、そこが昔とちょっと違う、何があったのか」とコメントをしていた。ということは、小沢代表がスパッと辞めなかったのは、どこか何かおかしいと思うものが少し有ったのではないか?それに民主党の役員全員、前原副代表までが辞めるべきではないという結論になったことだ。とにかく小沢さんが代表を辞めて一番喜んでいるのは自民党だけである。
小沢さんが福田さんに見事にしてやられたことに気付き、もう一度代表をやる気になれば一皮も二皮もむけた新しい小沢さんが見られると思うのだが。前にも書いたように、今、自民党に真正面から立ち向かえるのは小沢さんしか居ないと山人は思っている。
とにかく今度の連立騒動は、福田総理の執拗なクリンチ作戦に小沢さんが見事に倒され、TKOによる福田総理の完勝であった、と言うことになる。「小沢さん!このまま辞めたら、政治家ではなく喜劇役者で終わってしまいますぞ」。それで良いのかな?
以上は政治にど素人の山人が見た「白昼夢」であることで真偽の程はご勘弁願いたい。

2007年11月 4日 (日)

福田「クリンチ内閣」

 「クリンチ」内閣、これはニュース番組のコメンテーター大谷昭宏氏が某誌で書いていたのだが正に言い得て妙である。クリンチとは、ボクシングで自分が不利な形勢になると相手に抱きつくことだが、福田総理が民主党に大連立を提案するなどは、なりふり構わぬみっともない行動である。今回の大連立提案騒動は、クリンチされた小沢代表が尻餅をつき、上に乗った福田総理が抱きついて離れないという見苦しい光景である。この大連立構想は、中曽根康弘、渡辺恒雄という老害、老人達と、日本を神の国と思っている森喜朗前首相が画策したと報道されているが、とんでもない話である。民主党に入り、ほとんどブレを感じさせなかった小沢代表だが、こんな民意を無視した連立提案にブレたとしたら、一時、自民党の回し者かと思った前原前代表らと共に自民党に入ればよいと思う。
毎日新聞の見出し通り「決めてきます」と言ったのであれば、代表は辞めるべきである。7月の参院選で民主党に投票した人たちは自民党と連立するために投票したのではない。猛省を促すものである。
ただ今回の騒動の中で、自民党から中選挙区制に戻したらどうかという意見が出てきたのは収穫だと思う。郵政民営化選挙で自民、公明両党が小選挙区で獲得した票は48%である。これは逆に民主党にも起きうる可能性がある。これに危機感を持ったからこそ、中選挙区制が持ち上がったのであろう。中選挙区制であれば、次の衆院選で負けるにしても100議席を割るということは、あり得ないと思ったかもしれない。小選挙区制は、共産党、社民党に投票された票はほとんどが死票となってしまう。何事にもチェック機能は絶対に必要である。まだ共産党、社民党の存在価値は大きい。次の総選挙は中選挙区制で行われることを期待するものである。

長崎・春徳寺の刈り込まれたような大樟

2007年11月 2日 (金)

これはないよ!落合采配!

 MBLはよく見るが日本のプロ野球は全く見なくなった。しかし最終戦になるかもと思い、日本シリーズ第5戦を見る。ドラゴンズの今まで見たことがなかった山井投手がパーフェクトに押さえ、ダルビッシュも好投、息詰まる投手戦が続く。なんと8回まで山井投手はパーフェクト、これは完全試合かもと期待に胸がふくらむ。それも日本シリーズでの完全試合である。久しぶりに興奮する。ところがである、何と9回になって何の躊躇もなく、落合監督は岩瀬に替えてしまった。これはなんだ!開いた口がふさがらないとはこのことだ。これはあり得ない。同点ならまだしも、1点リードである。ランナーが塁に出た段階で替えれば良いはずだ。あのときの岩瀬の状態ならランナーが一人いようがいまいが、なんの問題もない。仮に9回の第一打者にホームランを打たれたにしても同点になるだけであり、中継ぎ陣も好調だし、勝つチャンスは充分にある。10時からの「報道ステーション」で楽天の野村監督は「自分なら絶対に替えない、落合以外の10人の監督も替えないだろう」とコメントしていた。プロの監督なら当然である。これはプロ野球であり、ただ勝てばいい高校野球や、社会人野球とは訳が違う。いや高校野球や社会人野球でもこうゆうことはあり得ない。球場に詰めかけたファンの百倍以上の野球ファンがテレビを見ていたはずだ。完全試合なんて見ようと思っても見られるものではない。
完全試合で日本一になったのと比べればどちらがよりプロ野球の発展に役立つか言わずもがなである。ドラゴンズファンではない山人としては本当に腹立たしい試合を見てしまったと言う思いである。
今日、夕方の報道番組で石原東京都知事が落合監督は真のリーダーであると絶賛していたが、馬鹿なことを言うな言いたい。思いがけなく、全くあり得ない、嬉しいハプニングが起きているのに、これを生かすことが出来ない無能な小心者の監督としか言いようがない。これでまた野球を真から愛する人たちがプロ野球から去っていくのではと思ってしまう。
これが大リーグであれば大ブーイングが起きるであろう。イチローがアメリカに行ったとき「こっちのファンは実に野球をよく知っている」と言ったのが印象に残っている。
ワールドシリーズ、インディアンズvsレッドソックス戦、インディアンズvsヤンキース戦と全試合を見たが、遙かにこちらが面白い。こんな日本シリーズが行われる限り、日本選手の大リーグ行きに歯止めはかからないだろう。

2007年10月27日 (土)

亀田興毅の謝罪会見

亀田興毅の謝罪会見を見たが、相変わらずの民放テレビの狂騒曲にはあきれ果ててものがいえない。
山人がもしや彼等の本性はチキンではと思ったように亀田兄弟の馬鹿げたパフォーマンスは演出されたものであることが分かった。
亀田兄弟はどこにでもいる普通の少年とあまり変わりがないと思う。それが父親とこれは視聴率が稼げるとばかり食らいついたTBSによって造られたキャラクターであったわけだ。今後、亀田兄弟がTBSの手の掌で踊らされたピエロで終わるのかどうかは、今後の兄弟の努力次第であろう。亀田兄弟がボクシングを止めると言うことであれば、彼等の本性はチキンと言われてもしょうがないが、これから頑張るのであればチキンではないということになる。
今どん底に落ちたといえ、興毅は20才、大毅は18才、アンチ亀田陣営からも一番素質があると言われている三男和毅は、まだ16才である。今後名伯楽に恵まれれば這い上がってくる可能性は十分あると思う。又残念だったことは今回の会見で「昨年8月のランダエダ戦は負けていたと思う」という発言でもすれば少しは見直されたと思うがそこまでは無理だったようだ。
金平会長も反省を口にしている。しかし昨年、6月に具志堅用高氏が毎日新聞に書いた記事に真っ赤になって反論をしている場面が放映されていた。反省が本当かどうか、もう一度この記事を読んで感想を聞きたいものだ。会長が亀田兄弟を具志堅ジムに預けるぐらいの英断をすれば彼の反省は本物と言えるかもしれないが?
亀田問題は今回の亀田興毅の謝罪会見で一件落着となるのかも知れないが、JBCの亀田大毅の処分にヤフーの評価では7割が甘いだった。思うにチャンピオンになった内藤大助氏のファイトマネーが一千万円だったのに、亀田大毅のファイトマネーは一億円と言われる。まあ金額に関しては致し方がないとしても、前代未聞の反則をしたのだから亀田大毅のファイトマネーは没収するのが筋であろう。プロのボクシング界というものには素人には理解できないものがまだ多々有りそうなのは残念なことである。

最後に 心・技・体 兼ね備えた偉大な世界チャンピオンであった具志堅用高氏の「毎日新聞」の記事を謹んでここにコピーさせていただきます。興毅を大毅に置き換えても通用するまさに言い得て妙である。

 「昨年6月に『毎日新聞』に掲載された具志堅用高氏の記事」

 ◇安易な世界戦に懸念 経験不足でもろさも−−東日本ボクシング協会副会長・具志堅用高氏

 亀田興毅君のここ何試合かは、内容は悪い。パンチできっちり倒したのではなく、相手が棄権したり、ローブローだったり、レフェリーが止めたり。ボクシングを普段見ない人は、KO(TKO)で勝ったら「強いのね」と思ってしまうけど、我々元ボクサーや現役選手で、彼を本当に強いと思っている人がどれだけいるだろうか。
 弱い外国人とばかり対戦しているのに、日本や東洋太平洋のランキングに押し込んだ日本ボクシングコミッション(JBC)にも問題がある。日本選手と戦わず、本来のフライ級はWBA、WBC(世界ボクシング評議会)とも王者が強いこともあり、1階級下げて空位の王座決定戦に出る。金をかければ、そんなに簡単に世界挑戦できるのか。ボクシングの歴史から見たら、この現状は何だ。今度挑戦するWBAライトフライ級王座はかつて僕が持っていたタイトルだけど、彼と一緒にされたら困る。
 僕は亀田君のために厳しいことを言っている。彼は強くなる要素を持っている。体格はいいし、スタミナとパワーがある。スター性もある。だが、技術面はまだまだ。パンチを打つ順番が間違っていて、もろいところがいっぱいある。判定でも内容のいい試合はあるし、強い選手とやって負けたっていいじゃないか。経験を積んで強くなる。でも、テレビ視聴率のためには、そうはいかないのだろう。
 みんなに愛される選手になってほしい。今はチヤホヤされても、引退後はどうなるのか。会見や計量で相手をにらみつけたり、挑発するような言動は慎むべきだ。ボクシングは選手が命がけで戦う素晴らしいスポーツ。ボクサーはリングの外では紳士であるべきで、やっていいことと悪いことがある。協栄ジムは教育すべきだ。二男は試合後にリング上で歌うけど、僕がJBCにやめさせるよう求めたら「テレビ局の意向だから」。特別扱いせず、やめさせないといけない。
 3兄弟とも父親を尊敬している。今の若者にしては珍しいし、素晴らしいこと。彼らの人気はボクシング界にとってプラスだ。だが、このまま相手を選びながら内容の悪い試合を続けていたら、いつか人気は冷める。人間性を磨き、試合内容が良くなれば、亀田3兄弟ブームは続くと思う。

黄色の彼岸花

2007年10月20日 (土)

十月句会

当地の秋は残暑が続く初秋から一気に晩秋の気配になって来ました。
異常気象は、地球規模で起きているからこんな事はたいしたことではないでしょう。

十月の兼題は「霧」 

気象学では水平視野が1キロ未満を霧といい、1キロ以上を靄(もや)という。
霧は年中発生するが、俳句では、霧は秋の季題、春は、霞(かすみ)と区別しています。
気象学上は、霧か靄で、霞と言う表現はありません。

 大阿蘇に抱かれし村も霧の中  路子
 
 霧薄れ眼下に港浮かびきし  山人

 霧の中朝市立つや由布の町  洋子

 朝霧の夜霧にかわる露天風呂  千代美

 霧の宿自家製ワイン渋みあり  伯水

 イグアスの滝の飛沫は霧の如  寂水

 白樺も浅間も今は霧の中   汀子

 馬の顔見えて尻尾は霧の中  慶秋

 今秋はまだ霧が発生していないので皆さん昔を思い出しての作となったようです。

2007年10月13日 (土)

WBC世界フライ級タイトルマッチ

弱い犬ほどよく吠える。
話は一年前にさかのぼる。昨年8月のWBAライトフライ級王座決定戦の「亀田興毅とランダエダ戦」の後、当ブログで「関口ひろしのサンデーモーニング」での大沢親分と張本勲氏が亀田興毅をどう評価するか興味津々と書いたのだが結果は予想通り、辛口評論を売りにする二人が亀田興毅を「よく頑張った」のではと擁護するお粗末な対応となった。つまり自分の意見を封印して、TBSの亀田興毅を非難するなという説得に妥協したとしか思われない普段とは違う対応をした。このときもこの試合の全てをお膳立てをしたTBSに抗議が殺到したのだが、まったくこりないTBSは又同じ轍をふんでしまった。つまり視聴率さえ稼げればボクシング界のことなどTBSにとってどうでもよいのであろう。
皮肉なことに今度の「内藤大助vs亀田大毅戦」は大毅が完敗した上、放送の中で亀田パパが「玉を打て」兄興毅が「肘を目に入れろ」とアドバイスしたのが録音されていたというニュースがネット上で流れている。私も聞いてみたが聞き取ることは出来なかった、がJBCは調査を始めたとある。これが確認されたら亀田家のボクシングライセンスの剥奪などの厳しい処分が下される可能性がある。
全く常識では考えられない亀田一家のパフォーマンスであるが、思うに「弱い犬ほどよく吠える」である。亀田兄弟の本性は案外チキンなのかも知れない。兄弟そろって両腕で顔をガードをして前に出て行くスタイルは、彼等の強気の発言とはかけ離れている。
ここ一番での倒すか倒されるかのスリリングな試合を期待したのに残念である。
「天につばする」「雉も鳴かずば撃たれまい」誰でも知っているこの言葉は亀田親子の辞書になかったのであろう。さすれば試合に負けたうえ、観客から「腹を切れ」と罵声を浴びせられることもなかったのである。
WBC世界フライ級チャンピオン内藤大助氏は、少年時代はいじめられっ子、そしてボクシングは、自分の月8万円のアルバイトと、妻の月12万の収入でボクシングを続けてきたとある。ボクシングを志す者の模範ではないか。このように苦労して頂点に上り詰めた人に、ゴキブリ呼ばわりは許されることではない。内藤氏の言葉だがボクシングは、リング上で殴り合う喧嘩だが終われば抱き合って健闘を称え合う素晴らしいスポーツというコメントがあった。試合が終わり抱き合うこともせず、15人以上のガードマンに囲まれて退場した亀田一家は猛省をすべきであるが、彼等のパフォーマンスを視聴率のため助長させてきたTBSの罪は計り知れない。もうTBSは見ないぞと思ったが、9時からの「3年B組金八先生」はみてしまった。小山内美江子さんの脚本ではないがこの番組は見ざるを得ないだろう。内藤大助氏は、この試合で1千万円ほどの収入があるということだが、奥さんとゆっくりと旅行でもして英気を養って欲しいと思うし、改めて心から「おめでとうございます」と言わせて頂きます。

2007年10月 8日 (月)

長崎くんち

長崎くんち(7日〜9日)である。この間長崎の町はお祭りムード一色になる。
長崎くんちについては、このURL http://www.nagasaki-kunchi.com/
を見て頂くとして、七年に一度回ってくる踊り町は大変である。六月の小屋入りになると、踊り町の若者衆は体力作りのために、毎晩「ワッセ」「ワッセ」と10キロ近くの走り込みを始める。知らない者が見たら何事か思う。しかしこれくらい体力作りをしなくてはこの三日間を耐え抜くことは出来ない。つまり心・技・体を鍛えないとつとまらないのである。
今日、8日は各踊り町は諏訪神社での奉納踊りはなく、庭先回りと言って会社やお店を回って踊りを披露して謝礼を受ける。私の娘も勤務先が踊り町なので、ボランティアとしてかり出され、法被着て呈上札配りをするとかで朝早くから出かけて行った。
山人の小学校の同級生も、傘鉾の担ぎ手として毎年参加している。とにかく明日までは何となく落ち着かない日を過ごすことになる。

娘が街で中学時代の同級生が出ている麹屋町の川船に出会い声をかけると、「まきもの」の手拭いをくれたそうだ。




銀屋町の「まきもの」の手拭い

2007年10月 3日 (水)

九月句会

 鰯雲悠久不変天の綾

9月句会の兼題は「鰯雲」、鯖雲(さばぐも)、うろこ雲とも。気象学では巻積雲のこと。この雲が現れると鰯の大漁があるとか、雨が降るとも言われる。今年の秋は鰯雲をほとんど見ることがなかっただけに皆さん苦労されたようだ。
 
 父母在りし日の甦る鰯雲     路子

 いわし雲何か不安な一人旅    山人

 名月ぞ面も上げず行く人よ    山人

 ふる里と亡き母をふと鰯雲    洋子

 虫の音や看取りし日々は遠くなり 千代美

 おはぎ喰ふ子らの笑顔やいわし雲 伯水

 空重く累々と湧く鰯雲      寂水

 饒舌は尽きることなく鰯雲    汀子

 母おはすことのしあわせ夜々の月 汀子
 
 相模湾跨ぎて鰯雲つづく     慶秋(東京在住)

 曼珠沙華残して暮るる棚田かな  慶秋

 異常気象の真ただ中、当地でも9月の真夏日がこれまでの記録を6日も上回る暑い9月となった。それと関係があるのかどうか、我が家の石榴(ざくろ)は、園芸用で花を楽しむ花石榴だから実がなっても育つことはなかった。それが今年は50個ほどの実がかなり大きく育っている。こんなことは初めてのことである。


2007年9月30日 (日)

見帰りの滝

 姉弟の老いて仲良し秋彼岸

 見帰りの滝見て帰る秋彼岸

「暑さ寒さも彼岸まで」と諺にもあるように日中はまだ30度を超えるが、朝夕は秋らしい天気になってきた。秋の彼岸には、妻の実家がある佐賀多久へ毎年墓参りに行く。今年は息子が車を出してくれたので、妻と娘と四人で行った。当地で義弟夫婦と落ち合う。墓参りが終わり、弟が相知(おうち)市にある、「見帰りの滝」へ「鯉濃」を食べに行こうと言うので、多久から20分ぐらいドライブして到着する。「見帰りの滝」は日本の名滝100選に選ばれている。なんとか館で、旨い鯉の洗いと鯉濃を食べる。滝へは車でも行けるが駐車場がないので、15分ほど川沿いの山道を登る。ラージボールは2時間しても息も切れないが、山道は心臓がぱくぱくする、それでもダウンすることもなく何とかたどり着いた。名滝100選に選ばれているだけあってなかなかのものである。久しぶりに森林浴という気持ちのよい時を過ごすことが出来た。
佐賀(多久)の墓には妻の両親、子供がいなかったせいか、我が子のように山人夫婦を可愛がってくれた叔父夫婦が眠っている。長崎人の中には、「佐賀んもんの通った後は草木も生えん」とかいう人がいるのだが、山人は1年ちょっと、佐賀へ単身赴任したことがあるが嫌な思い出は全くない。佐賀は大好きである。
まあ元気でいる限り墓参りだけは続くであろう。それに佐賀んもんだった義母から生涯忘れることがない褒め言葉を貰った。義母が亡くなって10年ぐらいになるが、亡くなる少し前、妻が見舞いに行ったとき、私のことが話題になり「あの人は口数は少ないけど、心に笑顔がある人」と言ってくれたそうだ。自分では全く意識していなかったことなので驚いてしまった。現在の世相には怒り心頭に達している山人だが、心の中には常に笑顔を忘れることなく残りの生涯を全うしたいと思っているのである。

見帰りの滝(遠景)


見帰りの滝





近くにある吊り橋

2007年9月22日 (土)

俳句と相撲

 少年時代は相撲があるときは学校から帰るやいなや、ラジオにかじりつき大好きな名寄岩と羽黒山を応援していた。よく負けていた名寄岩が勝つとやったやったと大喜びしたものだ。相撲は一年中行われているが、俳句では「相撲」は秋の季題である。昔宮中で立秋の後になる陰暦七月七日に相撲節会として行われていた事による。
俳諧(江戸時代の俳句)でも相撲の人気は高かったと見えて、有名人にも例句は多い。

「投げられて坊主なりけり辻相撲」 宝井 其角(蕉門十哲の一人)※

勝つと広言したものが、無様な負け方をして丸坊主になったという恥を知る男。

「都にも住み交じりけり相撲取」 向井 去来

都(京都)でも街を歩く相撲取りの姿が見られるようなった。

「角力とり並ぶや秋の唐錦」 服部 嵐雪

唐錦で織ってある化粧回しつけて並んでいる力士たちは、まるで秋の紅葉を見ているようにきれいである。

「三男の三郎出たり無理相撲」 森川 許六

宮相撲であろうか、長男の太郎、次男の次郎が負けて「三郎!敵を討て」といはれて、三男の三郎がしぶしぶ土俵に上がったという情景が目に浮かぶ。

「茶壺わる座敷相撲や従弟同士」 森川 許六

幼年時代から父とよく座敷で相撲を取っていたので体格が余り変わらない者にはまず負けなかった。

「脱ぎ捨てゝ相撲になりぬ草の上」 炭 太祗(たんたいぎ)

現代でもありうる光景であろう。少年時代は学校の廊下でよく相撲を取っていた。

「夜相撲に又来て例の鬼めかな」 千川

昼相撲で賞品をかっさらった男が又夜相撲にも来ている。ちきしょう、賞品稼ぎめ!

「べつたりと人の生(な)る木や宮相撲」 小林 一茶

「子相撲に親が勇みし秋祭り」 本田 洋子

旧長崎街道沿いにある小さな神社も昔は立派な土俵があり、9月15日の大祭の日は、国体選手クラスが参加する格式のある奉納相撲が行われ大賑いであった。今や土俵は撤去され、駐車場となっている。最近は15日夜におが屑を敷いて、子供相撲がおこなわれている。

「貧にして孝なる相撲負けにけり」 高浜 虚子

金でも借りていたのか金持ちの子に自分の子が片八百長?で負け「よく負けてくれたお前は親孝行な子だ」と親が喜んでいるなんとも涙が出るような俳句である。

俳句を見る限り相撲取りを詠むより、身近で行われていた辻相撲、宮相撲、草相撲等を詠んだ句の方が多いようだ。それだけ相撲が日常生活に密着していたということだろう。

大相撲秋場所も明日が千秋楽。新横綱白鵬の優勝が決まりそうだが、しかし最近はプロ野球もそうだが大相撲にもあまり関心がない。山人思うに大相撲は衰亡の危機にあると思う。山人だけでなく、同世代の周りの人たちの中でも、大相撲が話題になることはほとんど無い。朝青龍が巡業を休んで、母国でサッカーをしたことはニュースで見たが、その後のメディアの狂騒振りはあきれるしかない。
山人が相撲に一番熱狂した時代、羽黒山、東富士、照國、前田山の四横綱時代にも前田山が休場中にプロ野球を見物に行き、それがばれて確か引退をした事件があったと記憶しているが、昔も今も品格のない横綱が居たということになる。
相撲協会も大鵬時代から囁かれてきた八百長相撲、新弟子の応募者が0になるなど、相撲協会の抱える問題は山積している。これらの問題は次の機会に。

※(蕉門十哲とは芭蕉の優れた門人十人を言い諸説があるが、蕪村がとりあげたものが一般的である。ついでに記す。
一、宝井基角(きかく)。二、服部嵐雪(らんせつ)。三、内藤丈草(じょうそう)。四、向井去来(きょらい)、以上は四天王ともいえる。五、杉山杉風(さんぷう)、六、森川許六(きょりく)、七、各務支考(かがみしこう)。八、立花北枝(ほくし)。九、越智越人(おちえつじん)。十、志太野坡(やば)

2007年9月18日 (火)

敬老の日

 敬老日つねに忘れてゐし齢  長屋 せい子

17日、敬老の日だった。一男三女がいる。母の日、父の日、誕生日には何かプレゼントをしてくれる。それに毎年「いつまでも若々しく元気でいてね」とコメントがついてくるが、まだ敬老の日にはなにもない。結構なことである。
16日の「さざえさん」の中で、タラちゃんが、敬老の日だからおじいちゃん、おばあちゃんに何かしてあげるというと、ワカメちゃんが、「私にはお父さん、お母さんだから何かしてあげるのなら隣のおじいちゃん、おばあちゃんにして」というのに笑ってしまった。子供にとっても自分の両親が若々しくあって欲しいと思うのは当たり前の願望のようである。しかし動物であれば年を取るのは避けられない。いろいろと抵抗を試みるがこればかりはいかんともしがたい。60才を過ぎると各人老いを意識しないようになる。どんなときに老いを意識するか?よく聞くのは乗り物で席を譲られたときがそうらしい。
山人も数年前、電車(路面電車)に乗ったとき、(丁度心臓バイパス手術をした後でまだ足が心許ないときだった)前に座っていた修学旅行生が、「おじさん席をどうぞ」と立ってくれた。「ありがとう」と言ってすぐに座ったのだが、しかしこれが「おじいちゃん、どうぞ」と言われたらこうはいかなかったと思う。「少年よ、俺は君が思っているよりまだ若い、君も旅行で疲れているだろうから座っていたまえ」と格好をつけたかも知れない。「おじさん」と言ってくれたことに感動をした。沖縄の中学生だったが、カンニング竹山によく似たずんぐりむっくりの少年はもう高三か大学生。いまに立派な青年になるだろうと期待している。
八月に、伝説のカメラマン「ロバート・キャパ展」を見に行った。受付で入場料千円を出すと、若い受付の女性が「お客さん、70才以上だと800円ですが」と言った。「………」頭の中で「君、失礼ではないか、この間60才になったばかりだよ、年よりに見えるからといって70才とはあんまりだよ」と見栄を張るか、200円戻るなら往復の電車賃がただになるがと、頭の中を駆けめぐった。確かに7月で古稀を迎えたが、まだ一ヶ月もたっていない。しかし見栄より実利を取った。「うん、70才」、「証明書、何かお持ちですか」と聞いてくれたら嬉しかったのだが、あっさりと200円返してくれた。真実は、70才には見えないけど、貧しそうだから70才だと言ってくれたと思うことにした。
先日も電車の中で、頭の禿た60代とおぼしき人が乗ってきたら、40代の奥さんがさっと席たった。どうぞとも言わずそばに立ったままなので、禿の人が「あれ、奥さん、俺のために席ば立ったと?俺が頭の禿とるけん年寄りと思ったとやろうが、俺はそんげん歳じゃなかばい、また座ってくれんね」、と言ったのには、山人を含めて周りの数人が思わず失笑してしまった。この人はしばらくして座ったが、中には頑として座らない頑固じじいが居る。どうみてもじじいなのだが、困ったものである。席を立ってくれた人が又座れずにもじもじしている。世の中の不正義を許さない頑固さは絶対に必要だが、こんな頑固者にはなりたくない。おばあさんにはあり得ない。じじいだけに起きている事である。

敬老の日に、テレビで65才以上の高齢者が、とか65才以上の超高齢者社会とかの表現が飛び交うが何か抵抗を感じる。この言葉には厄介者が増えて困ったものだのニュアンスを感じる。たびたび言うが、これまでこの国を支えてきた人たちを厄介者にするような国には未来はない。60才の時、二ヶ月で41万あった年金が今や34万、8千円ほどだった住民税は4万8千円にあがった。1万未満だった所得税も3万を超える。
それでも自分は恵まれている方だと思う。要介護の人、一人暮らしの病弱な人、生活保護を受けなければ生きていけない人等々、敬老とは全く無縁の老人がこの国にはたくさんいる。これらすべて弱者切り捨ての小泉改革路線によるものだ。
23日には、福田康夫総裁に決まりそうだが、核保有論論議を唱えた麻生氏より福田康夫氏のほうがましだと思う。しかし福田氏も小泉改革路線を継承すると言っている。これではとても期待することは出来ない。私が期待する小沢代表の出番は少し遠のいた感じだが、敬老とは名ばかりの実態が続く限り、出番は必ず来るはずだ。その時になって始めて日本という国の指針が真剣に論議されるようになると思う。道は遠いが私にはこれが一筋の希望なのである。

山人より高齢者の幼なじみMさんの作品


65才以上の高齢者、友人のYさんの作品、遠藤周作記念館の駐車場からの風景

2007年9月16日 (日)

80才90才代絵画展

秋は美術展が盛んである。当地でももう恒例になっている「80才90才代絵画展」を見に行った。例年感じることだが、絵自体に老いというものが全く感じられない。受付の人の話では、「感動しました」、「元気を貰いました」、「自分ももっと頑張らなくては」という感想を述べられる人が多かったそうだ。私は絵には全くの素人であるし、作者自体も皆さんアマチュアである。だから芸術性うんぬんについては述べることが出来ない。しかし60才以上の犯罪が多発している昨今、こうゆう絵画展を見ることは一服の清涼剤といえる。明日は敬老の日、18日まで開催とか当地の方ぜひ御覧になっては如何がかな。

作者は91歳


作者は88歳


80代

2007年9月13日 (木)

遅すぎて早すぎた辞任!

安倍首相が12日辞任表明をした。

遅すぎて早すぎた辞任!
病気休養中のTBS筑紫キャスターのコメントだが、これにつきる。
与野党の各人のコメントを聞いたが、昨日の辞任表明の前、自民党前幹事長の古賀さんが「これが本当なら国民に申し訳ない、誤報であって欲しい」と言った言葉が印象に残った。ほか数人の方が「国民に申し訳ない」とコメントをしていたが、こうゆう人たちは自民党でも数少ない良識派といえるだろう。
今回の辞任劇で、最大の被害者は国民である。安倍前首相からも、次期候補と名前の挙がった人からも国民に対する謝罪の言葉は聞かれなかった。
このささやかな当ブログにおいて、安倍首相に未来を託す日本という国は、悲劇と言うより喜劇であるとまで言ったのだが、本当に喜劇の国になってしまった。喜劇には笑う以外なにもないし、救いがない。安倍首相が世界に恥をさらしたのではなく、かような人を指導者に選んだ日本という国が世界に恥をさらしたのである。
強いて今回の事態を招いた張本人を捜せば、安倍さんを後継者に指名した小泉前首相であろう。彼がこの辞任劇でノーコメントを貫くことは絶対に許されることではない。彼こそが一番に国民に申し訳なかったと謝罪しなければならない。
そして次期総理に一番近いのが政界一のマンガ通、麻生幹事長というこで、アニメ関連株が上がり始めたそうだ。やっぱり喜劇の国である。

数年前から、某新聞社の論説委員をしていた友人と、日本の未来を託せる人は、小沢一郎さん以外ありえないのでは、ということで一致していた。ダーティーなイメージはあるものの、無理をせず、静かに雌伏していた小沢代表の出番が近づいてきた感じがする。

2007年9月10日 (月)

臨時国会

安倍改造内閣試練の臨時国会が始まった。厳しい身体検査を受けたはずの閣僚達がぞろぞろとぼろを出し、週刊誌には額賀財務相、伊吹文部科学相という大物?が次のたターゲットとの見出しが躍る。もう安全パイのない国会運営は厳しいものになりそうだ。
11月1日で期限が切れる「テロ対策特別措置法」、安倍首相はついに延長できなければ退陣ともとれるを表明をした。次は小沢代表の本気度が試される番だ。
地元長崎新聞によると、7日、長崎市浜市アーケードという長崎一番の繁華街で、テロ特別措置法の延長、反対のシール投票が行われその結果が載っていた。1時間で「延長反対」が463票、「延長賛成」が26票、「わからない」が16票という結果だったとある。山人に言わせればテロ特別措置法自体が憲法違反である。アメリカの政府高官が原爆投下を正当化する発言をしているのに抗議も出来ない、腰抜け内閣に何の未練もない。
日本という国はアメリカの番犬ではない。憲法違反までして来年で任期が終わるブッシュ大統領に忠義立てする必要はなにもない。私もテロ特別措置法延長は反対である。
自民党は前国会で、重要法案をろくろく審議もせずに17回も強行採決で通したのである。今国会では、政治と金、年金問題、インド洋上の給油活動、イラクの現地で「黄金の水」と言われた給水活動などにどれくらいの金が使われたのかなどを納得のいく審議をしてはいっきりさせて欲しいと願う。とにかく今国会は目が離せない。

2007年9月 2日 (日)

ボウリング例会


安倍改造内閣に早くも破綻が現れたが、山人のボウリングのフォーム改造もうまくいかない。夏ばてか全体的に低レベルとなった。

       HG   LG  小計 HD 優勝 とし 212 166 759 60  819
   (実力通り)
2  はる 152 99  469 320 789
   (ボウリング教室へ通い出した成果が早くも出る)
3  なお 135 95  444 336 780
   (ハンディに助けられる)
4  ひろ 157 115 560 208 768
   (病み上がりにしてはまあまあの成績)
5  じん 170 116 543 208 751
   (練習の成果がでない、いらいら)
6  しげ 169 145 634 112 746
   (アベレージにほど遠い成績)
7  たけ 176 125 634 112 746
   (125が痛い、練習不足)
8  たか 159 127 558 188 746
   (16ポンドで投げるが調子がでず)
9  みち 127 108 468 276 744
   (球を変へたが調子が出ない)
10 みほ 144 100 494 240 734
   (むらが多い)
11 けい 99  68  319 388 707
   (前途遼遠)
12 やす 134 95  444 228 672
   (絶不調、教室に行こうかと悩んでいる)
 
 メンバーが増えて活気が出てきた。来年は一泊旅行の計画が
 持ち上がり、来月から毎月千円の積み立てが決まる。

初秋の眼鏡橋


県立美術館から長崎港

2007年8月25日 (土)

八月句会

34度という残暑厳しきなか八月句会が開催された。

雨がえる芭蕉にのりてそよぎけり  宝井其角

兼題は「芭蕉」、普段あまり見かけることがないので、先日、5人で長崎四福寺(崇福寺、興福寺、福済寺、聖福寺)の一つ「聖福寺(しょうふくじ)」の境内に芭蕉があると聞き見に行った。山人を除いて皆さん上手に句作されていた。
聖福寺境内には、古い歌謡曲『長崎物語』の歌詞にある、「赤い花なら曼珠沙華、オランダ屋敷に雨が降る、ぬれて泣いてるじゃがたらお春」、の「じゃがたらお春の碑」がある。また前もって予約が必要だがうまい普茶料理を食べることが出来る。

 
 禅寺の深き庇に芭蕉風     路子

 白雲を頭上に芭蕉戦ぎをり   山人  戦(そよ)ぎ

 梵鐘も錆びし古刹や破芭蕉   洋子 古刹(こさつ)、破芭蕉(やればしょう)

 芭蕉林機場を風がぬけてゆく  千代美 機場(はたば)、沖縄吟

 境内の椅子に憩ふや芭蕉林   伯水

 大芭蕉庭に風呼ぶ姿して    寂水

 唐寺の甍になびく芭蕉の葉   汀子  甍(いらか)

 あをきまゝ枯るゝ気配の芭蕉かな  慶秋

 
 芭蕉句ではないが、点が入った句

 
 青空に入道雲の居座りて       寂水
 
 かなかなや遠ざかる日々今日も又  山人

 夏休み一年生の一人旅        千代美

 
聖福寺の芭蕉とじゃがたらお春の碑


この日珍しい彩雲が見られた

2007年8月19日 (日)

孫はエスパー?

 孫去りて常の日戻る盆の明け 路子

長崎原爆の日、東京から娘と三歳の男の子が里帰りした。盆と正月に来ているのだが半年の成長ぶりは驚くばかり、まるで別人のように口が達者になっている。
ところで、この孫には霊感があることが分かった。それは六月のある朝、(寝室で目高を飼っていて、毎日父親と一緒に餌をやるのが朝の日課)突然「おとうたん、これとこれとこれ、もうすぐ死んじゃうんだって」と、のたまう。びっくりした父親がよくよく見るが特に弱っている目高はいない。それでたとえ目高といえど、軽々しく「死ぬなんていうものじゃない」と、父親は威厳を持って意見をした。そして夕方帰ってくると、あーら不思議、本当に目高が3匹プカンと浮かんでいる。ゾー!ゾー!ゾー!。だがこれとこれとこれと指さした目高であったかどうかは定かではない。しばらくの間両親は「おとうたんは今日死んじゃうんだって」と言われないかと戦々恐々だったという。母親が恐る恐る「目高が死ぬって誰に聞いたの?」ときくと「魔女」といったので笑ってしまったが、目高が3匹死んだ事実はいかんともしがたい。

最近のヤフーニュースに、アメリカのある施設でドクターが回診をするとき、そこで飼われている猫がドクターと一緒について回り、素通りする患者は何事もないが、ある患者のところで添い寝をする。すると添い寝をされた患者は必ず死ぬので、死を招く猫と評判になっているというニュースだった。その猫の写真も載っていた。
話だけ聞くと、死神のような不気味な猫ということになるが、思うにその猫が添い寝したから患者が死ぬのではなく、命の炎が消えかけているのを動物の何かで感じ取り、患者の最後に付き添ってやる優しい天使のような猫だと山人は思うのである。

三歳児と猫、目高と人間、いずれも比較の対象にならないが、孫の場合のキーは「魔女」であるから解明はちょっと難しい。
しかしこの孫の霊感が本物ならば、「おじいちゃん、もうすぐ死ぬんだって」といわれない限り、チョー安心して生きていける。外野席では、将来「オウラの泉」で稼げるかもと姦しい。

エスパー・オウラ

2007年8月16日 (木)

敗戦記念日

敗戦忌燃えてしまった青年ら 北 さとり

海原は父の墓標や敗戦忌   中村啓輔

15日は、62年目の敗戦記念日であり、又長崎では精霊流しが行われるお盆の日でもある。我が家には十才と8才年長の姉がお参りに来た。お参りの後、皿うどんでも食べようと話をしている時、十二時のサイレンが鳴った。妻と長男と三女、東京から来ている次女夫婦と子1人、計9人で黙祷をする。
黙祷が終わり、長崎でも9日に繁華街を歩いている人で黙祷をする人は少ないという話をすると、20才で被爆し被災地に炊きだしでかり出され、第二次放射能で髪が抜け寝込んだという経験がある長姉と、爆心地から1.2�の兵器工場で被爆した次姉が「けしからぬ」と憤慨する。(広島がどうなのかは知らないが、長崎では8月6日8時15分にも必ずサイレンが鳴り黙祷をしている)すると三女が6日電車(長崎では路面電車のことを電車という。連結電車は汽車である。最近はJRと言う人も増えてきたが)に乗っていて、8時15分にサイレンが鳴ると運転手が「皆さん黙祷をお願いします」と言って電車を止め、みんなで黙祷をしたという話をした。外で黙祷をした経験がないので電車が止まる光景は見たことがない。会社の方針では無く、その運転者の身内に被爆者が居たのかも知れないが、とにかく立派な運転手だということで皆感心する。
しかしながら長崎では核兵器廃絶を求める「高校生1万人署名」運動が継続しているが、ビラをも受け取らないし、署名もしない人のほうが多い。核兵器廃絶運動に関しては、人いろいろでは駄目であり、また広島、長崎だけの平和運動だけでは、核廃絶の道は果てしなく遠いのが現状である。
ここ数年来思うようになったのだが、歳時記の季題には終戦記念日と、併記して敗戦記念日もある。例句も終戦と敗戦で詠まれている。ところが政府、マスメディアにおいては、すべて終戦記念日に統一されている。これに問題が少なからず有るのではという気がしてきた。敗戦記念日だと、そこからどうして負けたのか?どうして負けるような戦争を始めたのか?一体誰が始めたのか?この戦争で何が起きたのか?誰に責任があるのか?と次々と問題点が出てくる。しかし終戦日だと、「ああ戦争が終わった。平和が来た。良かった、良かった。もう二度と戦争は嫌だ」で終わってしまい、過去(日本の加害者責任)を真剣に総括することが抜け落ちてしまう。その結果として一番仲良くしなければならない、一衣帯水の国、中国や韓国から62年以前の出来事に対する非難が絶えないのは国家として非情に恥ずかしいことである。また政治家、国民の中にも未だに中国、韓国を蔑視する人々が結構居るのだが、この手の輩は己の言動により、逆に日本という国が中国、韓国から蔑視されていることに気がつかない。
今後「核兵器廃絶運動」がより前進するためには、真剣に過去の戦争を総括しないと、道は全く見えてこないと思う。古希を過ぎた1人の人間として何がどう出来るのか、山人の残りの人生の大きな課題である。

ペットの精霊船



2007年8月10日 (金)

長崎原爆の日

8月9日、長崎は62回目の原爆の日を迎えた。

最近になり、父(昨年17回忌を終えた)が生前に自費出版した本を時折紐解いているが、その中に父が句友から贈呈を受けた句集の紹介が載っていた。俳人としては名のある方ではないが、被爆を身近に体験されて生まれた句はとても説得力があります。原爆の日にちなみ、謹んで原爆関係の句を紹介させていただきます。


 被爆者の又みまかりし寒の入り

 被爆ミサ白衣の子等の鎮魂歌

 肉灼けしあの日の丘にカンナ咲く

 被爆丘無縁の墓碑の草いきれ

 原子野は灼けて福田須磨子葬

 蜩や被爆修女の碑の新た

 五十路越すケロイドの娘に原爆忌

 帰り来ぬ子の年数へ原爆忌

 ヒバクシャと国際語となり原爆忌

 浦上忌瓦礫に骨を拾いし日
 
 「水を水を」声なほ耳に原爆忌

 浦上忌一家爆死の小さき墓碑

 被爆秘話扇子を使ふ人もなく

 反核に集ふ車座草紅葉

以上、宮田えき女句集「彦の山」より。


広島、長崎の「原爆資料館」に行けない方へ。
広島、長崎で被爆された方々の生の声を聞くことが出来ます。
「被爆者の声」
http://www.geocities.jp/s20hibaku/

2007年8月 4日 (土)

女郎蜘蛛

昼寝していると妻の呼ぶ声で目が覚めた。
「庭に女郎蜘蛛がいるよ」昔は珍しくもなかった蜘蛛だが今は見かけることはまずない。山人の少年時代は「シマテンコブ」といっていた。

「縁側でシマテンコブの喧嘩かな」 小学5年の時の句である。

女郎蜘蛛は一寸した竹藪や、裏山へ行くとすぐ見つけることが出来た。なるべく大きな型の良い女郎蜘蛛を見つけると小枝で巻き取り庭で巣を張らす。そして友達同士蜘蛛を持ち寄り喧嘩をさせた。30�ぐらいの棒の端に二匹の蜘蛛を止まらせ尻を突いて真ん中へと追い立てる。出会った蜘蛛は睨みあった後、うじゃうじゃうじゃと手足を絡ませ、糸を吐き相手を巻き取ろうとする。弱い蜘蛛はあっという間に巻かれてしまうが、こりゃ叶わないと思った蜘蛛は棒から下へ逃げ、だらりと糸でぶら下がる。勝った蜘蛛は追いかけることをしない、下へ逃げた蜘蛛を見下ろし「弱えなー!」と言いながら?手か足で糸を切る。負けた蜘蛛はどたりと地面に落ちる。持ち主は「やったー」と得意顔、観客から「おー強かー!」と歓声が上がる。負けた蜘蛛の運命は飼い主の性格によるが、定かではない。
一度負けた蜘蛛はもう使い物にならない。しょっちゅうする遊びではなかったが、珍しくもない遊びであり、勿論賭けたりはしない健全な遊びであった。
鹿児島のある地方では大人が喧嘩させているのをテレビで見たことがある。これは賭けていると思うのだがよく分からない。
それしても蜘蛛が少なくなった。昔は家の中で壁に張り付いていた平べったい蜘蛛(大きいのは10�以上はあった)は全く見ることがない。庭にも土色の蜘蛛が結構網を張っていたのだがこれも居なくなった。居るのは可愛らしい蠅虎(はえとりぐも)ぐらいである。
時々パソコンの周りをうろついている。蝿はいないから蟻でも食って居るのだろう。
蜘蛛は害虫?ではないから蜘蛛が少なくなっても何も問題はないのだろうか?
蜘蛛博士あたりの話を聞きたいものである。

喧嘩させても負ける中型の女郎蜘蛛、獲物はかなぶん



女郎蜘蛛の裏側

2007年7月31日 (火)

参議院選挙雑感

選挙前の各世論調査の結果からもある程度の予測はついていたのだが、自民党の惨敗という結果になった。地元長崎も知名度に於て圧倒的に勝る自民候補に民主新人が2万あまりの差をつけて勝った。まあこれで山人も慚愧の涙を流す必要がなくなりやれやれである。自民党の敗因は、総理としての資質に全く欠ける安倍氏にあるのだが、はやばやと安倍総理続投がきまった。大ブーイングが起きているが、山人は安倍総理続投大歓迎である。
多分1年以内に彼は衆議院解散の決断を迫られることになると思う。
そもそも安倍総理が実現したのは一昨年の郵政民営化選挙(経費が800億円以上かかっている)で自公民が300議席を獲得したことにある。
しかしその得票を冷静に分析すれば、小選挙区で自公民に投票した人は48%にすぎない。つまり過半数を超える52%の人は郵政民営化にNoといったことになる。
過半数取れなくても第一党になれる小選挙区制導入の目的が完全に果たされたわけだ。
しかしこれはあくまでも1人区の農村部は自民党の金城湯池であるという認識にある。
今回の選挙を見ると小泉政治の地方切り捨て弱者切り捨て政策により、かつての金城湯池にひび割れが生じている。小選挙区制は今後の自民党に「両刃の剣」となる可能性が大いにある。山人は民意が正確に伝わらない小選挙区制は反対である。中選挙区制に戻すべきだと考える。
300議席で小泉氏は有頂天になり、後継者に安倍氏を総理に指名した。
一方、民主党の小沢代表はこの結果を冷静に見ていたのだと思う。1人区を崩せば今度のような結果があり得ると冷静に分析をしていたのではなかろうか?
昨年の五月から1人区の全国行脚を始め、党首討論をキャンセルまでして地方周りをした結果が今回の勝利の大きな要因の一つといえるだろう。あとは安倍一族クラブが一人相撲をとってずっこけたといえる。
小沢さんが民主党代表になった時、安倍仲良しクラブは、小沢何するものぞと冷ややかな対応をしたものだが、小沢さんは腹の中で「馬鹿な若造らが今に見ていろとせせら笑っていたに違いない」。小沢代表の健康問題が心配だが健康である限り民主党のトロイカ体制は続くであろうし、前岡田代表も期待できる。だが民主党自体は右から左までのごたまぜである。それはそれでよいのだが、少なくともアメリカで、従軍慰安婦に関する意見広告に名前を連ねた破廉恥な国辱議員は断固として排除すべきである。
さてこれからの国会運営には目が離せなくなる。本当に安倍内閣はどこまで持つのか、後継者は誰か(後継者は自民党のためにはバランスの取れた良識ある加藤紘一さん以外ありえないのであるが、彼が総理になる可能性は1%もないであろう。ここに自民党の末期的症状が見て取れる)、民主党の対応はどうなのかが試されることになる。
憲法改正に執念を燃やす安倍総理だが現時点では沈黙を守る以外方法はないだろう。
これから本格的な政策論争が始まることを期待するものである。


「大花火大観衆の夢が散る」

「どよめきも絶えず花火も絶え間なく」

29日、花火大会を見に行った。
今まで見たこともない珍しい花火も上がり、終わってからそばにいた奥さんから「よかったですね」と声をかけられた。




フィナーレ

2007年7月29日 (日)

七月句会

猛暑の中、八十八才の病み上がりの主宰も参加されて七月句会を開催。
兼題は「サングラス」、普段掛けない人が多いので、出来不出来があり点が入った作品のみを紹介する。

寝不足の目覚めに白き花木槿   路子

 昼寝覚妻もうたた寝犬添い寝   山人

 恙無き証の汗と思ひ拭く     洋子

 コロンビア氷河を歩くサングラス 千代美

 長旅の疲れを癒す寝茣蓙かな   伯水

 夏句会メールで送る一句かな   寂水

 諏訪の杜木の間隠れに白日傘   汀子

 誰もみな美人となりぬサングラス 慶秋

ボウリング、ラージボールの会では最年長者の山人であるが、この句会ではまだ若輩者である。主催夫妻には遠く及ばない。まだまだ発展途上と心得る。

ベチュニア

2007年7月25日 (水)

梅雨明け

「梅雨明や牛にお早う樹にお早う」 布施伊夜子

「大泣きの顔はれやかに梅雨上る」 大林美智子

23日、からりと晴れ、梅雨が明ける。
気温も30度を超え、早やばて気味となる。
家で静養と思うが、また肘が痛くなり始めたので整形外科へ行く。
もう半年になるので、看護師さんとも仲良くなる。レーザー治療中に「夏は好き?」「私は7月生まれだから夏はすきよ」「俺も7月生まれだけど夏は苦手、ところで何日生まれ?」と会話が途切れない。終わってから次は低周波による電気治療を15分受ける。
普段3時頃は満杯状態なのにがら空き、先生曰く「高校野球の決勝戦のせいばい」。
(結果は昨年春の選抜準優勝の清峰高校を準決勝でやぶった長崎日大高校が優勝)
毛布やタオルを運んだり、治療跡を拭いてくれるおばちゃんが「あら髪ば切ってよか男ばい」。こうなってくると常連のおばちゃんたちと同レベルになり、行くのが苦にならなくなる。
治療が終わってから15分ぐらい歩いて泌尿科へ行く。3週前に2年に一度の前立腺ガンの血液検査を受けたのでその結果を聞きためである。データーが4以上だとガンになる危険性が出てくるということだが、山人の場合0.95、2年前が0.75、4年前が0.7。少なくとも前立腺ガンになる可能性はなさそうだ。血液検査だけでガン検査が出来るのは、前立腺ガンだけだということだが、ほかのガンも早くこうなりたいものである。
前日のボウリング例会でも 189 という今年のベストがでて、スクラッチ(ハンディなし)で14人中4位とまあまあの成績だった。今年の後半は上昇気流に乗れそうだ。

ルリマツリ

2007年7月18日 (水)

新潟中越沖地震

 新潟県中越沖大地震の被災者の方々に心からお見舞い申し上げます。
日本赤十字社では義援金の募集中です。

http://www.jrc.or.jp/sanka/help/news/1247.html

被災地では物品より現金というのが常識となっています。

地震発生時、安倍総理は長崎市にいて参院選の応援演説を15分間する予定だったが、ことわりの挨拶を1分30秒して空港へと直行した。気持ちは分かるが現実には空港で1時間あまり待たされる羽目になってしまった。
安倍内閣の支持率が28%と、もはや死に体の安倍総理であるが、この人の判断力のなさはどうしょうもない。総理としてもっとも不適格な人であろう。

それにしても大地震が頻繁に起こるようになった。
新潟近辺だけでも、
1964・6/16、新潟地震M7.5。2004・10/23、新潟県中越地震M6.8。
2007・3/25能登半島地震M6.9 。今回の中越沖地震M6.8 。と起きている。
地球という生きている星の環境バランスが崩れると、元に戻ろうとする修復作業が始まり、それが異常気象となって表れる。(と山人は思っている)
連日記事になっている地球温暖化は異常気象の原因の一つであることは間違いないが、温暖化と地震の関係は多分専門家でも分かるまい。
ただ震度6以上という大地震が頻発しているという事実があるだけである。

現在日本には55基の原子力発電所があり、国内で地震が起きていない最も安全な場所に建てられているはずである。しかるに今度の地震で柏崎刈羽原発で53件のトラブルが起きた。
一方ドイツは原発を将来全廃するということだが、地震大国日本では、まだ原発は本当に安全なのかどうかの検討さへ始まっていない。地震は今まで地震が起きていないところにも発生している。原発の間近で大地震が発生しメルトダウンしてから廃止運動が起きても手遅れである。そろそろ原発の是非についての議論を日本でも始めてもよい時期にきていると思うのだが、その兆しはまだ何もない。

誕生日夜は浜木綿の白花火  吉野義子

浜木綿(はまゆう)

2007年7月15日 (日)

初蝉

初蝉や梅雨の晴れ行く朝嵐  孟遠

先日33度と今年の最高の気温となり、翌日からさあ夏だとばかり蝉が一斉に鳴き出した。それに赤とんぼまで現れた。
若い頃は七月生まれのゆえか夏は大好きだった。七月が来るとわくわくしたものだ。
しかし今や夏は苦手である。30度を超えるともうぐったりとなる。
兼好法師の「徒然草」の中に、家を作るなら夏を過ごしやすいように考るべきである。冬はいかなる所にも住むことが出来る。暑き頃悪き住居は耐えがたき事なり。とある。「第五十五段」
妻も冬は厚着するとか対処することが出来るが、夏はどうにもならないとこぼしている。しかし山人は冬がより苦手である。血管が極細ときているので、北風にさらされると息が止まりそうになる。夏は命の危険がない分だけ冬よりましということになるのだが、あと二ヶ月半耐えるのみである。
台風四号は完全に空振りに終わった。雨も降らずやや強い風が吹いただけで何事もなく終る。台風が東側を通過するときは被害は少ない。
選挙戦たけなわである。年金問題が最大の争点になっているが、近所の奥さんも被害者だった。「洋子」とかいて「ひろこ」と読むが60才になり、二年ぐらい厚生年金に加入していたので、社会保険事務所に行くと、期間も姓もあっているのに「ようこ」はあるが、「ひろこ」はないので、これはあなたではないと言われ、一蹴されたそうだ。何回か行って本人と認めてくれたそうだが、結論として今度は5年時効で駄目だということになったと本人はこぼされていた。今回の処理で救済はされそうであるが自分たちが入力ミスをしたという反省が一かけらもない。人ごとながら腹が立つ話である。

木槿(むくげ)

2007年7月11日 (水)

住民税納付

 七夕や父口ずさむ祖母の唄   星野立子

7月7日、当地は七夕だったがもともとは五節句の一つであり、陰暦七月七日の行事であったものを陽暦の日付で行うのはまったくナンセンスである。陰暦ではまだ5月23日、梅雨最中である。天の川など見えるわけがなく、これでは夢も希望も叶わない。
仙台の七夕祭りのように一月遅れでするのがより理に叶っている。
陰暦での行事は陰暦かせめて一月遅れで行うべし、山人の持論である。

7月2日が納付期限の住民税を4日遅れて納付する。ささやかな抵抗なり。去年のブログで平成17年度の住民税、9900円が18年度は47900に上がったと怒りのコメントを書いたが、冷静に納付書を見ると、障害者控除が抜けている。すぐ電話すると、申し訳ないと言うことで、35900に減額されたがそれでもまだ三倍以上増えている。
今年は障害者控除がありながら48100円、前年より12200円増えている。所得は去年より16万ほど減っているのにである。義弟も前年4000円の住民税が35000になったということだ。住民税の値上げで怒りのあまり係員を殴ってたというニュースも聞かれた。
増税理由として、税源移譲で住民税が増えても所得税が減るから負担は変わらないという説明がされている。しかしそれはまったくまやかしである。論より証拠。所得税は去年とほとんど変わっていない。今年の所得税が34000円、去年が37000円。所得が減っているのだから所得税が安くなるのはあたりまえである。
所得が300万未満の低額所得者には増税以外のなにものでもない。
去年も言ったが税金には直接税と間接税がある。間接税は所得に関係なく低額所得者も平等に払っている。固定資産税は所得に関係なく資産分に合った税額を納めている。
所得に対する税負担は低額所得者の方が遙かに高いといえる。
この怒りは役人を殴っても何の解決にもならない。選挙で自民党に投票しないことでしかこの恨み、怒りをはらすことは出来ない。
弱者切り捨て政策は全て小泉政権になって始まった。彼は自民党をぶっ壊すといいながら日本をぶっ壊してしまった。その彼が後継者に選んだのが安倍総理である。現在の状態はむべなるかなである。
今の日本の状態に危機感を持たないのは、社会保険庁の役人どもと同罪といえる。
だがかような現状を招いた最大の原因は、政治に無関心であり、投票に行かない人たちが、今の自民党政治を支えているのである。
3月の地方選挙の時、友人に誰に入れたかを聞くと、「選挙なんか行かないよ、行っても変わらんたい」といわれ、本気で蹴飛ばしてやろうかと思った。普段はにこにこしている山人の目が三角になったのに恐れをなしたのか、彼は私からしばらく遠ざかってしまった。 選挙で棄権するより自民党に投票する方が遙かにましである。
とにかく棄権することだけは止めようではないか。

「すべての政治は利害関係を持つ人間の大半の無関心に基礎をおいている」ヴァレリー

石榴(ざくろ)の実

2007年7月 5日 (木)

久間氏辞任

「アメリカの原爆投下はしょうがない」発言の責任を取って久間防衛相が辞任したが、当然であり本来ならば議員をも辞めるのが筋であろう。30日の発言以来安倍総理の対応はお粗末の一語に尽きるが、もともと自衛のための核兵器は所持して良いという考えを持っていたA級戦犯の祖父岸信介前首相を一番尊敬している安倍総理である。この程度の発言は「問題ない」と本当に思っていたとしても不思議ではない。
この発言が選挙前ではなく昨年の支持率60%の時であればまったく問題ないで終わったと思う。久間氏も爆死された多くの犠牲者や被爆者に対するお詫びの辞任ではなく自民党、公明党に参院選で迷惑をかけそうだからしょうがなくて辞めたのが本音であろう。もし本当に原爆犠牲者の方々に済まないという気があるならば、長崎の原爆資料館を訪れる等の方法があったはずなのに、久間氏は選挙区の島原で釈明をしただけである。
安倍総理が四月訪米の際、従軍慰安婦問題でブッシュ大統領や上下両院幹部に謝罪をしたということだが、「ブッシュ大統領は慰安婦ではない、謝る相手が違うだろう」とアメリカの識者から批判を受けたのと同じ類である。
安倍総理!かかる事態の時にこそ、「慚愧に堪えない」とコメントをすべきである。分かっていないものに言っても「しょうがない」かな!


久しぶりの眼鏡橋

2007年7月 1日 (日)

慚愧(ざんき)に堪えない

慚愧(自分の言動を反省して、恥ずかしく思うこと)大辞林。
日本という国から今や消滅しつつある言葉がある。それは「恥」という言葉である。
なんとなれば、それは日本の政治経済に責任ある人たちから消えてしまったからである。羞恥心という言葉は死語と化している。
この普段使われない「慚愧」という言葉を二度ほど新聞で見かけた。
一回目は自殺した松岡農水相が自分の有力な後援者が自殺したとき、そして二度目はその松岡農水相が自殺したとき、安倍総理が沈痛な表情で「誠に慚愧に堪えない」と述べた。この人は慚愧という言葉を知っているのかと思ったが、一国の総理大臣が慚愧という言葉知らないわけはないからそのまま素直に受け取ることにした。つまり疑惑を自ら解明することなく、自殺という手段で闇の中に葬った松岡農水相を大臣に任命をしたことを恥ずかしく思うといったということになる。しかしこれでは松岡氏はうかばれまい。
石原都知事が「彼は侍であった」と賞賛したように、安倍総理に迷惑がかからないようにと思って死を選んだのに恥ずかしいといわれてはたまらない。多分彼は草葉の陰で泣いていることだろう。
脇道にそれてしまったが、長崎県選出の久間防衛相が講演で「原爆投下はしょうがない」と述べたが長崎市民であり被爆者の山人としてこのような人間を長崎県から選出したことは『誠に慚愧に堪えない』。
今長崎や広島で取り組まれている原爆問題は、アメリカの原爆投下に対する謝罪要求ではない。長崎の高校生による「核廃絶一万人署名」に見られるように核兵器を廃絶し二度と地球上で使わせてはならないという運動が主流である。
しかるに広島、長崎の原爆投下がアメリカにとってやむを得ないことであるならば、核兵器を持っている国の指導者がやむを得ないと判断したら使ってもいいということになる。これは失言では許されない。昨年自民党の中川政調会長と麻生外務大臣が核兵器保有論議を持ち出し厳しく糾弾され沈黙をしてしまったが、久間防衛相の発言はこの二人より遙かに悪質であり許されることではない。これは言葉狩りでは決してない。原爆被害の実態を数字だけで理解して原爆資料館を克明に見ていないのでる。彼は平和祈念式典に毎年参加しているそうだが、多分居眠りでもしているのであろう。
アメリカが日本の敗戦はもはや時間の問題という中での二発の原爆使用は、核兵器の人体実験をしたのであり、このことを否定することはできない。
本当にアメリカがいう戦争終結のためだけの原爆投下ならば広島だけで十分であったはずだ。長崎に落としたのは実験として不十分であったために、広島のウラニュウム爆弾ではなく、プルトニュウム爆弾を長崎で投下しその違いを知りたかったのだと思う。アメリカがドイツで原爆を使用していたら核兵器廃絶運動はもっと違ったものになったであろう。
しかしアメリカが同じ白人種であるドイツに使用することは決してなかったと思う。
当時では生意気なイエロウモンキィである日本人に原爆を投下するのに、トルーマン大統領は何のためらいも感じなかったはずだ。
原爆が人体実験であったことは、投下後から克明な記録をアメリカが取っていることからも分かる。
ABCC(Atomic Bomb Casualties Commision)、原爆傷害調査委員会が広島、長崎に設置され、(現在は放射線影響研究所として日本政府と共同してその活動は続けられている)
サンプルとしての被爆者が克明に(被爆距離ごとなどに)分類され二年に一度の検査が続けられている。
私にとってアメリカの原爆投下は絶対に許すことの出来ない神をも恐れぬ犯罪である。歳を取るにつれてこの怒りは増してくる。アメリカが原爆投下を間違いだったと謝罪し、核兵器を廃絶するまでこの怒りは決して消えることはない。
久間氏は今度の参院選にサッカーで有名な国見高校のサッカー指導者であり校長にもなった小峰忠敏氏を担ぎ出した。長崎県民の知名度8割という名をとったのだろう。サッカー一筋に生きてきた人を唯勝てそうだというだけで担ぎ出す無責任さ、担ぎ出される無責任さにあきれるだけである。これで長崎県民が小峰氏を選出するようであれば、山人はまた「慚愧に堪えない」とコメントしなければならない。
久間氏の発言撤回要求などが出ているが撤回ですむような問題ではない。普段思っていることを口に出しただけである。久間防衛相にはただ「レッドカード」あるのみである。
直ちに退場して欲しい。それが最善の道である。

被爆者の声(広島、長崎で被爆された方の生の声を聞くことができます)
http://www.geocities.jp/s20hibaku/

「人間の価値の一つに恥というものあり、恥ある人間は容易に罪悪に落ちず」ユダヤ教典

2007年6月27日 (水)

六月の句会

 六月の句会は、88才の主宰が入院されたため句歴20年の山人が司会進行を勤める。
句会のやり方は、各人が短冊(広告紙を短冊に切り裏を使う)に六句無記名で投句し、それをかきまぜ、清記用紙(六句)に各人が書き写し、清記用紙に番号を振り各人に 回す。各人は清記用紙の中から良い句だと思った句を自分の選句用紙に書き留めてゆく。六句を選句し、一番良い句だと思った句を特選にする。選句が終わると一人一人自分の 選句を発表する。各人が清記用紙を持ち自分の持っている清記用紙に読み上げた句があれば選句欄に選句者の名前を書き込む。全員の発表が終わると清記用紙を集め、主宰が特選句から点数が多い順に読み上げ、主宰の講評、選句者の選んだ理由、各人が感想を述べ る。そして作者が名乗りをあげる。
「えーあなたが…」という例が結構あり、興趣はつきない。俳句は作句より選句が難しい。未だに良い句の取り損ね、見逃しがある。大体選句でその人の実力が分かる。世間から先生といわれている人もなんだこんな句を取っているのかと思うことしばしばである。
歳時記を持っている方は、季題の例句から自分はこの句が一番と思う句を選ぶという楽しみ方もある。歳時記を持っていない人は、新聞の俳句欄から選者はこの句を一番だとしているが、自分ならこの句が特選だという読み方をすれば、お金もかからないし頭の体操にもなる、ぜひお試しあれ。
今月の兼題は「蟻」、事後主宰に見ていただいたがやや低調であるという評を得た。 (雑詠でも構わない)

 餌運ぶ蟻の群れ避け掃きにけり   路 子

 卓上へ遙かな旅の蟻を吹く     山 人

 何処より湧き何処へか蟻の道    洋 子

 蟻の道風の道あり小庭にも     千代美

 立話する足元に蟻の列       伯 水

 彷徨える蟻の姿や我が姿      寂 水 彷徨(さまよ)える

 今日も又倦むこともなく蟻の列   汀 子

 ひたすらに唯ひたすらに蟻の列   慶 秋

清記用紙、上欄が選句者、下欄が投句者。主催に郵送したのでしわになってしまった

植えた覚えがない可憐な名無し花

2007年6月22日 (金)

ボウリングの日

6月22日は「日本ボウリングの日」というわけで、ざんざん降りの中、妻と義弟の三人でボウリングに行く。
普通の日だと1ゲーム350円が、この日は1ゲーム220円なので5ゲームもする。
5ゲームのアベレージが147だったから、調子は少し上向き加減、三月から変えたフォームも少しかたまってきたので、例会は期待できそうである。
(また口ばっかり本番には弱いくせに、という人もいるのだが)
ところでボウリングのルーツは古く、紀元前5200年前のエジプトの遺跡から石製のピンらしきものが発見されていてこれがボウリングの用具ではないかといわれているそうだ。
現代のボウリングは16世紀のドイツの宗教改革家マルティン・ルターが競技ルールの基礎をつくったといわれている。(日本大百科全書より)
日本で最初のボウリング場は、1861年(文久元年)6月長崎大浦の外国人居留地に国際ボウリング場がオープンした。そしてこのボウリング場の開設を知らせるため英字新聞に広告を掲載した日(6月22日)が「ボウリングの日」とされている。
またボウリング場では高級ワインとか酒も提供され、外国人たちの親睦を深める重要な社交場として利用されていたようである。
ついでに今年の長崎歴史文化観光検定三級合格者の山人としてもう少し「長崎ことはじめ」をひけらかすと、バドミントンは出島のオランダ人たちが1780年代に楽しんでいたという記録があり、現在の出島のオランダ商館跡に「バドミントン伝来の地」の碑がある。
また「けん玉」も1777年中国人から長崎に伝えられ、全国に広がったといわれている。じゃんけんも元禄年間に中国から伝わっている。
またチョコレートは、出島出入りの日本人たちや丸山遊女たちが茶を飲むようにのんでいたといわれる。
「長崎ことはじめ」はこのほかに、まだまだいろいろとあるのだが今回はこれにて失礼仕る。

あじさい1
あじさいは鎌倉も有名であるが長崎が本場である。市花でもある

あじさい2

あじさい3

2007年6月11日 (月)

小学校のクラス会

ここ十年、小学校のクラス会を一泊二日で毎年開催している。今年は平戸である。
21名の申し込みがあったのだが、直前に3人が欠席となった。二人は病気であるから
いかんともし難い。今年は古希を迎える年だから明日何があってもおかしくない。
ということで18名の参加となった。亡くなったものはいないが、寡婦はまた一人増えた。女性12名の内6名が寡婦。ただしみな元気である。寡婦一年未満はさすがにしょんぼりしているが1年たつと元気になり年々若返っていく。われわれの少年時代は男の方が断然威張っていたのだが、いまや立場は逆転しつつある。
しかし4、5年前とはちょっと様子が変わってきた。大体出席するものは元気なものが多いのに、今回は膝、腰に痛みを感じるものが四五人いた。杖をついているものすらいる。皆女性陣である。
昨年から左肘の痛みがだんだんと強くなってきたので、整形外科に通っているが、テニスエルボウといわれた。テニスは一番はまったスポーツだが、もう止めて20年近くなり、左肘だしテニスとは関係ないのにというと、テニスとは関係なく起こると言われた。
結構はやっている外科だが、患者の8割が女性で、70才以上が多い。骨密度が低くなると
膝、腰に痛みがくるらしい。自分らがそうゆう歳に成ったということだろう。
ちなみに山人の骨密度は30代だったので、ラージボール、ボウリングは当分楽しめそうである。牛乳を1日300ccは飲んでいるのがよいのかもしれい。
10年前はマイカー四、五台で行っていたのだが、事故でも起きたらということで、近年はマイクロバスで行くことにしている。会費が高くなるが安全だし疲れが少ない。
だが平戸は遠い、県内なのに初めてという人が結構いた。
メインは観光巡りより、夜の懇親会なのだが、今回は宴会の進行係が病欠したのでカラオケもなし、食事が終わると、一部屋に集まり飲んだり食ったりぺちゃくちゃとおしゃべりを楽しむ。山人は今回二回目の参加という女性二人と話す。私とは話しやすいのか家庭状況をくわしく話してくれた。
男はホテルに着くとすぐ風呂にはいるのだが、女性陣はすっぴんに耐えられないのであろう、着替えをしない。寝る前に風呂に入るので男女のおしゃべりは十時で終了。男だけで1時近くまで盛り上がる。そろそろ誰が一番生き残れるかという話も出てくるが、皆まだまだと思っているので余裕がある。お前が一番長生きしそうだと二人から言われたが、こればかりは神のみぞ知るである。
「生かされし身かとぞ思う枇杷熟るる」という心境でいる。
またおかしな事がある、ここ四五年毎回参加している男だが、卒業写真に写っていない。何でだと聞くと、6年になって転校したという。誰もそんなことは覚えていない。本人が言わなければ誰も気付かなかったであろう。4,5,6年とクラス替えがなく、二年間一緒にいたから、その思い出が強かったということだろう。
翌日、生月島を観光して帰途についた。
来年は食事中の話し合いで中学の修学旅行で行った阿蘇にほぼ決定した。

   「長寿のすすめ」

人の世は 山坂多い 旅の道 節目の齢に お迎えが来たら

還暦 60才(六十年で十干十二支の組み合わせが一回りすることから)…これからが人生面白い    

古希 70才(唐の詩人、杜甫の詩「人生七十古来稀なり」より)…やりたいことが山ほどある 

喜寿 77才(喜の草体が七十七読まれることから)…そう急ぐな騒ぐな慌てるな

傘寿 80才(傘の略字が八十と読めることから)…なんのまだ世間の役に立つ 

米寿 88才(米の字が八、十、八に分解できることから)…もう少しお米を食べてから  

卒寿 90才(卒の通用異体字が九十と読めることから)…卒業するには修行が足りぬ 
 
白寿 99才(百の字から一を引くと白になることから)…百才のお祝いが済むまでは

茶寿 108才(茶の字の草冠を二十、その下の部分を米という字に見立てて八十八、合わせると百八になることから)…まだまだお茶が飲み足りぬ  
 
皇寿 111才(皇の字を白、一、十、一に分解。九十九を表す白に一、十、一を足すと百十一になることから)…あと一息がんばれば日本一 

珍寿 百十二才(百十二才以上は珍しいため)…ギネスブックから問い合わせ
   
まだ早いよ ゆっくり歩いていきましょう
花を咲かせましょう
実をならせましょう

元校長先生が配ってくれました。有りがたや!有りがたや!


佐々皿山公園の花菖蒲




平戸川内峠から




生月島の大魚藍観音像、ブロンズ像では日本一とか。




生月島、塩俵の断崖。

2007年6月 6日 (水)

運動会

「待ちに待ちたる運動会来たれり来たれりあぁーあ愉快………」
と山人達の小学校の運動会の時は最初にこの歌を必ず歌い、そして終わってから
「待ちに待ちたる運動会終われり終われりあぁーあ愉快……」と歌っていたものだが
最近は歌われることは無いようだ。
運動会は秋の風物詩であったのに今や梅雨前のこの頃に行われている。
「卯の花腐し(卯の花を腐らすような長雨)」と俳句の季題にもあるように結構雨が降ることが多いのに、この時期に小・中学校の運動会をと指導する教育委員会には納得がいかない。
6年と5年の孫の運動会を末娘と二人で応援に行く。妻は同窓会で長崎にはいない。
いつぞや「運動会今年五等と胸を張り」と詠んだ五年の男の子は三等、六年の女の子は
「一等やったばい」と初めての一等に、ご満悦であった。
しらけた現代っ子が多い中、賞品も表彰もないのに競争心は人間の本能なのか子供達は真剣そのものであった。それにつられたのか父兄のリレーもあったのだが転倒者続出という力走ぶりだった。
競技は女の子のクラスの後ろから眺めていたのだが、二人の子が応援歌らしいのを楽しそうに歌っているのに気づいた。別に何の違和感もないのだが、先生が定期的にこの二人の所に来るので「おや」と思った。一人が軽い障害児で一人の子がその子のおつきあいをしていたと思う。それが世話している感じではなく、まったく同レベルで楽しんでいるので不自然な感じがまったくしない。先生が見回りに来なかったら気付くことはなかったと思う。ただこれだけの話だがこれはすごいと思った。そこには同情とかいたわりとかそんなものは何もなくただ二人でがんばれがんばれと楽しんでいるとしか見えなかった。
「やるものだな。流石我が母校」と妙に感動してしまった。
孫娘が「障害児がいるけどいじめるような子は誰もいないよ」。と、どうしてそんなことを聞くのと怪訝な顔をされた意味がよく理解できた。6年間の付き合いがあるからこそ、自然体での対応ができているのである。
当日は小学校のクラス会のため監事は12時半集合だったので早めに退散したのだが、なんともいえない爽やかな気分で学校を後にすることが出来た。


オーエス!オーエス!



女子の組体操

2007年5月29日 (火)

竹馬の友

山人が三歳から八歳の時まで家の前に住んでいた竹馬の友Tさんが、ご夫妻で来崎され61年ぶりに再会することが出来た。
Tさんは山人より四歳年上であり、男の兄弟がいなかった私にとって兄のような存在だった。大学教授の息子でありよく学び、よく遊ぶという品行方正な少年であり我が家でも父母の信頼あつい少年だったと思う。
彼の消息が分かったのは、昨年、千葉県に住んでいる義兄から「昔家の前に住んでいたというTさんを覚えているか」と電話があり、Tさんが今自分が所属している会に入会され、話をしているうちに山人の家の前に住んでいたことが分かり、お互いに驚愕したという話であった。
しばらくしてTさんから手紙が来て、メールのやり取りはしたものの何しろ60年間会ったことがないのだから現実味に乏しかった。
今月に、長崎へ行くから少しでも時間を割いて欲しいとメールがあり、では夕食でもご一緒にという話になった。
ホテルのロビーで待ち合わせることになり、妻と共に出かけた。なんせ61年ぶりである。分かるのかなという一抹の不安があったが、無用であった。Tさんではという間もあらず「やあ」と言ってすぐ手を握ってくれた。妻同士を紹介してあとはもう60年の空白は消し飛んでしまった。ホテルの近くの水辺の森公園を散歩して、出島ワーフへ行き、港を眺めながら、中華料理を食べながら、三時間ほどの楽しいひとときを過ごすことが出来た。
話はやはり昔話が多かったが、60年という空白の期間が消滅して、少年時代から現在の時がドッキングしてしまうという不思議な感覚を持った。奥さんとも長年つきあって来たかのように話せたし妻同士も昔からの知己のようにうち解けて話をしていた。
Tちゃんとの記憶が途切れたのは、昭和20年8月9日11時2分、山人が隣家のKちゃんの家で一緒に被爆して以来消えてしまった。そのときはTちゃんはすでに引っ越しをしていて偶然遊びに来ていた時に被爆をしたということだった。
Tちゃんは小学6年生で同じ学校だったが、原爆で校舎が全壊したため5年以下は解散、6年生だけ残り、大学の校舎を借りて卒業をしたそうだ。それから中学1年まで長崎にいて山口県へ引っ越しをしたので、以来戦後の混乱もあり完全に縁がきれてしまった。
彼は絵がうまく、よく私たちに日本の戦闘機、隼、零戦、飛燕やアメリカのP−38、グラマン、軍艦の精密な絵をよく描いてくれた。しかし今やかっての軍国少年の面影はなく、被爆者のための世話役をされいる。
竹馬の友は良きかなである。俳句、ラージボール、ボウリングでは小学校からの友が二人いるし、高校時代3年間同級でお互いの家に泊まったりして一番仲が良かったK君も、去年リタイアして以来3回も遊びに来るようになった。幼なじみは本性を知っているので安心してつきあえる。Tさんとはこれから新たなより深い付き合いが始まるだろう。
山人の口癖である、「年を取るのは悪いものではない」これ実感である。


Tちゃん、N子ちゃん、近所の奥さんとその子?




Tさんのスケッチ「世界の艦船」より





2007年5月20日 (日)

五月句会

眼鏡橋写真頼まれ街薄暑

半袖姿が目立つ少し汗ばむ今日この頃、
五月句会が、全員出席で開催された。

客の居ぬ茶屋抜けてゆく若葉風 路子

初夏が好き齢忘れて町へ出づ  山人

少々の流行遅れ更衣      洋子

若葉風一年生のランドセル   千代美

廃屋や今年の夏も草の中    伯水

万緑へ飛びこみ去りぬ鳥一羽  寂水

チャイム鳴り宅配便と青葉風  汀子

ふる里の香を切り分くる粽かな 慶秋

(九州の粽は笹の葉等で包まない。20�ぐらいの
棒状なので糸や包丁で切り分けて、きなこや
砂糖を振りかけて食べる)、作者は東京の人。


散歩道



魚を待ち受ける鷺、この日は不発。
いつぞやかなり大きな鯉が来て飲み込もうと悪戦苦闘の末、
ついに吐き出すという面白い現象が見られた。この後鯉は無事泳いで行きました。

2007年5月15日 (火)

我が家はBO家族

 木洩れ日に濃淡ありし若楓

 縁先の木洩れ日揺らす若葉風

血液型による性格判断が盛んであるが、その科学的根拠はまったく証明されていない。
これは日本だけの現象で欧米では血液型を聞くとお前は医者かと不審がられという事だからご注意である。本来テレビなどの公共放送では科学的根拠のないものを放送することは出来ないはずなのに、面白ければ視聴率が稼げるとばかりに、占い師などが我が物顔で偉そうなことを言っているが腹立たしい限りである。もし占いが当たるものならば、それは神の領域を侵すものである。もっと謙虚に薄暗い部屋の片隅で神に見つからぬように、顔を隠して占うのが本筋であろう。ほとんどテレビは見なくなったのでなんとも言えないが多分NHKでは占い、血液型性格判断の放送はなされていないと思う。
まったく最近の番組捏造問題など民放テレビの質の低下は救いようがない。

インターネットで血液型の比率を調べたら以下のデータがあった。

         A型  B型  AB型 O型
日本       40%  20%  10%  30%
中国(北京)    27%  32%  13%  32%
韓国(ソウル)   30%  26%  10%  26%
米国(ボストン)  40%  11%   3%   46%
英国(ロンドン)  45%  14%   5%   36%
豪州(西ウエスタン)39%   0%   0%   61%
スイス(ベルン)  50%   8%    3%  39% 
仏国       45%   9%   4%  42%

世界ではO型が一番多いということだが、日本ではA型が一番多く、B型は10人中2人という割合になる。
山人の場合、父母、姉妹5人、子供4人、孫4人を見ると、B型9人、O型5人、A型1人となっている。
小学校からの友人でラージボール、ボウリング、俳句とつきあいのある二人の友人もB型。知り合って三年目になるラージボールの仲間11人のうち、B型6人、O型3人、A型2人。山人と家族以上の付き合いであるR・MD夫妻は、O型とB型、ゴールデンウィークにテニス、卓球と一緒に楽しんだ長男、三男もB型である。ちなみに次男もB型。山人の仲人であり、俳句会の主宰でもあるO夫妻もB型とO型、妻と弟二人もB型、三十年以上の付き合いがある親しいご近所の奥さん3人もB型2人とO型、妻がPTAを通じて知り合い、会えば私も立ち話する二人の奥さんもB型、と書いてきて嫌になってきたが、付き合う前に血液型を聞くわけがない。親しくなって偶然分かった話である。
「類は友を呼ぶ」というが、山人の場合「BO血液型は友を呼ぶ」というのが山人には当てはまる。
日本ではB型の人気が悪く韓国でもB型は敬遠されるというニュースをインターネットで見たことがあるが、山人の周りのB型は山人本人も含めて、皆々例外なく好い人ばかりですぞ。私が言うのだから間違いない。

血液型による性格診断など全く信じない山人であるが、知らない人とコミュニケーションを取るには恰好の話題であるし、よく使わせて貰っている。
私の結婚式の時、私の血液型を全く知らない友人から、「彼は徹底的にマイペースを貫く人間である。」と言われて、自分では付和雷同型で協調性が売りと思っていただけに驚いたものである。
最後にもう一度、血液型による性格判断には全く科学的根拠が無いことを断言する。

2007年5月 9日 (水)

立夏

初夏がすき森羅万象我と有り

6日が立夏だった。暦の上ではもう夏である。俳句を始めて早20年になる。それまでは夏は、6,7,8月という感覚であったが、俳句を始めてから「立夏」から「立秋」までが夏という季節感がしっかりと染みついてしまった。特に初夏という言葉はこの五月でしかあり得ない。6月は初夏という感じではない。新緑のみずみずしい美しさは、生命の躍動を感じさせ見飽きることがない。

新緑に命かがやく日なりけり   稲畑 汀子

白雲を吹き尽したる新樹かな   椎本 才麿

それぞれに名のりて出づる若葉かな  千代女

万緑の中や吾子の歯生え初むる  中村 草田男

さて5月になると始めることがある。それは物を捨てることである。とにかくものを捨てることが出来ない。二畳ほどの書斎?は物置と化している。
何とかしようと思ってはいたものの、大病が重なり手が着かなかった。ということに
なっている。それでも数年前からぼちぼちと捨てきれぬものを処分している。
父の遺品の100枚以上のSPレコード、ワインガルトナー、メンゲルベルグ、フルトベングラー、ワルター、シゲティ、ギーゼキング、等々の顔つきの名盤をゴミとして捨てることは出来ない。ほか私が集めた300枚近くのLPレコード、2000枚を超えるCD、(八割がクラシック)それぞれに思い出があるから捨てるのは至難の業である。それでもSPレコードはSPレコードコンサートで偶然に出会った知人に引き取ってもらうことが出来た。今年はLPである。友人のR・MDが引き取っても良いと言っているので気が変わらないうちにと思っている。床にまである本は当分手付かずであろう。真夏になると捨てる気力が失せてしまうので6月までが勝負である。
死んで子供たちからがらくたとして捨てられるより、自分で処分した方が本やレコードたちも幸せであろうなどと考えている今日jこの頃である。

捨てきれぬものを捨て去り梅雨にいる 

とかようになればと思ってはいるのだが?


新緑



初夏の眼鏡橋。小学校の家庭訪問が始まり、授業が昼までなので川で子供たちが遊んでいました。

2007年5月 2日 (水)

蜂群崩壊症候群(CCD)

きらきらと八十八夜の雨墓に 石田 波郷

筆置いて仰ぐ前山夏近し   北村勢津子

異常気象に異常な興味を持っている山人だがこんな異常なニュースは初めてである。
4月14日の毎日新聞の載ったニュースだから読まれた方は多数いると思う。
これに関連するニュースがないか探していたのだがこれ以降見あたらないので忘れられないうちにと思ったので紹介する。

『ミツバチ労働放棄?』

「免疫機構の弱体化か・・・・米で原因不明の大量失跡」

養蜂業者が飼育するミツバチが巣箱から大量失跡する原因不明の現象が北米に広がっているそうである。全米50州中の27州とカナダの一部で報告されいるから北米大陸全土で起きていると言えるであろう。
「管理している蜂群の9割を失った業者もいる。ミツバチが受粉を行っている農作物は年間150億ドル(約1兆8000億円)相当とされ、過去に例を見ない異変による深刻な影響も予想される。農務省や研究機関は原因究明を目指した作業グループを共同で設立、連邦議会の公聴会も開かれた」『毎日新聞』。
このニュースで『過去に例を見ない異変』というのが異常の最たるものである。
過去にも鳥とか動物がある地方で異常な行動を取ったという報告はいくらもあると思う。しかしこのニュースは北米大陸全土で起きているのである。
しかもミツバチという限られた行動範囲しかとらないものが北米大陸全土で起きているているというのが不気味である。これは何か大きな異変の前触れと言うより、もうすでに何かが起こっているのである。
この現象は2〜3年前から報告されだし、昨年秋から頻繁に報告されるようになったとある。
[飛び立ったミツバチが巣に戻らない現象を「群崩壊症候群」(CCD)と命名された]
国の機関が原因究明に当たると言うことだから、いづれ飛び立ったミツバチがどのような行動を取ったのか報告されると思うが過去に例を見ない事態だから大きな関心をもって見守りたい。
ミツバチが巣に帰るという行動は生態を維持していくための本能である。女王蜂と雄蜂だけでは蜂群は生きてゆくことが出来ない。本能が壊れたら蜂は死滅するしかない。
この現象が養蜂のミツバチだけなのか、野生の蜂はどうなのか、同じ帰巣本能を持っている蟻はどうなのか課題はいっぱいある。
地球温暖化による異常気象などのニュースは連日取り上げられるようになってきたが、これからは生物の異常事態についてもマスメディアは、アンテナの感度を高めて、見逃すことがないよう報道してもらいたいと思う。

今地球は大変な事態になりつつある。そうは思いませんか?

2007年4月30日 (月)

四月ボウリング例会

 旅せんと思ひし春もくれにけり 高浜虚子

先週の日曜日、土砂降りにもかかわらず12名も参加。
中にはタクシーで来た熱心な人もいる。
この会は賞品もなにもない。試合が終わって全員集まり成績発表をするだけである。
成績表は山人がエクセルで打って翌月に配布する。ストライク、スペアの数まで表記する。
初心者にはベテランがゲーム中でもアドバイスしてくれる。
とにかく成績よりもボウリングを楽しむのがモットーである。
山人が最年長者だがまだお荷物ではない。何才まで投げられるかチャレンジである。

    NAME  HG    LG   HD   小計   合計
1   じん    164   125  220  576   796
(四ヶ月ぶりの優勝だが本人としては不本意な成績)
2,  なお    125   88   376  420   796
(三ヶ月トップだがまだまだ)
3、  とし    189   165   72  722   794
(アベレージ通りの成績)
4,  けい    107   86   416  374   790
(やっと少し上昇気流に乗る)
5,  みほ   155   109   252  524   776
(本来の調子に戻りつつある)
6,  しげ   174   140   116  621   747
(二回目の参加だがアベレージを越えられず)
7,  たけ   185   132   116  621   737
(体調が悪く)
8,  まつ   168   122   136  578   714
(一年ぶりの参加だからこんなものかも)
9,  やす   135   102   240  469   709
(マイボールにまだなれず、シューズも変える、凝り性)
10  たか   163   106   160  526   686
(タクシーできたのに、106が痛い)
11  さだ   158   118   112  563   675
(絶不調)
12  みち   103   83   260   367   627
(二日前の練習ではよかったのに、ワーストが出る)

レーンコンディションが極端に悪く皆出入りの激しいボウリングになった。
同ピンの場合はハンディが少ない人の勝ちとなる。

2007年4月29日 (日)

四月の句会

人それぞれの春愁を乗り越え四月の句会は欠病者もなく無事終わる。

町騒の中の汽笛に春惜しむ    路子

街角で呼び止められて甘茶酌む  山人

退院も間近に迫り花は葉に    洋子

崩るゝをこらゆる牡丹真紅なり  千代美

若葉萌え小さき庭の日々狭し   伯水

投げ網や円を描きて春つかむ   寂水

散る花や市長を悼む半旗立つ   汀子

花屑の動くは鯉の動きたる    慶秋


雀等の朝餉に集うサクランボ
(朝から五六羽の雀が突いています)

昨秋の塩害の影響か例年の三分の一ぐらいしか実が付かなかった。



ライトアップされた「プラダ」


ライトアップされた「海王丸」と「日本丸」

セイルドリル

27日、ロシアの帆船プラダのセイルドリルを見に行った。1時からスタートと書いてあったのだが10分ぐらい遅れていったところすでに帆は9割方張りあがっていた。
なんでも12時45分ぐらいから始まり船が小さいせいか30分ぐらいで終わったそうである。(海王丸は1時間はかかる)
(日本丸と海王丸のセイルドリルは28日、この日は俳句会なので行くことが出来ない)


ロシアの帆船プラダ。着いたときはこの状態




対岸から








セイルドリルが終わって一服。ああ疲れたばい。




搭乗口の可愛か当番兵。

2007年4月27日 (金)

長崎帆船パレード

一年に一回、頭のMRIを撮っている。11年前下垂体腫瘍がある。と言われたときのショックは忘れることが出来ない。
術後、腫瘍は全部取れなかったので、あなたの寿命と腫瘍がまた大きくなるのとどちらが早いかで再手術するかどうかが決まる、と言われる。
その後毎年MRIを撮っているが、昨日の結果は、11年前とほとんど変化がない。
今のところは再発の心配はありませんということであった。
陰惨な事件があったばかりだし気分がすぐれないなか、また気分が良くなり、今日は帆船パレードがあることを思いだし水辺の森公園に行く。
ちょっと出遅れたので岸壁は割込むのが難しいぐらい人でいっぱいである。やはり港町、老若男女あらゆる人たちが集まっていた。帆船は海の貴婦人と言われるがその優雅な姿は海のロマンを感じさせる。見物に来た人は皆幸せそうであった。

帆船のゆるりと来たり春港


来た!来た!



まず先導船が三色の水煙を噴き上げながらやってくる。



先頭は日本丸、その後が海王丸、またその後がロシアの帆船、プラダ


ロシアの帆船、プラダ。右は観光丸。

隣にいた見知らぬ同志のおじさんとおばさんの会話。
「あのカラスのごたるとはなんね」
(あのカラスのように見えるのは何)
「あいは乗組員の投檣礼(とうしょうれ)たい、船員のわかうしてかわいかとよ」
(あれは乗組員の投檣礼よ、船員が若くて可愛いよ)
「ふーん、目のわるかけんカラスに見えたばい」
 (目がわるいからカラスに見えた)


投檣礼(とうしょうれい・出港の時、乗組員がマストに上り別れの挨拶をすること)

2007年4月25日 (水)

長崎市長選挙結果

一週間前は、市の一課長だった田上氏が今日から長崎市長として公務に当たる。
山人もそうだったが、私の周りの人ほとんどが田上(たうえ)氏に投票したようだ。
凶弾に倒れた前伊藤市長の死を悔やむ気持ちは誰でもが持っている。
しかし市長に世襲制などあり得ない。家族全員が喪服を着て伊藤さんの女婿に付き添う姿は同情はされても市長選挙にはそぐわない。
女婿の落選が決まり、長女がこれでは父は浮かばれない今までの父は何だったのかと、怒りのコメントをしていたが、これは全く勘違いである。今は冷静になれと言っても無理だと思うがいずれ立候補自体間違いだったことが理解されると思う。

投票前にも田上さんが部長目前であったとか、「長崎さるく博」の立案者だったとか情報は入っていたのだが、知人で田上さんと同期であるという市役所の人に聞いたところでは、人柄にはまったく問題はなく、彼を悪く言う人は誰もいないということだった。
しかし人柄が良いだけでは市長は務まらない。その人柄の良さにつけ込むものが必ず出てくる。
それに長崎市長は核兵器廃絶を世界に発信する使命がある。早く良きスタッフを集めて故伊藤市長の無念をはらし、良き市政を願うものである。これからの田上市政に注目したい。


春の川

2007年4月20日 (金)

長崎市長凶弾に倒れる

17日、町内会の役員会があり私が会計を担当しているので会計報告をして、監査を受けているときに役員の奥さんから伊藤市長が銃撃され心肺停止、意識不明という報告をうけた。 ・・・・・・・・・・

そうして19日、凶弾に倒れた長崎市長、伊藤一長氏の葬儀がしめやかに行われた。
謹んで哀悼の意を表し心からご冥福をお祈り申し上げます。

この事件に関しては各新聞で各識者の方が多数コメントされているので、私があらためてコメントすることは差し控える。
ただ一つ注目したことがある。それは安倍首相がどのような発言をするかだ。
なぜなら昨年8月、小泉首相の靖国神社参拝を批判する自民党元幹事長の加藤紘一氏の実家が右翼から放火される事件があったが、当時の小泉首相と安倍幹事長は「ざまをみやがれ」靖国参拝を批判したお前が悪いといわんばかりに、二週間ほどこの件を無視することがあった。
それで現在の安倍首相がどのような見解を述べるのかに注目をした。
19日の長崎新聞に、
『銃撃に「真相解明を」だけ 首相発言に批判続出』
という見出しで事件発生当日に「真相究明を望む」としかコメントしなかった首相に、
18日、「危機感が感じられない」と民主党の菅さんなどから批判が相次いだ。とある。
その後記者側の追加コメントに首相側は対応せず伊藤市長の死亡が確認された18日朝に
「選挙期間中の凶行は民主主義への挑戦で断じて許すわけにはいかない」とコメント。
その批判が続く中、同日午後、官邸で先月下旬パリ公演を成功させた歌舞伎の市川団十郎さんらの訪問を受け、「美しい日本の心を海外にこれからも伝えてほしい」と上機嫌だったとある。
こんな首相に日本の未来を託す日本という国は悲劇と言うより、喜劇である。
これでは伊藤市長も浮かばれることはできないであろう。
長崎、広島の市長は核廃絶を訴え続けるという宿命を帯びている。
安倍内閣の建前はどうであれ、本音は核装備をして近隣諸国特に北朝鮮の恫喝に使いたいと思っているのでは、という私の思いをこの事件で垣間見る思いがしたのである。

「伊藤市長さん。申し訳ありませんが、しばらくの間成仏するのを止めてどんどん右傾化していくこの国に歯止めをかけてください。お願いいたします」合掌。

 この国の行き先見えず春深む 西国山人

2007年4月14日 (土)

春のチャーチル会(長崎)

 うらゝかや展覧会の案内来る

幸福なのは絵を描く人々である。
なぜなら彼等は孤独ではないからだ。
光と色 平和と希望が最後まで、あるいはほとんど
生涯の終わりまで一緒に居てくれるであろう。

サー・ウインストン・チャーチル(1874−1965)
第二次世界大戦中のイギリス首相また戦後も首相を務めた。

毎年、春秋二回のチャーチル会は知人が何人か居るので見逃したことがない。
ほとんどの人が独学で、皆アマチュアである。
だから芸術性云々を抜きにして鑑賞出来るところが良い。
(4/13〜17日、浜せん3F)


気晴らしに絵程いいものはない。
未だやったことがなければ、是非一度試して御覧、私を嘲笑する前に。そしてしくじったところで、たいした損害でもなかろう。絵を描き出せば上手も下手もない。
第一、頭の中に何事もなくなる。
やって御覧、是非一度、
死なないうちに。




浜せん3Fアートギャラリー



Kさんの作品、原画と色調が違っています、これはカメラが悪いのです



Uさんの作品、モネの睡蓮




Yさんの作品

2007年4月 9日 (月)

地方選挙

「すべての政治は利害関係を持つ人間の大半の無関心に基礎をおいている」

ヴァレリー・フランスの詩人。

政治を選挙に置き換えても何らおかしくない名言である。
山人は選挙権を得て50年近くになるが、未だかって棄権をしたことは一度もない。
子供たちにも棄権だけはするなといっている。
投票率が50%を切るところですべが決まって行く。
だから妻が65歳になったからといって年収300万に満たない額から年間40万近くも減額するような政治がまかり通るわけである。私の年収の10年分を飲料水に使うような大臣をかばい続ける政治は、誰が考えてもおかしいはずなのにそれが選挙に反映されることはない。心ではおかしいと思っていても選挙に行かないから何も変わらない。
世の中がよくならない所以である。
投票所は小学校である。つい二三年前は自由に入れた学校も今は住所氏名用件を電話で言ってようやく学校に入れてもらえる。放課後、孫が校庭で遊んでいるのに中に入り見守ることも出来ない。文部科学省や教育委員会こそ抜本的に改革されるべきだと思ってしまう。むかむかしながら投票を終へ、周りを見るときれいに手入れされた花壇があった。
すべて子供たちが世話しているそうだ。そういえば、孫の話ではクラスに障害児がいるが、みんな親切でいじめるような子は誰もいないと言っていた。
きれいな花を見ていると心が洗われたような気がして学校を後にした。


学校の花壇




花壇の花









2007年3月31日 (土)

田平教会

月初め平戸の田平教会へ、「古里の四季」のY画伯とドライブへ行きました。
その時の絵が9割近く完成したと、Yさんからメールがきました。
絵が添付したあったので、ご本人の了解を得て紹介します。
絵はデジカメで撮ってあるので色が正確に出ていないと思います。
写真と比べると、写真が絵画にかなわないのがよくわかりますね。
労力を考えると当たり前の話ですが。


まだ未完成の絵




山人の写真




教会のステンドグラス




教会の正門

2007年3月30日 (金)

三月ボウリング例会

 見頃との誘ひに向ふ花見かな  久世 竹水
 本一冊持ってそこらへ花見かな 山口 都茂女

桜も満開に近く春爛漫。春休み中なので親子連れが多くレーン待ちという状態も見られた。
また混んでいるせいかレーンの手入れが悪く、極端な油ぎれの状態で山人を含め
ベテラン勢はワーストに近い成績となった。

        HG   LO  小計  HD   合計
優勝  なお 155  98 490 396 886
   (先月に続き二連勝、4回目でのこの成績は天晴れである)

2位  みほ 147 102 516 272 788
   (やっと絶不調を脱す)

3位  たか 177 131 605 164 769
   (本来の調子を取り戻しつつある)

4位  ゆき 178 120 588 176 764
   (病み上がりで力まないのがよかった。天晴れ)

5位  じん 160 108 520 216 736
   (一週前の練習の成果がでず)

6位  はる 116 92  397 328 725
   (前の悪いフォームに逆戻り、次回が楽しみ?)

7位  とし 189 156 676 44  720
   (レーンの調子がつかめずワーストに近い点となる)

8位  たけ 171 133 607 80  687
   (風邪気味で調子が出ず)

9位  けい 76  47  273 412 685
   (一週間前に練習するがまだ浮上できず)

10位 しげ 188 153 653  0  648
   (ゲスト出演)

11位 やす 116 95  440 208 648
   (マイボールにまだなれず、考えすぎてフォームも乱れる)

12位 さだ 156 133 573 44  617
   (ストライクは出るがスペアがとれず)  


カタバミ科のオキザリスの一種




日陰や曇りの日は花を閉じてしまう。(切り花に出来ない)

2007年3月29日 (木)

能登半島地震に思う

春爛漫という時節に、能登半島に震度6以上の地震が発生した。
被災者の方々には心からお見舞い申し上げます。
(被災者に対する義援金は 
 郵便振替 加入者名 日本赤十字社石川県支部 
 口座番号 00780−1−3 へどうぞ)

ところで気になることがある。テレビニュースで言っていたのだが、今回の能登半島地震
、二年前の福岡沖地震どちらも、国が発表している地震危険区域の地図の中ではもっとも安全な
地域になっていて、地震の危険度は0.1%の確率であったということだ。
つまり絶対大丈夫といわれてきた地域に起きているのである。
何を言いたいかというと、もっとも安全な場所に建てられているはずの原子力発電所は、
はたして本当に大丈夫なのか気にかかる。
アメリカのテレビドラマ「24−TWENTY FOUR−」という人気ドラマシリーズがある。
BSフジでその�が水曜に放送されていたが(28日に最終回)その中でテロリストグループが、
アメリカ中の原発のコンピューターにアクセスしてコンピューターを制御不可能にして、
原発をメルトダウン(炉心溶融)させようとするエピソードがあったのだが、単なるドラマの
作り話ですまされない不気味なものを感じた。
アラブの自爆テロ志願者は2000名近くいるとかいないとか、自爆テロが収まる気配はない。
しかしコンピューターを乗っ取ることが可能なら、自爆テロより実行される可能性は高い。
しかしこのような話は絵空事として片付けられる話だが、地震は現実に起こっているのである。
絶対安全な場所に、震度6以上の地震にも耐えられるという安全設計がされているはずなのだが、日本の原子力発電所のずさんな管理が最近報道されている。
山人は原子力発電そのものに絶対反対であるが、日本の電力の40%ぐらいは原発でまかなわれている現実に気力は失せてしまいそうだ。
しかし原発には現在の世界情勢が変わらない限り、ドラマのような問題と、ますますエスカレートしている大地震に直面する可能性があると思うのだが、どれくらい真剣に事故対策が検討されているのか疑問である。しかも原発事故は現実に起きている。
1979年3月28日、アメリカ、ペンシルバニア州スリーマイル島原子力発電所の事故で、現在も広島型原爆の数百個分の放射能がのこっている。
また、1986年4月26日に現在のウクライナ共和国、チェルノブイリ原子力発電所でメルトダウンが起き原発は封鎖されたままだ。その人的被害は100万人近いひとに影響があったともいわれている。特に日本のように国土が狭いところで起きた場合、その被害はチェルノブイリの比ではないであろう。
ドイツでは原発廃止が真剣に討議されているのに、被爆国であり地震大国の日本では原発廃止などは問題外の外であることは、実に恐ろしい現実と言わざるを得ない。

咲いた咲いたチューリップが咲いた。

2007年3月23日 (金)

お彼岸

 うとうとと彼岸の法話ありがたや 河野静雲

春分の日は彼岸の中日である。昔から春秋の彼岸の中日は墓参りを欠かしたことがない。また中日はお寺で必ず法要が行われる。例年妻が出ているが、今年は所用ができたので代わりに出席することになった。1時から50分ほどお経があり最後に御詠歌があり一時間で終わる。数年前本堂が建て替えられて椅子席になったので楽である。
じーと目をつぶり神妙な顔をして、一応お経は聞くが訳がわからないので、父、母、亡くなった姉、家族のことなどを想う。
普段は弱者の心の痛みなど全く考えない非情な政治がまかり通っている現実に、ストレスを募らせる毎日なのだが、自分を見つめ直す貴重な時間を持ち、久しぶりに命の洗濯が出来た。ところで自分自身についてはなぜか、現在65キロの体重を60ぐらいに減らそうという意識が猛然とわいて来る。とにかく今後の目標は体重60キロである。毎日の食事は、贅沢はしていないし、大食でもない、間食さえ止めれば目標は可能だと思う。
なにしろ地球は壊れかけているのである。あまりまじめに世情を考えていたら自分が壊れてしまいそうだ。世間に負けるわけにはいかない。
自分の生き方は「シンプル イズ ザ ベスト」で行こうと決心する。

法要が終わり、非常に清々しい気持ちで末娘と墓参りをする。子供たちは幼児の時から春秋のお彼岸、お盆、年末と必ず連れて行ったので、墓参りに嫌な顔はまったくしない。
先祖、故人を忘れずに大事にすることは、人間であることを自覚する大切な行動の一つであると山人は信じている。


長崎の墓は外と少し違っている。どこの墓にも土神様という石碑があり、花立てと線香立てが必ずついている。中国の影響ということだが、よくわからない。
新築のお墓にも土神様があった。

2007年3月17日 (土)

三月句会

二月は観測史上最高の気温となり暮らしやすかったが、三月は例年通りとなり、
肌寒く感じる。そのせいか風邪を引く人が多い。
春の風邪御用心である。

 春の風邪恋い患ひと言ふてみる  吉木クミエ

句会のメンバーも昨日から熱を出し一人欠席となった。

手術待つ日永の窓もいつか暮れ   路 子

ぶらんこで本読む生徒二人かな    山 人

春の雪初雪として降ることも      洋 子

ひいなにもひいなの月日ありにけり 千代美

独り居のなにはなくとも菜飯かな   伯 水

妻の留守草餅二つ置いてあり    寂 水

彼岸会や寄進のてすり縋りつつ   汀 子

冴返る百戸の谷や甲斐の国     慶 秋

(東京からのお客様)
塗物の上の草餅都会めき       智 恵

鉄板のバターのやうに春の雪     智 恵



早春の眼鏡橋




川沿いの雪柳

2007年3月11日 (日)

平戸市田平町へドライブ

 啓蟄の蚯蚓の紅のすきとほる  山口青邨 蚯蚓(みみず)

友人のY画伯から平戸市田平町にある田平教会へスケッチに行くのでドライブがてらどうですかと誘われて田平町まで行くことになった。
Yさんとは昔俳句仲間であったご近所のHさん、友人のSさんに妻も便乗することになり60代の五人でドライブとなる。齢は立派な老人だが、気分は皆40代、わいわいがやがやと賑やかな車中になる。
高速より国道の方が近かろうということになり、第二西海橋経由で行くことに決定。
ところが琴海町に入るところから大渋滞に巻き込まれる。抜け出るの一時間近くかかる。大事故でもあったのかと思うと、毎年おなじみの単なる年度末予算消化のための道路工事である。長崎人は温和しいのかクラクションをならすこもなく皆じーっと待っている。
我々は一時間遅れてもどうってことはないが、緊急の場合は大変であろう。
道路工事の看板をたてるとかもっと告知を徹底するべきである。夜間にでもすれば何の問題もないのである。この国の役人は税金という意味が全くわかっていない。
予算が下りれば自分のお金という認識しかない。長崎県下で裏金問題などが発覚しているが、ばれたのは運が悪かったという意識しかないと思う。頭を下げて、はい終わりである。予算が付けば自分たちの部署のお金という意識しかないからどう使おうと勝手じゃないかということになる。
公僕である役人に公僕意識が皆無であるからまず住民のためという意識もまったくない。世の中がよくならない所以の一つである。
つい先頃ほとんど利用者がない第二西海橋が取材されていたが、がらがらの第二西海橋を通り予定より1時間近く遅れて、田平町にある「たびら昆虫自然園」にたどりつく。
ここの芝生の上で妻手作りのおにぎりとお茶で食事。天気もよいし、遠足気分を満喫する。現在、昆虫はまだ冬眠中なのでいなかったが、ガイドは懇切丁寧だし子供連れでも楽しめるのでお勧めである。
そのあと車で数分の国重要指定文化財の「田平教会」を見に行く。なかなか立派な教会である。Yさんはスケッチするには時間がないので構図のための写真を撮り、絵は家に帰ってからということになる。目の前が平戸なので、平戸松浦藩の松浦資料館まで行こうということになり、平戸に渡る。
松浦資料館をゆっくりと見て回り、帰途についた。帰りはスムースに行き、3時間足らずで家に着いた。意外に遠いのでまずは行くことがない田平町ドライブ、Yさんお世話になりました。またのドライブを楽しみにしています。四人一同、謝謝!


昆虫館にあった写真。




田平教会。鉄川与助氏、設計、
施工。1918年完成。




松浦資料館から平戸城。

2007年3月 8日 (木)

暖冬異変

一鞭を地に春雷の去りにけり  大浜 洋子

二月の長崎市の気温が観測史上最高だったと発表された。
そのためか我が家の桜桃は例年より10日ぐらい開花が早く今満開である。
桜の開花も早いのかと思うと、暖冬で冬眠ができず、寝不足になり開花は遅く静岡あたりが一番早いという気象予報士の話だった。植物も地球は一体どうなっているのか対応に四苦八苦しているのではと思うと気の毒である。

残念なことに日本のマスメディア、国の対応は単なる暖冬異変としか捉えていない。
山人からみればもはや死に体に近い安倍内閣の最重要課題が、平和憲法を改正するための国民投票法案というから救いがたい。
地球環境を破壊する最大の悪は戦争である。60年間戦争をしたいと思ってもできなかったのは、平和憲法がある故である。その平和憲法を改正するのは戦争をしたいときにできる憲法に変えたいのであろう。環境問題からも平和憲法改正は絶対許すわけにはいかない。

暖冬は暖房費が安くなり、生活する分には問題はないのだが、地球規模で起きている
異常気象の一環であったとすれば、これから何が起こるのか心配である。
異常気象もグローバルな観点から総括していかなければ、地球は大変なことになるのではと危惧せざるをえない。
アル・ゴア氏のような政治家が、日本、中国、ロシア、EUなどに見あたらないのは残念である。

満開の桜桃

2007年3月 2日 (金)

三月

 三月や廓の花ふむ薄草履   飯田 蛇笏

 いきいきと三月生まる雲の奥 飯田 龍太

(俳人飯田龍太さんが2月25日、86歳で亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。蛇笏(だこつ)氏は龍太さんの父親です)。

二月は逃げるというがもう三月である。長崎でも一番寒い二月だが北向きにある寝室の温度が10度以下になったのは2日だけであった。寒いと胸が苦しくなる山人には心地よい日々であったが今冬の暖冬が異常気象であったことは間違いない。この反動がどんな形であらわれるのか不気味である。
一日、定期健診の脳神経外科へ行く。前回の血液検査(甲状腺ホルモン)の結果も異状はない。毎年撮っている頭のMRIの予約を取って帰る。
病院を出て、一日まで東北楽天イーグルスが長崎でミニキャンプをはっているというニュースを思い出し近くの長崎県営球場へ行ってみる。
野村監督はベンチから一歩も出てこなかったしオープン戦前のミニキャンプだからどことなくのんびりしている。、
それにしてもとても優勝を狙えるチームではないことがよくわかる。ようするにピリーッと引き締まったところがない。
十数人のフリーバッティングを見ていたが柵越えは5本ぐらいしかなかった。
たとえ二軍クラスといえ一軍を脅かすような選手は見当たらない。
昨年楽天入りした長崎三菱重工の4番を打っていた河田捕手が最後にフリーバティングへ登場したが柵越えが一本あったものの打つ前に肩が前に出るので会心の当たりがあまりなかった。
今年は正捕手になれるチャンスなのにあの程度では正捕手は厳しいと思った。昨年正捕手だった藤井選手のほうがはるかに鋭い当たりをしていた。
学生時代西鉄ライオンズのキャンプを平和台球場まで見に行ったことがある。稲尾、中西、豊田等と有名選手が結構いたのだがあまりのだらけたキャンプにあきれ果て、友人と憤慨しながら帰ったことを覚えている。現在辛口評論家と知られている豊田泰光氏が一番ふざけていた。
今年はこりゃだめばいと友人と語り合ったが、案の定Bクラスだった。昭和36年か7年のことである。
昔から徹底したアンチ巨人だったが、今は巨人が勝とうが負けようがどうでもよくなった。チーム名を見る限り社会人野球と変わらない日本のプロ野球に関心などあまりない。そのかわりNHKのBSの「MBL」はよくみる。
日本のプロ野球機構は組織が駄目である。企業の宣伝媒体としかオーナーが思っていないから将来性がない。
サッカーのJリーグのような組織に変えない限り年々さびれていくであろう。

家に帰ると一月に受けた「長崎検定試験結果及び成績」のお知らせが来ていた。試験の翌日の自己採点で91点だと思っていたが結果は92点だった。これでどうなるものではないが、自分はまだまだやれるという自信にはなる。
自己採点だが2級もうかっていたので、来年は1級を受けるかどうか、たぶん受けると思うが1級は一週間付けぐらいでは歯が立たないだろうから、山人はまだまだ頑張らなければならない。

楽天イーグルスのミニキャンプ77番は元ヤクルトの池山選手



世の中には嘘ばっかりという人がいるので検定合格通知書を念のため。

2007年2月26日 (月)

二月ボーリング例会

山人は一月の成績が悪くハンディが256もあったので二月は楽勝と思いきや
ラストの凡ミスでスペアをのがし7ピン差で2位となる。
久しぶりにNO1のトシが参加、鮮やかな腕前で皆をうならせる。

順位 名前 ハイG ローG  4G計  HD   計

優勝 ナオ 117   82    379  460  839
(1週間前の練習の成果が出る)

2位  ジン 175  120   576 256 832
(スペア19回とるがスプリットが多く点が伸びず)

3 トシ 197 180 745 64 809
(さすが段違いの実力を見せつける)

4 ヤマ 174 147 641 140 781
(NO4の実力を発揮する。奥さんもAV160の実力者)

5 ♀ ミチ 154 103 492 276 768
(腰を痛め力まなかったのでスコアを伸ばす)

6   タカ 158 132 596 168 764
(着実に力が出てきた、もう少し)

7 ♀ ユキ 178 122 572 172 744
(退院後やっと4ゲーム投げる、力まなかったのが好成績につながる)

8 ヤス 159 99 510 192 702
(初めてのマイボールにまだ慣れず)

9 ♀ ハル 113 68 381 320 701
(前屈になるフォームを矯正中。3、4G でほぼ修正、次回が楽しみ)

10 ♀ ヒロ 142 104 497 196 693
(練習疲れか3,4ゲームでくずれる)

BB ♀ ミホ 120 108 458 224 682
(絶不調)

BM ♀ ケイ  80 55 274 400 674
(まだ開眼できず)

参加者が少なくなり解散の危機を迎えていたこの会も参加者が増え
息を吹き返す。メンバー全員の人柄が良く勝負にこだわらない。
新人には皆親切にアドバイスしてくれる。
これからはスコアアップが課題。


観光通りの夜景



眼鏡橋の夜景、カメランマンが群がっていた。デジカメでは
これが精一杯。

2007年2月22日 (木)

小学校のクラス会

小学校のクラス会の世話人会
昭和二十四年度卒業のクラス会を毎年一泊二日で開催している。四年から六年まで同じクラスだったので仲が良いのかも知れない。
毎年参加者は20人は集まる。毎年開いているのは珍しいと同世代の人から感心される。
運営は六人(男3,女3)の世話人会でやっている。
数年前まで男5、女3でだったが、男二人が肝臓癌と皮膚癌で今はもういない。
山人と他の世話人5人のうち、女性二人は幼稚園で一緒、また中学校は15クラスのマンモス校だったが、それぞれ一年は同級生だったので何か縁があるのだろう。
女性3人の内2人が寡婦。毎年参加している女性達の中の七人も寡婦である。
クラスの8割が被爆者、クラス60人の内男8人、女1人が死亡、消息不明が14人いるので亡くなった者はもう少し多いだろう。とにかく死亡率は高い。
だが未亡人になってへこんでいる者はいない。寡婦達は若返り生き生きとしている。
とにかく女性はしぶとい。俺は女房が死んだら生きていけないなど平気で云う馬鹿な男がいるが、こうゆう男は先に逝くのことが多いので心配無用である。

先週世話人会を新年会をかねて開き、食事しながら今年の予定を検討する。「秋芳洞」もでたが皆以外に行っていない「平戸」へ六月に行くことが決まる。六月の平戸はヒラメ料理が楽しみである。
そこで旅行社の見積もりを検討する。平戸は長崎からは意外に遠い。車で3時間はかかるのでマイクロバス代が高い。見積もりは2万円を越えている。年金暮らしに2万円以上はかなり苦しい。18000円ぐらいに削るのに苦労する。
話が終わったあとは、雑談がはずみ、給食費を払わない親に非難が集中する。

会長は小学校の校長になったH君で、案内状、事後報告などなれたものですぐ書いてくれる。あとは宴会の挨拶と恩師への挨拶などをしてもらう。恩師は体調が悪くここ数年出席されていない。残念なことである。あとの男が旅行の渉外係を兼ねて二人の女性と宴会係、部屋割り、会費の集金等をする。山人は記念写真と、クラス会の名簿を管理しているので案内状を往復葉書に印刷して発送する。
返信は会計係が集約する。
ほぼ集まったと思えるころ、会計係の女性の店へ行く。小さな店だが彼女は専務取締役。二階が軽レストランになっているので世話人会はここに集まる。
店を覗くと彼女が居たので声をかける。
「よお、どんくらい集まった」(どれくらい集まったの)
「そうね、25ぐらいね」
「ふーん、まあまあたい、Aから来とったね」
「うん、来とったよ、ちょっと中で葉書ば見ていかんね」
という会話をしていると、側にいた会計係の長女(小学校高学年の子供がいる)が
「ひぇ、仲のよかね! うらやましかー」と笑いながらいう。
(え、仲のよかて?そんげんことぜんぜん意識しとらんばい)。
自分の母親が、父親以外の男性と敬語なしで喋っているのが珍しいのであろう。
20年ぐらい若ければ、ちょっと問題かも知れないが、70近くになれば笑って済まされる。彼女とは小学校の時はほとんど口を利いたことなどなかったのにである。
年を取るのも悪いものではない。
しかしながらである。二年ほど前、世話人会の忘年会で、年を取るのも悪くない、女性であることを意識しなくなるのでこうゆうふうに仲良くなれると、うかつなことを言ったところ、一人の女性からすかさず「へえ、うちは女じゃなかとね、へぇー。(私はもう女性ではないとあなたは言っているのね)」と冷ややかな目で睨まれた。
女性は灰になるまで女性である。このことを男たる者決して忘れていけない。
このことを踏まえて、おいがわいが、うちやおうち(俺やお前、私とあんた)がと楽しんでいる限りこの会は当分続くであろう。

ランタンフェスティバルの会場の一つ、中央公園



保育園児の中国舞踊




2007年2月18日 (日)

二月句会

三寒四温、春寒、春浅しと言う言葉が無縁の暖かい春の日が続いています。

  17日、二月句会でした。

  雛出すわが家の歴史思ひつゝ   路子

  晩婚の友に子が生れ春立ちぬ   山人

  三日見ぬものの芽動き確とあり  洋子

  昨日きて今日も来る鳥日脚伸ぶ  千代美

  娘の病父に術なく春浅く     伯水

  味噌汁の若布のみどり眼に冴えて 寂水

  庇より雪解雫の露天風呂     汀子

  早春といふ水音のありにけり   慶秋

  長崎ランタンフェスティバル今日からスタート。
  午後六時から全てのランタンに灯りが点りました。
  
長崎観光通りのオブジェ(点灯前)



2007年2月13日 (火)

長崎ランタンフェスティバル

年の内に春は来にけり一年を去年(こぞ)とや言はん今年とや言はん 『古今集』

前書 廿九日立春ナレバ

春やこし年や行きけん小晦日  芭蕉

<大晦日の前日の小晦日(こつごもり)なのにもう春が来て年が過ぎようとしている>
芭蕉全句集の第一句目の句で、芭蕉十九才の時の句である。


陰暦では元日が来てすぐに立春となる。ゆえに新春や初春という言葉が
年が明けそして春が来たと言う喜びの言葉として生き生きとしてくるのである。
しかし時々十二月中に立春が来ることがある。
これを年内立春と言い、上記の和歌や芭蕉の句にもあるように陰暦では別に珍しいことではない。
山人が発行しているメルマガ「俳諧を読む(俳句読本)」は陰暦も表示しているので、
これを見ていれば、去年は十二月が二度繰り返される閏月(この年は閏年で十三ヶ月になる)であることが分かるのだが。
2月14日は陰暦ではまだ十二月二十七日、2月4日が立春だったので今年は年内立春である。このために例年より十日以上遅い2月18日が旧暦の一月一日となり、旧正月を祝う中国の行事春節が始まる。
長崎でもこの春節に併せて「長崎ランタンフェスティバル・2/18〜3/4」が毎年開催されるようになった。http://www.nagasaki-lantern.com/
二月は何もない時期だったので、これが意外に受けて期間中は観光客も多くかなりのに賑わいになる。
山人が時々散歩する眼鏡橋界隈もランタンが飾り付けられ華やかな装いとなる。
期間が15日間もあるので、ぜひ一度遊びに来てみんね!




数年前のランタン

2007年2月11日 (日)

ギザのピラミッド

私には夢がある。
有名なキング牧師の魂がふるえるような夢ではない。
(キング牧師の演説)http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/2431/mlk.html
それはエジプトにあるギザのピラミッドを長期滞在してじっくりと見学したいという夢である。暇はたっぷりとあるが、お金と旅行に堪えるだけの体力がない。
所詮叶わぬ夢である。
去年の12月22日から2月14日まで「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」が、長崎歴史文化博物館で開催されているので見に行った。
20代の時「ツタンカーメン展」を福岡まで見に行ったとき以来である。
入場料1200円分は楽しまなければと時間をかけてゆっくりと見て回ったが、
山人はミイラとか埋葬品とか装飾品などの発掘品にはにはあまり興味がない。
ミイラを暴くなんて祟りがありそうで感心しない。
目的はピラミッドである。
ギザのピラミッドは古代世界七不思議の中に入っているが、現代の最高の科学力を持ってしてもその不思議と謎は何も解明されていない。
ギザのピラミッドは4500年前、クフ王が建てたとされている。それは「王の間」の上にある坑道に書かれた石工マークによる。
「石工ガング:クム・クフの白い王冠の力は強大だ クフ クフ・ガング 十七年」という文法的にも間違いがある落書きにより4500年前にクフ王が建設されたということになっているだけである。
会場のモニターでピラミッドの中の「王の間」にあるクフ王の石棺と言われているものが写されていた。一枚岩の花崗岩をくりぬいたもので内部の大きさは長さ1m98センチ、深さが87センチ、幅68センチという石棺である。写真を見ればすぐ分かるが表面はすべすべしてかなり磨き込まれている。
この石棺の前で吉村先生は、「この石棺には蓋がないしここにミイラなどがあったはずがない」。「このピラミッドはお墓ではない」とモニターの中で断言されていた。
では一体何のためにこのピラミッドが建設されたのか諸説はあるがまだ何も解明されていない。
そしてこの石棺に大きな謎と不思議がある。
石棺の材質は硬い花崗岩である。4500年前の当時は、銅器の時代であって、鉄はまだ使用されていない。硬い花崗岩を銅器で削ることは絶対に出来ない。どんな材質のいかなる工具で硬い花崗岩をくりぬいたのか現代科学もお手上げである。
「さあ未來の人たちよ、我々がどのようにしてこの石棺を作ったのか分かるかな?」
古代人の笑いが聞こえるようである。
そしてピラミッドの側にはスフインクスがいる。ピラミッドと同時代に作られたとされる。そのスフィンクスには、縦に切り込まれた深い溝がいくつもある。地質学者によればこの溝は長期に降り続いた大雨による溝であろうと言っている。しかし5.6千年前のエジプトは乾期であり溝ができるほどの大雨が降ったという記録などはない。
ギザのピラミッドは三つある。一番大きい「クフ王のピラミッド」、「カフラー王」のピラミッド、「メンカウラー王」のピラミッドの三つである。
そしてこの三つのピラミッドの配置は、オリオン星座の三つ星を地上に投影したものという人たちがいる。しかし現代のオリオンの三つ星とは配置が一致しない。
星の位置が永久不変でなく変わっていくことは誰でも知っていることだ。
コンピューターで計算すれば百年前、千年年前、一万年前の星座の位置を正確に計算できる。
そこでオリオンの星座の位置を昔へ戻していくと、今からなんと紀元前10450年前のオリオンの三つ星の位置とぴたりと一致したというのである。
考古学ではこういう話は論外中の論外となっているはずだ。
それは単なる偶然という人達を山人は無視する。
ここで種明かしをすれば、ここまで言ったことは、グラハム・ハンコック著「神々の指紋」・下。(小学館文庫)に書いてあることである。この本はたしかベストセラーにもなった本でもある。決していかがわしい本ではない。山人の座右の書の一つであり、表紙はもうぼろぼろである。
ではなぜ山人はギザのピラミッドに興味を持つのか?
ギザのピラミッドは古代人が未來人である現代の人類に残した「重大なメッセージ」ではないかと思うからである。
何度でもいう。人類は戦争などする暇はないのである。
現代科学でも解明できないピラミッドを造った文明が跡形もなく消滅しているのである。ただピラミッドだけ残して。
世界の軍備にかける費用で、科学、化学、物理、地質学、海洋学、天文学、考古学等々現代文明の総力を挙げてピラミッドの謎を解明しなければ、地球は大変なことになるのでは、と山人は危惧している。
昨秋、ボストン・レッドソックスへ入団が決まった松坂大輔投手が、「夢は見るものであって叶うものではない……」とコメントしていたが、流石一流選手はうまいこというものだと感心をした。
山人には、グラハム・ハンコック氏に、ギザのピラミッドの解説を聞きながら古代人のメッセージを解き明かすという決して叶わぬ夢があるのである。

長崎歴史博物館


会場で買ったトランプ、旅行したときには絵葉書代わりに現地のトランプを買っている。


久しぶりに中島川沿いを散歩すると2月18日〜3月4日まで開催される「長崎ランタンフェティバル」の飾り付けがされていた。
きれかですよ。見にこんですか!

2007年2月 6日 (火)

不都合な真実

1月20日からアメリカの前副大統領アル・ゴア氏が解説、出演をしている地球温暖化問題のドキュメンタリー映画「不都合な真実」http://www.futsugou.jp/ が各地で公開されている。
残念ながら当地では上映されていない。
異常気象について何度か取り上げたが、二酸化炭素が増えることが、地球温暖化の一要因であることはもはや否定できない事実となっている。
世界最大の二酸化炭素排出国(22%)のアメリカが、二酸化炭素排出を規制する「京都議定書」を批准しなかったアメリカが、このような映画を作らざるを得ないほど事態は深刻な状態になっているのであろう。
これからの未來を作る子供達に見て欲しと思うのだが?

一月のTBSの「ブロードキャスター」の中で、コメンテーターの一人が「環境問題についての猶予期間は三年、三年以内に何らかの具体的な取り組みをやらないと人類は取り返しの付かない事態になる」と恐ろしいことを平然と話をしていた。
また地球温暖化の原因、二酸化炭素を大量に吸収する熱帯雨林が急激に消滅しつつあること、また陸上だけではなく、海中の熱帯雨林とも言える珊瑚礁がまた少なくなっていることも紹介されていた。
異変は陸上だけではなく海中の中でも起きている。
北陸の魚市に熱帯産の見たこともない魚が連日水揚げされていることなども紹介されていた。
またオーストラリアでは千年ぶりという空前の干ばつが続き、小麦の収穫がほとんどなく、このため日本の小麦価格が上昇するという影響が出ている。
もう異常気象が異常ではなく、当たり前の気象になりつつある。



「人類は戦争などしている暇はない!」
「平和憲法改正を公言する者に、美しい国など語る資格はない!」
「環境問題を真剣に考えれば考えるほど、人類に未来などありえない!」
「何度でもいう!宇宙から見れば地球は生きている星である。だから地球を汚し傷つける戦争などしてはいけない!」
「諸君には地球のうめき声が聞こえないのか?地球が怒っているぞ!」
、と演説をぶっていると、「ラージボールへ行くよー」と、いう妻の声に目が覚めた。
「夢? どうりで調子が良すぎたよ。それに結構受けていたし…」
 (500円のDVD「チャップリンの独裁者」を見たせいかな)
しかし「なんだ、白日夢か?」
と山人は笑うことが出来なかったのである。



妻手作りの粘土雛(我が家では立春から3月3日まで雛飾りをする)


2007年2月 4日 (日)

立春

何事もなくて春立つあした(朝)かな  井上士朗

早春賦とは風の音水の音   田上頼子

今日4日は立春。暦の上では今日から春である。しかし西国長崎でも二月が一番寒い。
2日、3日は今冬最低の冷え込みとなるが、今日はうってかわってぽかぽか天気となる。
以前より友人のYさんから「古里の四季」とうHPにカウンターを設置して欲しいと頼まれていたので、では今日ということになった。
山人は二年前眼が悪くなり車を処分したので、迎えに来てくれる。
時間はたっぷりあるし、天気も良いしで、ドライブでもしましょうということになり、
「女神大橋」から外海町にある「黒崎教会」、ドロ神父で有名な「出津教会」、とドライブ、昼食を「遠藤周作文学館」でとり、Yさんのマンションへ行く。
ちょっともたもたするがカウンターを設置。ついでにハードディスクをチェックする。
15GあるCドライブの空きが3Gしかない。Dドライブは90Gあるのに未フォーマット。
これでは使えないので、フォーマットをして、データーは全てDドライブへと言って、また家まで送ってもらう。
天気が良く海岸沿いのドライブは気持ちよく、とてもリフレッシュでき最高であった。
Yさん「謝!謝!」でした。

Yさんの「古里の四季」は絵画だけのHPです。長崎チャーチル会の会員だからプロではありません。しかし、その絵は優しく繊細で心が洗われるようにすがすがしい。
ぜひ一度ご覧下さい。
「古里の四季」http://www5.ocn.ne.jp/~yas-y/

今年はこれからインフルエンザが流行するとか、予防注射を受けなかった人ご用心である。


眠りたる如く釣り舟海うらら <角力灘>



黒崎教会




ドロ神父の出津教会




左側がドロ神父




遠藤周作文学館で昼食。ドロ様パスタを食べる(うまかった)。
駐車場へいくとなんと昨年十月結婚式に招待してくれた新婚夫婦と花嫁の両親の四人連れとぱったりとあう。写真を撮ったり撮られたりして別れる。
記念館の駐車場からの景色。

2007年2月 3日 (土)

節分

 節分や一粒ずつの福は内

今日は節分。
旧長崎街道沿いにある諏訪神社より古いと云われている「八幡神社」へ参拝する。
100円の賽銭をはずみ、甘いぜんざいを食べ、顔なじみの神主親子としばし談笑し、鬼火に心ゆくまで尻を焙り(今冬最低の冷え込み)、充分に暖まって帰る。
(豆撒きには残念ながら間に合わなかった)


八幡神社



門松、注連縄、古い絵馬、仏様の古い御札などなんでも燃やす。




残り少なくなった甘いぜんざい。

2007年1月31日 (水)

初句会

  お悔やみとめでたき話初句会   游子

27日少し遅めの初句会だった。
山人夫婦の仲人もして頂いた主宰は今年で89才になられる。
昨年手術をされたがまだお元気である。
奥様も80才になられるが60代で通るぐらい若々しい。
句友も気心が知れた人たちばかりだから気が置けない。
年寄りを切り捨てようとするけしからぬ世相をしばし忘れることができ、至福の一時であった。

  常のごと昇る朝日を初日とす   蕉露
  煮凝や少しの恙ありて夫     田鶴子
  江戸弁の孫の冗舌年の膳     路子
  読初はネットの友のメールかな  山人
  恒例の食事処や初句会      洋子
  年毎に初日を詠みて二十年    千代美
  読初や源氏の世界広ごりて    伯水
  初釜に若き笑いの声ひびき    寂水
  古稀となる夫と寿ぐ初日かな   汀子
  読初やいつものように歳時記を  慶秋

句会は一時間ぐらいで切り上げ、後は恒例の新年会。会費四千円で山海の珍味を楽しんで恙なく散会した。



2007年1月30日 (火)

ご当地検定花盛り続報

昨日の地元新聞(長崎新聞)に検定試験の2級、3級の全問題と回答が載っていたのでもう一度克明にチェックをする。
自信があった80問の内、勘違いしていた物が1問あり、当日ミスが分かっていた4問と合わせて5問ミス。
多分大丈夫であろうと思っていたが確信が持てなかった残りの16問の内12問正解だったから 91点 という成績だった。
合格の秘訣・事前一週間の集中特訓。これがが記憶として残っていたと言える。

ついでに2級の問題をやってみる。
20分ぐらいかかったが流石にグレードが高く、いっちょんわからん(まったくわからない)問題が20問ぐらい在る。
テキストに載っていた問題はほぼ解けたので、60問は正解、推測してした解いた問題が20問ぐらい。
結果はまぐれ当たりも5、6問あり 79点 受験すれば2級も合格していた事になる。
出来なければ来年2級を受けようかと思ったが、多分受かるだろうから、来年から実施される1級を目指すかと思ったりする。だが1級は僅か1週間の詰め込みでは刃が立たないだろうから、うーむ、現段階ではなんともいえない。

昨夜のローカルニュースでも検定試験が取り上げられ、脳梗塞からやっと回復し受験をした67才の人が取材されていた。「結果は残念ながら駄目だったが、来年またチャレンジする」と話をされていた。うーん、山人よりはるかに天晴れである。
検定試験も生きる意欲につながると、以外な効用に驚きました。
各地でご当地検定が行われているそうだから、このブログを読まれた人ぜひチャレンジされては如何かな。例え不合格でも別に恥でもなんでもないし、努力しただけ結果が付いてくるのでやりがいがあると思いますよ。

ここで問題には出なかったがテキストに載っていた問題。

鎖国時代、長崎奉行所の役人が初めてコーヒーを飲んだときの感想は?

香りがよい、風味がよい、へどがでる、にがい、こげくさい

 1808年長崎奉行所役人大田蜀山人は日記に次のように書いている。
「紅毛船にてカウヒイというものを勧む。豆を黒く炒りて粉にし白糖を和したるものなり。焦げくさくてして味うに堪えず。」

今から200年前の話である。

蛇足、 昨日の例題、吉雄耕牛(1724-1800)は、オランダ通詞で、オランダ人から天文、地理、本草、医学などを学んだ著名な外科医。『解体新書』の序文を記し、
杉田玄白、前野良沢も門下生であった。長崎に来た平賀源内も教えを請うたとある。

長崎学は奥が深く面白い。


冬の彩り!色は薄いが臘梅。

2007年1月29日 (月)

ご当地検定花盛り

ご当地検定が各地で花盛り、という記事が昨年毎日新聞に載っていたのだが、
長崎でも28日(日)第二回長崎歴史文化観光検定が行われた。
好奇心旺盛な山人である、受けてみるかと昨年末、長崎商工会議所に検定料3150円払って申し込み、直ちに検定用のテキスト1800円を購入する。
設問は700問ぐらいある。
早速練習問題をやてみるが、じげもん(長崎で生まれ育った人)の山人だが、方言を除き二割程度しか分からない。
かなりこまかい正確な知識が要求されている。
合格は100問中70問以上だからこれでは100%落ちるとばかり、久しぶりに意欲が湧いてくる。
しかし正月はばたばたしていたし結局真剣に取り組んだのが一週間前。
おまけに一週間前からもう三回目になる複視(物がダブって見える)が始まり、鬱陶しいうえに、プレドニンというステロイド剤を一日60�のんでいるので体調はあまり良くない。薬の副作用か夜眠れなくなったので、これ幸いと夜の3時ぐらいまで勉強をする。
さて一週間漬けでどれくらい出来るのか?あとは記憶力の問題となる。
いそいそと試験場の長崎大学教養学部へ。
テストは2級と3級があるが受けるのは勿論3級。
教室に入るとなんと会社時代の親友のS君が居る。
彼は「長崎さるく博」の観光ガイドをやっているので楽勝であろう。
時間は90分、全問五択である。80問は完璧に覚えていた問題だったからテストは15分ぐらいで合格と確信できたが、後20問がはっきりしない。
テキストに載っていない問題も結構ある。
分からないものは分からないので50分ぐらいで席を立つ。
すぐS君が出てきたので、全く自信がなかった答を尋ねる。4問間違いと分かる。
この4問は、S君は正解だから流石観光ガイドである。
うろ覚えの16問のうち8問は正解だとわかる。まあ試験は合格しているので答合わせはこれぐらいでよかろうと二人で「チトセピア」まで歩き、鍋焼きうどんを食べて別れる。

大学の教室で試験を受けるのは50年ぶりだから少々緊張はしたものの、そこはベテランである、シャープペンシルも娘が誕生日に呉れた木製の高級シャープとたもの木製の千円シャープと二本並べて50問目で取り替る。ガムもスタートでかみ始め、30分経って二枚目を噛むなど余裕綽々ではあった。
検定試験に合格しても、合格証を貰えるだけの話だが、度忘れ、物忘れはひどくなったがボケは始まっていないと確信できたことは大きい。
残りの人生を如何に有意義に過ごせるかどうかは頭の問題である。
目はまだダブって見えるが「こんなものがなんでぇ!」という爽快な気分になり帰宅することが出来た。

ここで山人が正解した難易度が高かった問題をお試しあれ。

問93.吉雄耕牛が、梅毒の特効薬だった「スウィーテン水」の処方を学んだのは誰からか?

1、チチング 2、シーボルト 3、ケンペル 4、モーニッケ 5、ツュンベリー

正解は 5のツュンベリー 出島の医師でスウェーデン人の植物学者、母国に帰って、母校の学長になった俊才。
3のケンペルは医師でシーボルト、ツュンベリーと出島の三学者と言われた英才。 
4のモーニッケは1849年に牛痘を長崎で成功させた人。
出島へは外国でも超一流の学者が来ていたことが分かる。
これらもこの一週間で覚えたことなので偉いかとの問題ではありません。ハイ。

いざ試験場へ!


受験生は7割が同年配だった。老人パワー健在である。

2007年1月21日 (日)

一月ボウリング例会

今年最初のボーリング例会。

       ハイG  ローG  4G計   HDCP  総得点

優勝  サダ、233、157、 746、120、866
(久しぶりの参加ながら、さすがNO3の実力者ぶっちぎりの優勝)

2位  タケ、210、145、 703、112、815
(定年退職後、やや落ち込んでいたが回復のきざし)

3位  ヤス、169、116、 560、216、776
(三回目ながら順調にスコアが伸びている)

4位   タカ、191、116、 589、176、765
(まだむらがあるが調子が上がってきた)

5位   ミチ、124、106、 453、284、737
(ヘッドピンにあたるがスペアがとれない)

6位   ヒロ、161、125、 552、176、728
(フォームがきれい、新人の模範)

7位  ケイ、 90、 58、 296、428、724
(マイボールを使い少しずつ良くなっている、成長が楽しみな一人)

8位  ナオ、 76、 39 、227、460、687
(これまでに数回しか投げていないので69才にしては上出来である)

9位  メグ、 65、 38、 200、480、680
(生まれて始めて?会長からアドバイス受け良くなったので見込みあり)

10位  ハル、 118、 75、 396、284、680
(フォームの矯正に対応出来なかったが、将来性あり)

BB   ジン  138、103 483、160、643
(新人にアドバイスしていたら自分が乱れてしまう、まだまだ未熟!)

BM   ユキ 159、122、 438、147、585
(病み上がりなので3ゲームでリタイア、満身創痍での頑張りは天晴)

今月から山人の幼友達でもあり俳句会、ラージボールの仲間のS君夫妻が参加する。
S君は食糧自給問題を研究しているインテリゲンチアである。
新人が5人も増えてベテランに元気が出てくる。

20日、大寒、だが暖冬は続いている。年寄りには有難いが作物にはよくないからままならぬ世の中なり。

冬ぬくきことも不安となる世かな  馬場 駿吉

2007年1月11日 (木)

新年は千客万来

新年は千客万来?
大晦日に長女が高一の娘と何年かぶりに帰崎する。
毎年一緒に行く三女が仕事なので、三人で墓参りに行く。
(長崎では暮に墓参りするのが常識)

元日の夜長男の友達が奥さんと赤ん坊を連れて来家する。
リビングで家族みんなで談笑。

親子孫九人揃い雑煮かな

二日、次女が聟と二才の子を連れて里帰り。
久しぶりに一男三女、聟と孫二人、計九人で雑煮を食べる。
おせちは全て家内の手作り。妻の後遺症がまだのこっている。
昼から長崎にいる姉が来る。続いて諫早から義弟が息子二人を連れて来家
夜は家族で焼き肉屋へ行き、引き続き家族では始めてのカラオケへ行く。
半分は高一の孫と三女が今時のわけのわからない歌を歌う。
二才の子も大好きな「リンダリンダ」をマイク握って腰を振る。
皆それぞれに何かを抱えての家族であるがゆえに楽しい一時であった。
三日夜、長女が帰る。

五日、次女の友達三人がそれぞれ子供連れでやって来る。
夏より一人増えて七人。来月また一人増えるので、このグループには人口減少はない。
(現在の出生率が続くと1000年後には日本の人口は0になっているとか?)
三人とも小中学校からの知り合いだから、この中に老人夫婦が入り込んでも違和感がない。三十は過ぎているのにちゃん附けである。
また来る度に子供達の成長が見られるのも楽しい。

六日、聟が仕事なので一人で帰京。
次女の友達が三人来家。夜には二人の孫が泊まりがけで来る。
と言うわけで延べ28人、借金あれど金は無し、地位も名もない家族だが人が集まったのが財産かな、と思う正月であった。
お蔭でかなりのエネルギーを貰うことができた。訪問した全ての人に「謝謝!」
である。


子供達は美男美女!

2007年1月 9日 (火)

今年もよろしくお願いします

子等帰り常の日戻り寒に入る

8日、二歳の子と残っていた娘が帰り、昼間は夫婦だけという普段の静かな生活に
戻る。
空港まで長男の車で家内と末娘と四人で見送りに行ったのだが、我が家と同じく夫だけ先に帰り、子供と残っていた娘が帰るというパターンが多く、見送りのじいちゃん、ばあちゃんも含めて空港ロビーはごった返していた。
親が子を、子が親を、また兄弟が殺し合うという信じがたい殺伐としたニュースが茶飯事の世相を忘れさせるような微笑ましい光景があっちこっちで見られていた。
これを見る限り日本もまだまだ捨てたものではないという温かい気持ちに成ることが出来た。
今年の正月は千客万来で、メルマガは何とか配信したものの、ブログまでは手が回りませんでした。
今年もお付き合い、よろしくお願いいたします。


空港からの帰り道、火事に出会いました。
坂の町だから消火、救急活動は大変です。この家は全焼、家族の方は外出中で犠牲者はでなかったもののお気の毒の一言です。

2006年12月30日 (土)

核保有論議

核保有論議を執拗に繰り返した自民党の中川昭一政調会長が12月17日講演などのため来崎し、長崎原爆資料館を見学した。翌日の長崎新聞に載ったコメントを紹介する。
核保有論議の容認発言ついて
「核保有は考えていない」
と釈明した上で、
「隣りにそうゆう国がある以上、安全保障や市民生活を守る議論を真剣にしなければならない」
と述べた。原爆資料館を見学した後、報道陣の質問に答えて、
「日本は広島、長崎、第五福竜丸と、いろんな歴史を残念ながら持っている。それに加えて、ということは絶対にあってはならない」
と強調。
「万が一核弾頭が飛んで来たときに、例えば、核シェルターといったものを考えなくてはならない状況になる。私はいろんな手紙やメールを頂いており、国民は真剣に考えている」
と述べた。
また自身の発言に批判が相次いだことには
「最近は非核五原則、しゃべらせず、考えさせず、というようなことを言う人がいるが、それでいいんだろうか」
と疑問を示し、
「冷戦崩壊後、核廃絶どころか核拡散の報に向かっている。その中で日本だけが願っているだけで核が飛んでこないのか、というところから勉強しなければならない」
と述べた。
その後、自民党員への講演後、米国の長崎への原爆投下について
「ああゆうものを撃ち込むという米国の判断は人道的にも許すことが出来ない」
と述べた。
以上が新聞の載ったコメントの全てであるが、彼が最初に述べた核保有論議とは違い一般的な核論議にニュアンスが変わってるが、まだ自分が言い出した核保有論議をなんとか正当化しようとしているのは見苦しい。
核問題についての論議はただ一つ、核兵器廃絶という議論以外何ものもありえない。
核兵器廃絶を訴え続けることこそが核兵器を持つこと、その使用に多大なブレーキになるのである。
しかしながら国会議員のほとんどが原爆資料館を見学していないと思われる中での原爆資料館見学は評価されるべきだと思う。
また当ブログのリンク、被爆者の生の声が聞かれる『被爆者の声』もぜ聞いて欲しいと願う。
一度提供したレッドカードはひとまず回収して、これからの言動を見守りたいと思う。

二人してこまごまと買ふ年の市  村上 鬼城


長崎の鉄橋の上



子ら揃ひ来て大年の夜となりぬ  大洞 真砂


宝船の掛軸

2006年12月25日 (月)

校庭の芝生化

 当ブログ5月29日の「運動会」で学校の運動場に草が一本もないのはおかしいと
と誰も思わないのは不思議である。
と書いたのだが、12月23日付の毎日新聞のコラム「発信箱」で京都で6校目の芝生化がなったという話と、東京都が来年度から10年間で約2000校ある公立小中学校の校庭を芝生化するという話が紹介されていた。
ということはかなり前からあちらこちららで論議されていたと思われる。
子供の環境としては土の上より草の上で走り回るのがはるかに良いのだから、これを機会に全国的な取り組みになることを期待したい。
これですぐに切れる子供達が良くなるかどうかは全く別問題だが、環境的には今より良くなることは間違いないと思う。
芝生化には600万円の工事費がかかり維持管理費にも金がかかりということだが、除草剤など撒かずに子供達に草取りをさせて、経費節減と情操面での一石二鳥の効果を期待するのは虫がよすぎるのかな。
山人の周りに校庭、運動場の緑地化など唱える人が誰もいなかっただけに嬉しいニュースであった。

地球の自転が早くなったのではないかと思うようなこの一年でした。

もの捨つることより始め年用意  藤陵 紫抱

終わりなき主婦の仕事や年の暮  丸谷 恵子


眼鏡橋が架かっている中島川の鯉

2006年12月20日 (水)

12月のボウリング例会

今年最後のボーリング例会。
試合が終わってから忘年会なので4時にスタート。
レーンが油ぎれでベテランも四苦八苦。
山人は1ゲーム目180で楽勝と思ったら2ゲーム目からスプリットの嵐。
残念ながら2位となり掉尾を飾ることが出来なかった。

       ハイG  ローG  4G計  HDCP   総得点

優勝  ヤス、153、107、 554、240、797
(二回目の参加で早くも優勝。油ぎれのレーンを読まなかった無心の勝利)

2位  ミー、180、129、 595、160、755
(連続4回のスプリットにお手上げ)

3位  タカ、167、123、 571、172、743
(4ゲーム目で油ぎれとなる)

4位   タケ、182、135、 635、100、735
(4ゲーム目のローゲームでダウン)

5位   ハル、123、 91、 448、 284、732
(前回と同ピン、一見40代だが孫二人いる、シンジラレナーイ)

6位   ヒロ、156、117、 555、 172、727
(冷静な試合運びだったがアベレージを越えられず)

7位  ミチ、 127、 88、 422、 280、702
(リリースの時手首をひねる癖が出てスペア取れず)

8位  ミホ、 135、 98、 470、 224、694
(最後までレーンの調子がつかめなかった)

BB   ケイ、 70、 58、258、 416、674
(ガターの連続でがたがた、ストライクの時は隣のレーンからもハイタッチの祝福)

BM  ハツ、 114、 104、430、212、642
(60代の♀、二日前に20ゲーム投げたため足腰がガター、)

わかき人に交じりてうれし年忘   高井 几董

試合終了後、忘年会のみの参加組も加わり恒例の納会を小料理屋で開催、
無記名のメーセージ付き500円のプレゼント交換もあり和気藹々。
初参加の新人もすぐに打ち解け、みんな良い人ばかりで楽しかったと満足。
来年のスケジュールも決まり、山人の万歳三唱で散会した。



ボウリングの仲間たち

2006年12月16日 (土)

武士の一分

映画関係の仕事をしている友人のMさん(二十五才ぐらい年下の女性)から「山田洋次監督の『たそがれ清兵衞』が面白いですよ」いわれて以来、藤沢周平にはまってしまった。
六十を過ぎてからの話である。
すでに文庫本で30冊ぐらい揃えている。最初は、藤沢周平にあまり関心がなかった家内まで最近はよく読んでいる。
映画も山田洋次監督の藤沢周平の時代劇は見逃していない。
現在公開中の「武士の一分」だが、ぶっちゃけた話、ボキャブラリーが貧困なキムタクが主演と聞いてこりゃ駄目だと思っていたが、先に見てきた家内からよかったと聞いたので見に行く。
うーむ!さすが山田洋次監督、期待以上の出来映えであった。これまでの藤沢シリーズの中での最高作品だと思う。
キムタクの個性を生かしながら自分の思い通りに演技させた演出は見事である。
いい映画かどうかはエンド・ロールで観客が席を立つかどうかでわかるが、ほとんどの人がライトがつくまで座っていた。
まだ見ていない人がいたらお勧めである。

映画は大好きである。福岡での四年間の学生生活は酒も飲まず、彼女もいない、
麻雀もしない山人にとって映画とパチンコが娯楽の大半であった。
学生は60円の三本立映画を毎週のように見に行ったものである。
社会人になって映画はほとんど見なくなってしまったが、60才で定年退職をして、映画がシニア千円で見られるようになり月に一本は見に行くようになった。
最近は、著作権がきれた名作映画が500円のDVDで、本屋、カメラ屋等で売られている。
近頃は専門店でも置かれている。
「シェーン」「ローマの休日」「風と共に去りぬ」「カサブランカ」などなどが500円で買える。
恋人のように大好きであったゲーリー・クーパーの作品も漸次そろってきたし楽しみはつきない。
昼間からゆっくりと好きな映画を見る。こんな夢のような生活が出来るのは年を取ればこそである。
「年を取るのは悪いものではない」そうは思いませんか?

そのかわりテレビは、夕方のニュースとNHK第二衛星の木曜夜10時からの韓国ドラマ以外全くといってよいほど見なくなった。
どうしてこいつらが大きな顔をしてテレビに出ているのかが理解出来ない低能タレント。ここぞというときに、お前ら続きを見たかったらまずCMを見てからだ。一体誰の御蔭でテレビを只で見ることが出来るだ。
それはスポンサー様の御蔭であるぞ。と言う傍若無人のCMの入れ方。CMの前に放送したものをもう忘れたであろうと又放送する無神経さ、どうしてこんなに視聴者を馬鹿扱いをする放送を皆見るのか理解しがたい。
有料だが「スカパー」で好きな番組をみるのが余程いい。
ではニュース番組は例外かというとそうではない。
大体ニュース番組に提供スポンサーをつけることが自体が間違であるし、中CMなどもってのほかである。
テレビニュースは無色透明な放送というのが基本にあると思うが本来無色透明などあり得るはずがない。
最初から色が付いているもをそのまま放送すればそれは無色透明ではない。
批判精神を失っている現在のマスメディアは信用するにあたらない。
世の中がよくならない所以である。
横道にそれてしまったが、新しいものに目が無い「山人の一分」は携帯電話を持たないことである。携帯電話の普及と文化の進歩とは無縁である。
それと携帯電話から微量ながら電磁波が出ているのだが、何年か前に将来この電磁波で脳腫瘍が増えるのではと言う専門家の話を聞いたことがある。
山人の頭にはまだ腫瘍が残っている。脳腫瘍はもう二度と御免である。


はぼたんとシクラメン




正確な名前がわからない?

2006年12月11日 (月)

今年の納め句会

  それぞれに何事かあり納め句座

今年最後の句会、前日退院された主宰も出席されて全員出席の納め句座となった。

  救急車師走のこゝろなほさらに  蕉 露

  今日は今日心定まり冬の空    田鶴子

  香煙のありて人居ず墓師走    路 子

  日当りて目高動かぬ寒さかな   山 人

  雨だれを静かに聞きし小夜時雨  洋 子

  二人には二人の暮らし十二月   千代美

  有明の潮風を背に牡蠣食らふ   伯 水

  空の旅眼下に見えし山眠る    寂 水

  うしろより傘さしかくる時雨かな 汀 子

smile 南座の招きを濡らす時雨かな    慶 秋


 句会の歴史は六十年近くになる。山人の父、母共に会員だった。
 主宰は八十七才だが俳句にはいささかの衰えもない。
 物故者は多いが惚けた人はほとんどいなかった。
 脳力開発ゲームが売れているそうだが、俳句を句作していれば
 かなりの頭の体操になっていると思う。
 子供から「脳を鍛える大人のトレーニング」ゲームを借りて
 試してみたが、30代前半から50代前半だったからまあまあだと思う。
 物忘れ、度忘れはひどくなったがこれは年相応とあきらめるしかない。
  
 一番手軽なのは句日記から始めたら良いと思う。
 一日の出来事を五七五にまとめそれに季語をいれる。
 それで一丁あがりである。

 インターネットを通じて知り合いになり、山人にブログ開設を勧めてくれた
 「金太郎」さんは
「右脳俳句で自分史作り」
http://unou-575blog.269g.net/
 というブログを開設されていて、
 山人よりグレードの高い知的生活を楽しまれている。
 俳句は昔の経験を思い出して作句することが出来る。
 だから今から俳句を始めても、自分史作りは可能である。
句日記の先は自分史作り、お試し下さい。
 
 
会報誌



 
花屋さんのシクラメン

2006年12月 7日 (木)

昔の世の中はよかった

人込みに居て我孤独街師走

祖先の時代の世の中はよかった。
なんとなれば信じる心、正しい心、それに愛する心があったからだ。
それに信仰心もあったが、いまやそのひとかけらもない。
世はことごとく変わってしまった。
そしてその色艶も失われてしまった。
今後はこの世は決して祖先の人々の時のようにはならないだろう。

ノアの頃、そしてアブラハムの頃、
また神をおおいに愛したダビデの頃、
世の中は良かった。
このような価値ある世は二度と来ないであろう。
この世は年老い、衰弱し、すべてが衰亡に向かっている。
この世は悪へと向い、良きものはことごとく廃れていく。

11世紀中頃より流布したといわれる「聖アレクシ伝」より

これは山人が発行しているメルマガの「今日の名言」の中で
二度ほど紹介したものである。
今から800年近く昔の言葉であるが、何ら色あせることもなく
今のこの世で胸に迫ってくる。

さてこの名言を山人がアレンジするとこうなる。

小泉前首相になる前はよかった。
なんとなれば二ヶ月で年金41万円を貰っていたからだ。
それがどうだ。今や二ヶ月で34万円に減らされてしまった。
昨年9900円だった住民税が今年は48000円に上がった。
所得税も増えた。妻も介護保険料60000円に「なんでだよう」と嘆いている。

流通しない二千円札を発行した小淵前首相、日本は神の国と言った
森前首相の時代は良かった。
なんとなれば、年金は減らなかったし、老人や障害者をこれほど
ないがしろにすることはなかった。

安倍首相は国を愛し、郷土を愛せよという。
だがこれまで国を支えてきた老人達を、国はどうして愛してくれないのか。
国、地方の役人どもの辞書から、公僕、モラルと言う言葉が消えてしまった。

ああ!怒りに逆立つ髪の毛は日々白く、細く、薄くなっていくばかりだ。
ああ、血圧が上がる! 息が苦しい!
ああ、ついに、ドクターストップがかかった。
私の命の恩人である主治医に逆らうことは出来ない。
とりあえず The end である。

最後に500に近い山人の名言集の中で、私が一番気に入っている名言を贈る。

『人間だけが赤面できる動物である。あるいは、そうする必要のある動物である』
 
 M・トウェーン(1835-1910)、アメリカの作家。


世の中の乱れがなんだ!
穏やかな長崎港




長崎港2

2006年12月 1日 (金)

脳神経外科への通院

 あたたかき十一月もすみにけり 中村草田男  すみ(済み、終り)

本当に寒いと感じた日がない暖かい十一月だった。

三ヶ月に一度の定期便、N病院の脳神経外科へ行く。
診察は問診と「チラーヂンS」という甲状腺ホルモン剤の三ヶ月分を
処方箋してもらう。
今日はホルモン検査のために採血をする。
採血の若い看護師がビニールの手袋をはめたので「何時から」と聞くと
「最近だけど指の感覚が鈍るのでちょっとやりずらい」
ということだったが、上手であった。
山人の血管は極細のうえ硬いので新人の看護師泣かせである。
過去三人の新人が手に負えなくて先輩を呼びにいったことがある。
いくらきつく縛っても血管が浮いてこないから仕末が悪い。
採血はまだいいが、点滴の時が困る。正確に血管の中に針を入れないと
すぐ外れたり、洩れたりする。何度も刺されると仏の顔も三度になる。
だから医者や看護師の上手下手がすぐ分かる。
ほぼ九割が痛かったりスムースにいかない。
一割ぐらい痛くない場合がある。そんな時に「チクリともしなかったよ」というと
たいてい喜んでくれる。「嬉しいです」とか「有り難うございます」
と看護師から御礼を言われるたりする。
私がお世辞で言っていないことが分かるからであろう。
山人は脳腫瘍で60日、心臓病で45日、尿管結石で20日、検査入院などを入れると
半年近くの入院経験がある病気のベテランである。
闘病記でも書いたらとよくいわれる。
いづれこのブログで書いてみようと思っているので乞うご期待である。

帰りの電車に乗ると外人が一杯乗っている。これは観光船が来ているなと
思い出島岸壁へ行く。
えらくでかい船で、見覚えがある。
近くに行くと総トン数11万6千トン、全長290mのサファイア・プリンセスである。
世界最大の豪華客船の一つダイヤモンド・プリンセスと姉妹船であり、
二隻とも三菱重工長崎造船所での建造船であるから里帰りといえる。
そのせいか「鶴の港」によく馴染んで見えた。



鶴の港によく似合うサファイア・プリンセス




正面から見るとやっぱりデカイ!





2006年11月26日 (日)

ごまめの歯軋り

「ごまめの歯軋り」
力のない者がいたずらにいきりたつこと『広辞苑』

異常気象が続いている。
先日北海道で竜巻が起こり、働き盛りの方が9人も亡くなられるという
痛ましい災害を引き起こした。
アメリカならいざ知らず、日本国内で風速83mという竜巻が起きたということは
聞いたことがない。起きた場所も今まで竜巻など起きたことがない所である。
観測史上初めてという異常気象がこれからも続くと先日のブログで書いたが
長崎でも9月17日、台風13号の眼に入り青空が見えて以来
雨が1mmも降らない日が34日続き観測史上第三位という記録となった。
最高記録が36日だからほぼ変わらないといえる。
そして10月の平均気温が23度というまた観測史上始めての最高気温となった。
暖かいのは心地よいので異常気象とは誰も思はないが
観測史上始めては異常である。
長崎の茂木びわの生産者が塩害で葉が枯れてしまった木に
咲く花は抵抗力が弱いため病虫害にすぐやられてしまう、
とぼろぼろと崩れる花を見せていたが、
彼等が繰り返し言っているのはこんな経験は初めてだということだ。
又数日前北海道知床半島の海岸に秋刀魚の大群が打ち寄せられていた。
秋刀魚は十度以下の冷水では生きていけないのでそれで弱ったのであろう、
と生物学者はいっていたが、現地の人は
「こんな事は初めてだ、天変地異の前兆ではなかろうか」
と不安そうな顔をしていた。

動植物の生命はすべてあるバランスの上でのみ維持出来る。
そのバランスが崩れれば動植物は大きなダメージを受ける。

宇宙から地球を眺めると地球は生きている星だと、火星を水や
空気のある星にしようという壮大な研究をしている人が
テレビで云っていたが、私もそう思う。
(この番組は真面目な科学番組でしたよ)

人類が地球を傷つけている例は枚挙にいとまがないだろう。
日本の国政、地方行政、社会が壊れているのは間違いないが、
これらはすべて修復可能なことである。
が、地球の修復は全人類が取り組まなければ不可能である。
しかし現在はまだまだ地球という生命体のバランスを
壊し続けているのが現状である。
バランスが崩れれば、自然災害として表面化する。
残念ながら、観測史上始めてという異常気象はこれからも
エスカレートするばかりであろう。


煙る長崎の町、
対面は女神大橋。




山上の城ではなく中学校。

2006年11月21日 (火)

十一月ボウリング例会

先月は最悪だったが今月はまた優勝する。
今月から義弟とラージボールの奥さん二人、計3人が入会。
そのためじり貧状態だった参加者も10人となる
 
     1G 2G 3G 4G 小計 HD 合計(HDは200-AVx0.8x4)

優勝 山人 157 149 180 151 637 160 797
  
2位 ミホ 133 144 137 127 541 224 765
  (身長168弱の体格の良い50代の女性サウスポー)

3位 ヤス 137  99 135 133 504 240 744
  (新人、義弟、十数年ぶりに投げたにしては上等、AV140は目前)

4位 ヒロ 141 134 139 148 562 168 730
  (先月腰痛で休む、60代の真面目な小柄な女性、俳句仲間)

5位 ハル 107 124 100 117 448 280 728
  (新人、卓球の仲間、明るくて元気な50代の女性、)

6位 タケ 139 174 167 134 614 92 706
  (クラブ会長、九月にM重工を定年退職したハンディ170の実力者)

7位 タカ 115 156 151 112 534 164 698
  (山人と同年配、まだ15Pのボールを投げるパワーボウラー)

8位 ケイ 59 97 55 66 277 420 697
  (新人、卓球の仲間、研究心旺盛な60代の女性、次回が楽しみ)

BB  ミチ 102 91 106 96 395 272 667
 (妻、十数年前に右腎臓摘出、ペットボトルの蓋をぐいと開けてくれる)

BM  ユキ 147 145
  (副会長、先月まで入院していたので2ゲームでリタイア、面白い60代の女性)

 AV1位、3位、4位、5位が不参加だったし、新人に足を引っ張られたのか
 全体的に低レベルの大会となった。
 普段だと800を超えないと優勝できない。
 ユニホームもないし賞品もない成績発表だけで終わるが
 皆和気藹々(あいあい)で楽しんでいる。
 来月は大会後忘年会。

  家に帰って女子マラソンを見る。
 世界大会の選考大会ということだがいつも選考には納得がいかない。
 (高橋選手はアテネに出場させるべきだったと思っている)
 オリンピックと世界選手権は半年ぐらい前に選考大会を開き
 一、二、三位を出場させる。そうすれば何の問題もない。
 アメリカなどはそうやっているはずだ。
 出場選手もコースも気象条件も違うところでの記録を役員どもが
 あれこれ斟酌するからおかしな選出になる。
 オリンピックも世界大会も一発勝負である。
 選考も一発勝負で決めてなんの問題も無いだろう。
 それをスポンサー、新聞社、テレビ局などの思惑で個別に選考大会を
 開くからすっきりとしない選出になる。
 陸上と水泳だけは半年ぐらい前の選考大会で決めるべきである。
 大会は共催、放送は持ち回り、こんな簡単なことが話題にもならないのは
 一体なんなのであろう。

ここをクリックしていただければやる気が出てくるというか
そんなところです。
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散歩中のスナップ

小春道空を分け行く飛行雲




散歩中のスナップ

人声のすれど人居ず石蕗の花  石蕗(つわ)


2006年11月18日 (土)

十一月の句会

 十一月句会の兼題は山茶花(さざんか)でした。

山茶花の花咲きつゞく且つ散りつ  蕉 露

散りゆくや山茶花垣に今日も暮れ  田鶴子

さゞんかや遠き記憶のわらべ唄   路 子

さざんかやピアノ習ふ子征き来して 山 人

山茶花や落花しつゝも咲き続き   洋 子

日が暮れて山茶花の紅うすうすと  千代美

山茶花の一輪挿しの侘ごころ    伯 水

山茶花や修道院の歌流る      寂 水

山茶花の垣根越しなる立ち話    汀 子

山茶花の散りて喪中の知らせ着く  慶 秋

主宰特選句 湯あがりの入院患者着ぶくれて  路 子


我が家の山茶花



会報誌

2006年11月 9日 (木)

この発言は許せない

核保有論議発言は許すことができない!
山人は被爆者である。
いやたとえ被爆者でなかったとしても、麻生外務大臣と自民党中川昭一政調会長の核保有論議を絶対に許すことは出来ない。其の上腹が立つのは安倍総理が核保有論議自体は問題ないとかばっていることだ。
沈黙を守っている中川幹事長を含めて皆同じ穴の狢(むじな)である。だが彼等は誰も広島、長崎の原爆資料館を訪れたことはないのであろう。もし行っていながらこの発言をしているのなら彼等は人非人である。

私のブログでリンクしている『被爆者の声』は長崎放送の放送記者だった伊藤明彦氏が会社を辞めて広島、長崎の被爆者千人あまりの声を収録した中から284人の声を編集しCD化したものである。被爆者の声を収録する、言葉だけでは簡単だが、現実には自分が被爆者であることを隠し続けた人は沢山いる。そんな中での収録作業は困難を極め、取材に行っても行っても拒否されて、悲しくて家に帰り布団を被って寝たことも何度もあったということだ。

 浦上忌一家爆死の小さき墓碑 宮田えき女

 原爆忌命日同じ墓ばかり   斎藤朗笛

しかしそういうとき、伊藤さんは八月六日、九日に爆死された人たちのお墓に行くと、この爆死された人達は、自分がやっていることを支持してくれ、「頑張って続けてくれ」という声が聞こえたと言われている。
この声なき声が伊藤さんのエネルギーとなり、取材を続けることが出来たのだ。
『被爆者の声』には、この世に二度と核兵器は使用されてはいけないという強いメッセージが込められている。
ぜひ一度聞いて欲しいと願う。

北朝鮮の核実験に託(かこつ)けて、まってましたとばかりの核保有論議発言は、核兵器廃絶を心から願う人たちの心を踏みにじると共に、一瞬にしてこの世から抹殺された10余万人の人々に対する許し難い冒涜である。
国会での厳しい追及を期待するとともに、麻生外務大臣と中川政調会長にはレッドカードを提供する。


暦の上ではもう冬であるが、長崎では秋たけなわ。

 山襞の一つ一つに秋の翳

 山襞(やまひだ)、翳(かげ)
 父の句です。



2006年11月 4日 (土)

秋晴れの女神大橋

文化の日女神大橋初渡り

行く秋の港へ帰る貨物船

昨年12月開通した長崎港の入り口に架かる女神大橋(めがみおおはし・1289m)を渡るために家内と二人で行く。
橋は海面より65mの高さがあるので橋までかなり歩く必要がある。よって用もないのに娘は登りが嫌だとパスする。
昨年4月に突如目が複視になり、五月に車検がきたため思い切って車を廃車にしたので車は持っていない。
目は三ヶ月で回復したが日常生活では車がなくても別に不便はないので車を持つ気はまったくない。
電車で市民病院前迄行き、バスに乗り運転手に橋のたもとのバス停「女神」に行くかを聞くと行かないと言って信号が青になると左に寄せて下ろしてくれる。
親切な運転手さんもいるものだと感激する。
女神バス停から坂道なので橋まで15分ぐらいかかる。
橋を歩いている人は結構いるのだがバス停から歩いていくのは
我々二人だけだった。
橋のすぐ側に駐車場があるので車で来て橋を往復する人がほとんどのようだ。
観光バスも二台ぐらい来ていた。
春に歩いた人の話では風が強くて吹き飛ばされそうだったいう話だったがこの日は風もなく絶好の行楽日和、ゆっくりと写真をパチパチ撮りながら行きは港を見ながら、戻りは港外を見ながら絶好の景観を楽しむ。
長崎のように海を見慣れているものにも海面より65mのロケーションは最高だった。新しい観光スポットしてお勧めである。
車は通行料100円だが、歩行者は無料。
帰りは出島ワーフで娘と待ち合わせウニ丼(1500円)を食べて、水辺の森公園を散歩して帰る。
空には後の月がきれいであった。

バス停を下りて女神大橋を見上げる



長崎港、正面の山が烽火山(狼煙を上げる山だった)、
右側が彦山



橋の上



港外、クレーンは三菱重工香焼造船所



出島ワーフに停泊している「飛帆(フェィファン)」中国の
明清時代の帆船を復元した物、長崎市の所有。



夕暮れの水辺の森公園からの女神大橋



後の月(豆名月、十三夜)、
陰暦九月十三日の夜の月を
八月十五日の夜の月の名月に対して
後(のち)の月といって楽しむ風習があった。

見納めが母の口癖十三夜 田邊えりな


2006年11月 1日 (水)

町内会のレクレーション

天高し町内会のバス旅行

29日、町内会のレクレーションがあった。
二年に1回貸し切りバスで日帰り旅行をしている。
昨年からついに町内会の会計担当の役員なったので参加することにする。
毎月1回ある班長会で今年は佐賀県呼子にイカ刺しを食べに行くか、
太宰府にある国立博物館に行くかが議論になり、町内の知識欲が高く
多数決で太宰府行きに決まる。
29日、天気は快晴に恵まれ8時に出発、総勢52人、補助席も使用する盛会になる。
我が家も家内と娘の三人で参加。
道中は山人の神器の一つ4700曲が入力されている30G のipodで
二時間音楽を堪能する。
国立博物館は太宰府というイメージに合わない、
ナサのあるヒューストンに似合いそうな総ガラス張りの建物だった。
展示品の予備知識が全くなかったので、二時間の散策では
時間が足りず展示品の価値がよくわからないまま時間が過ぎてしまった。
ガイドも少ないし、解説文も簡単すぎ山人には不親切な博物館であった。

昼食は、嬉野温泉の和多屋別荘で食べる。
昼食は楽しみの一つだが、夕食のような献立でみんな満足気であった。
食事が終わって温泉は入ったり散策したり、心臓が悪い山人は温泉が苦手なので
足湯でお茶を濁す。でもこれは気持ちがよかったばい。
帰りは轟の滝(長崎にも轟の滝がある)を見物して、「お茶々村」により
全国でもここでしか売っていないという「水だし煎茶」を買って帰る。
長崎弁のバスガイドも面白く楽しく一日を過ごす事が出来た。


超モダンな太宰府の
国立博物館

2006年10月30日 (月)

十月句会

 兼題は秋風 易しそうで結構難しかった。

   秋風と思へば秋の風らしく    蕉露

   仮普請ながら人住み秋の風    田鶴子

   秋の雲流れてビルの動くごと   路子 
  
   物忘れ度忘れしげく秋の風    山人

   秋晴れや空へ伸びゆくビル工事  洋子

   小鳥来るビルの谷間の小庭にも  千代美

   秋深く奈良の旅籠の茶がゆかな  伯水

 smile 秋風に動かぬ雲を見つけたり   寂水

   街道をそれて浅間の林檎畑    汀子

   秋風や子等の声援届け来し    慶秋

毎年一年分の俳句を
まとめて本にしている。
表紙絵はチャーチル会の
会員である
主宰が描いてくださるので
見栄えがする。

2006年10月26日 (木)

ボウリング例会

9月の例会が台風13号で中止になったので
二ヶ月ぶりとなる。
今回は常連メンバーの内三人が入院、腰痛、風邪で休み、
所用で二人欠場で
参加者が4人になってしまった。
そのため緊張感も無く練習のような気分になってしまう。
成績は案の定、

106、105、154、138 計 513 AV 128 というワーストに

近い成績になってしまった。
年をとって思いがけなくよい成績が続くと
なにか悪いことの前兆かと、つい思ってしまう。
だから普段なら落ち込むところをこれで良いのだと
プラス思考で納得させる。
年をとって落ち込むのは体によくない。
来月から家内の弟がかっちぇて欲しい(参加したい)と
言っているので楽しみである。


台風13号の塩害で桜の花が
咲くというハプニングが
起きたが眼鏡橋がある中島川沿いの
桃の木も花を咲かせていた。




我が家の桜の木も数輪の花が咲いたが
すぐに散り今や若葉がみずみずしい。

2006年10月19日 (木)

ボケ閑話

ひとり膝を抱けば秋風また秋風  山口 誓子

ボケ(一)
パソコンの画面のごみが動き出したので
「なんだ」と思ってよく見ると蟻である。
「なんだ蟻か」邪魔だとばかりマウスを動かして
ポインターで払い落とそうとする。
落ちるわけがない。
「うーん!これはどう解釈して良いのか」
少し悩んで
「まあこれぐらい許されることだろう」
と自分を慰める。
しかしこれを二度繰り返すとちょっと深刻になる。
一度目は助けた蟻を二度目は潰してしまった。
アーメン!

ボケ(二)
九月に父と母の法事を営む。
お寺に三万。食事代が八万弱かかる。
夜、家に帰ってきて御仏前を開く。
12万ある。ここ四、五年10万円という現金は持ったことがない。
銀行に預けるにも連休と重なり三日は家に置くはめになる。
空き巣に取られると、サラ金に頼るしかない。
ここなら絶対に大丈夫と思うところに
隠してひとまず安心する。
さて三日後、金を探すが、「あらっ!」
在るべき処に金がない。「そんな馬鹿な!」もう一度念入りに探す。
だが無い。急に息苦しくなる。血圧がぶーと上がるのが分かる。
落ちちいて、冷静によく考える。しかし無いものは無い。
隠しそうな処を克明にしらべる。一日かかるが見つからない。
翌日他の部屋を探すがやはりない。パニック寸前である。
三日目の朝五時頃目が覚める。心静かに三日前を思い出す。
やっぱり最初に隠したと思うところ以外にはあり得ないと確信する。
心静かに精神を統一して探す。「あったぁー!!」
二度探してもこんな処には隠すわけがない、と思うような処、
つまり無防備なところにあった。我ながら天晴れである。
しかしながら我が頭の中の消しゴムが
かなりすり減っていること自覚する。

「Alas!」

ボケ(三)
台風13号は塩害だけではなかった。近所でも窓ガラスが割れたり、
瓦が数枚割れたり、ずれたりという被害があちこちで聞かれた。
築13年の我が家は安泰とおもってたのに、
10日ぐらい経って、娘が「車庫の屋根が無いよ」という。
なにをいうかと見に行くと、カーポートの前のアクリル板が八枚飛んでいる。
毎日使っている息子も家内も誰も気付かなかった。
やはり青春は目が良い。
近所の人からも何も言われないし不思議である。


屋根が飛んだカーポート


サイタ サイタ サクラガ サイタ

桜の木は葉が落ちてしまうと、スイッチが切り替わり次の開花のための
準備に入るそうである。お宮日で有名な諏訪神社の桜が咲いたという
ニュースがあったので見に行く。花は小粒で色も淡く変な感じである。
ニュースでは来年の春も花は咲きますという話だった。

11月に小春日和が続くと 返(帰)り花と 
いって春に咲いた花がまた花をつけるということはあるが、
この桜の開花は塩害が原因である。

帰り咲く八重の桜や法隆寺  正岡 子規


諏訪神社の桜

2006年10月16日 (月)

長崎のチャーチル会

絵画は言葉を持たぬ詩である。 「ホラチウス」

チャーチル会とは
1949年「絵でもはじめよう」と東京銀座で数人の文化人が
当時イギリスの首相のチャーチル卿の

「絵を描くことは他人に迷惑をかけず、全てを忘れることが出来る、
もっとも良いホビーだ」

の言葉からチャーチル会という 会名でスタートし、
今や全国に53の会があるそうである。
長崎でも毎年春秋の二回チャーチル会の絵画展が開催されている。
山人の俳句会の主宰もメンバーなので必ず見に行く。
今回は長崎大丸で14日〜18日まで開催されている。
プロの作品ではないので、気楽に見られるのが良い。


知人の Y さんの作品




Y さんではありません

2006年10月 7日 (土)

中秋の名月

名月を取つてくれろと泣く子哉 小林 一茶

六日は中秋の名月だった。
関東地方は風雨が激しかったようだが
長崎は快晴の素晴らしい天気であった。

「長崎の山から出づる月はよか

   こんげん月はえっとなかばい」 蜀山人

(長崎の山(彦山)から出る月は美しい
こんなによい月は滅多にあるもものではない)

江戸後期の狂歌師、蜀山人(1749-1823・大田南畝、四方赤良)が長崎で詠んだという歌である。
山人の処から月は彦山より左側に出るので歌のような
写真は撮れなかった。
三脚を持っていないので、夜景は難しい。

長崎は七日から三日間「長崎くんち」である。
しかも三連休、予報では絶好のくんち日和になりそうである。


中秋の名月



蜀山人が詠んだ長崎の山、
彦山(403m)

2006年10月 5日 (木)

塩害

このブログの『台風禍』で台風13号のあと、
我が家の梅と桜の葉が塩害で枯れてきたと
報じたが、最近あちこちで塩害の報道がながれるようになった。
塩害は葉に付着した塩分が葉っぱの水分を吸収してしまうので葉が枯れる。
長崎市は風は吹き荒れたが雨は余り降らなかったので、
塩分を洗い流すことができなかったということらしい。
このため落葉樹の葉は紅葉になるまえに落葉となっている。
紅葉が見られないだけならたいしたことではないが、
長崎名産の茂木枇杷(びわ)が大打撃、来年の収穫は2割ぐらいではないかと
生産者は嘆いている。
葉が枯れると、木は葉っぱからの養分を吸収できないので、
無理に結実させると木が弱り木本体が枯れてしまうという。
よって来年は店頭で枇杷を見ることはできないかも知れない。
こんな事は初めてだと枇杷の生産者は話をしていた。
山人も台風のあと葉っぱが枯れるという現象は初経験である。

十年前頭の手術をして、急に環境問題に関心を持つようになった。
そして若い友人から将来はと聞かれたとき、「これから観測史上
初めてという異常気象が頻繁に起こるよ」と言ったことを覚えている。
別に当てずっぽうでいったわけではない。
中央アジアの砂漠の中にある『アラル海』という世界第4位(北海道より
少し小さい)の大湖が半分ほどに干上がりまだ縮小している
というレポートを見て以来である。
異常気象は世界中で起きていている。

宇宙から地球を眺めると、地球は生きている星である。
環境破壊(原爆投下、核実験を含む)は地球という生命体を
傷つけていることに間違いない。
異常気象は地球の怒りだと思う。
というところで止めるが、これは山人の単なる妄想だと笑うことはできても、
観測史上初めてという異常気象は終息する気配はまだない。


9月17日の夕方、佐世保に台風13号が上陸したと報道された後、長崎市は台風の眼にはいったのか青空がしばし見えた。



我が家の二階の新しい同居人。

2006年10月 1日 (日)

九月句会

 十月の空より薄し朝の月    今瀬 剛一

 30日が句会であった。久しぶりに主宰特選を取る。

 村中に同じ名の家曼珠沙華   蕉 露

 眼つむりて蟲の浄土のただ中に 田鶴子

 鰯雲天が創りし芸術か     路 子

smile姉弟の老ひて仲良し秋彼岸   山 人 
  姉弟(きょうだい)

 夢に覚め夢の続きは蟲の音と  洋 子

 虫の音に心癒され床に就く   伯 水

 塩害の庭木も枯れて秋深し   寂 水

 停電の闇の深きに蟲の声    汀 子

 着陸す夜長の灯残る町     慶 秋

赤い花なら曼珠沙華
オランダ屋敷に雨が降る…… 『長崎物語』
と歌の文句にもあるように
曼珠沙華は赤い花のイメージがあるが
黄色や白い花もある。


2006年9月24日 (日)

秋彼岸

訪ふ度に小さき母や秋彼岸  越智 麦州

秋彼岸山は入り日を大きくす 成田 千空

妻の両親が眠る佐賀県多久市へ家内と娘と三人で
墓参りに行く。車がないので義弟がいる諫早まで
バスで行き、義弟夫婦の車に便乗する。

爽やかな秋晴れの天気で、気持ちよく
お参りできた。
お参りが終わり多久の蕎麦屋で義弟にうどんとそばを
奢ってもらい
帰りは家まで送ってもらう。
Yaさん、S子さんお世話になりました。

天山は雲寄せつけず秋高し

佐賀県の霊山、天山(てんざん・1046m)、九合目まで車で
行けるので、山人も登ったことがある。絶景かなであった。




燃えるかと立ちよる塚や曼珠沙華 岩田涼莵


寺の近くの曼珠沙華(彼岸花)

2006年9月21日 (木)

台風禍

 あちこちの屋根に人見ゆ台風禍

この句は1991年の台風19号(長崎市で風速55m)の時の句であるが、
このときは我が家も瓦が100枚以上飛び、その上南向きの屋根に
設置していた300kgはあった太陽熱温水器が反対側の屋根の下まで
飛ばされ、そのときに屋根を突き破り、家の中へ雨がざあざあと
降り込む状況に家族全員茫然自失、
今でさへいやな想い出の一つとなっている。

今度の台風13号もほぼ同じコースを取るらしいということで
心配をしたのだが、山人の近辺はさしたる被害はなかった。
が各地では、かなりの被害がでたようだ。
被災者の方には心からお見舞い申し上げます。
我が家では、庭の梅、桜などの落葉樹の葉が、
塩害でほぼ枯れてしまった。
これで木まで枯れてしまうと台風の通り道は
すべてそうであろうから、かなりの損害になるだろう。

あとは夜8時頃から2時間半ほど停電したが、これはよい方で
姉の家では昨日の夕方6時に回復したということだったから
まる二日間停電したことになる。
電力会社の話では、ビニールシートなどが、電線に巻き付き
これが停電の原因とかなんとかかんとかとコメントをしていたが、
そうだとすれば、これからも大型台風が来るたびに
停電が起きることになる。
私は何十年も前から電線の地中化を主張してきたのであるが
(これは嘘、思っていただけ)
日本人は街中に電柱があり、電線が在る風景が当たり前で、
これが街の景観をいかに汚くしているかに無頓着である。
ヨーロッパや、アメリカでは街中に電柱などあり得ない。
長崎は観光都市と喧伝しているが街中は蜘蛛の巣だらけといっても
言い過ぎではないだろう。
17日、台風のため泊まらざるを得なくなった観光客が、
ホテルが停電で蝋燭の灯りで食事をしたという話を聞いた。
山人に言わせれば、台風による停電は天災ではなく
電線の地中化を放置している人災だと思うのである。
話は大きく飛躍したが、私が生きている間に電線のない
美しい長崎を見てみたい、山人のささやかな?願いである。


中華街近くの蜘蛛の巣?

2006年9月17日 (日)

絵画展

美術の秋である。

「秋日和展覧会の案内(あない)くる」

第十八回を迎えた ながさき『80才90才代絵画展』を見に行く。その趣意書によると、「本展は己の長寿を誇ったり、作品を競ったりするものではなく、ひとえに郷土に対する愛情と感謝の気持ちを表わそうとの趣旨」とある。
すでに功成り名を遂げた人たちではあるが、その力強いタッチはまったく老を感じさせない。受付の人に聞くと、「おかげで生きる力を貰いました」と感想を述べる人が結構いるということだった。これを見ると50代60代などまだまだである。
山人も毎年見せていただいているがいつもなんらかのパワーを得て、足取りも軽く帰宅するのである。

作品1


作品2


作品3

2006年9月 7日 (木)

テニス

  新涼の水にこつんと鬼やんま  中 拓夫

山人の主治医で親友でもある R、MDから、友人のテキサス大学の
K教授(島原出身の日本人)が、今長崎に来ているから一緒に
テニスをしないかとお誘いがあった。
スポーツ大好き人間の山人が一番熱中したのがテニスである。
木製ラケットの時代に始めたから、かなり年季が入っている。
10年前、脳腫瘍で三ヶ月ほど入院して、術後まだふらふらしているときに
テニスをしようと誘ってくれたのが R先生である。
そして試合をすると、なんと私が 勝 という意外な結果になった。
(私に勝ちを譲るような甘いMDではない)
この結果は、退院後あまりに体がきつくて、
もう会社を辞めようかと真剣に考えていた私に、
これはまだやれると、大きな自信を与えてくれた。
退職後また体調が悪くなり、2002年、心臓バイパス手術を受けて、
テニスとはもう完全に縁が切れたと思っていた矢先であった。

ラージボールを始めて体調が上向きになっているときだけに、
ひそかな期待を持ってナイターテニスへいそいそと出かけた。
しかし、現実は厳しかった。
六、七年前 K先生と一度手合せをしたときはほぼ互角であったのに、
身長180cm、51才、週2回はテニスをやっているという
K先生の球は威力があり、ラケットに球がまともに当たらない。
まるで初心者に逆戻りというひどい有様だった。
それに昼間、二時間卓球をしたあとだったせいか、足が動かない。
調子が出ないまま、過去の勝率9割を超えるR先生と
三ゲーム先取の試合をやるが、2:3で負けてしまう。
審判をしたK先生には、まるで自滅合戦だったといわれる。
もうすっかりやる気をなくしてしまう。
テニスは無理だと思ったが、翌日又出掛ける。昨夜より少しは当たるが
まだまだである。流石に試合をする元気はない。
調子づいたR先生が「よしこれから週1回はやろう」と挑戦する。
「いいですよ」とつい応えてしまう。
試合に勝っていたら、「いやー、テニスはやっぱり無理」、
と断ったと思うのだが、勝ち逃げを許すわけにはいかない。
また、69才、身長160cm、体重65kg「こぶとり山人」の新たな挑戦が始まる。
ちなみに R、MDは63才、身長175cm、体重70kg、
学生時代ヨットの国体選手だったというスポーツマンである。


K教授とR,MD(著作権クリア)

2006年9月 5日 (火)

パソコントラブル

「赤とんぼあかんべえして去りにけり」

パソコンが二日間不調になる。
15GあるCドライブが11G使用しているので、パソコン歴9年の経験で
問題ないと思えるファイルを1G ぐらいDドライブに移動する。
デスクトップに戻ると「あーら不思議?」背景はあるものの
アイコンがすべて無くなり、タスクバーも消えている。
マウスもポインターは動くもののクリックしても反応がない。
スタートボタンもないから何も出来ない。
終了はタスクマネージャから出来たのだが、セーフモードで立ち上げても
スタートボタンが表示されないからどうしょうもない。万歳である。
翌日、ホームドクターでもある友人に、パソコンに詳しい人を知らないか
尋ねると、ひとりプロパー(病院、医院を回る製薬会社の営業マン)で詳しい
人がいるので、連絡すると言ってくれ、その彼が一時間後には
やって来てくれる。
まだ24才の京都出身という若いプロパーだが礼儀正しく、好青年である。
早速見て貰うが、「うーん、こんな症状は見たこと無い」と言いながらも
タスクマネージャからインターネットに接続して、
すぐグーグルで検索を始める。多くない事例だがビールスに
感染した可能性があるということで、ウイルスセキュリティを
立ち上げようとするがうまくいかない。
再インストールしようとしても駄目である。
あれやこれやのあと、システム復元を試みるが、
Cドライブの何処にあるかが分からない。
そこで妻が、ゲーム用に使っていた古いパソコンを接続して、
システム復元を右クリック、
プロパティを開くとシステム復元のファイル名が分かる。
ファイルを入力して立ち上げる。そこで前日の日付で復元をすると、
やっと正常に戻る。
二人で「やったあ!」と歓声を上げる。結局2時間半ぐらいで回復する。
小学校の時からパソコンに興味を持ち組み立てまでしたという
パソコン大好き青年の T さん 謝謝です。
ドクターへの義理があるにしても昼食もとらずに
まったく何の関係もない山人の所へ来てくれた彼と、
「浜勝」で食事して別れる。
まだ彼女がいないっと言った「T」さん、あなたにふさわしい良い女性と
きっと今に巡り会えると思います。妻も脱いだ靴をきちん前に揃えた彼に
珍しい青年とべた褒めだった。トラブルが起きた時は「いつでもどうぞ」
と言ってくれた「T」さん本当に有り難うございました。
教訓
「プログラムファイルはいじるな」である。



街角のブーゲンビレア

2006年8月31日 (木)

八月句会

「我が余命尽きしと思ふ残暑かな」

26日月例句会がある。
兼題は「秋めく」残暑が厳しく秋の気配が感じられない中、
皆さん苦労されたようだ。

  カーテンを開けて秋めく朝があり   蕉 露
  門燈も秋めくものゝ一とつかな    田鶴子
smile 子等去りて卓上広き夜の秋      路 子
  借景の庭木伐られて秋兆す      和 牛
  秋めくや路地に戯れ野良子猫     洋 子
smile 秋めくや高原に風集まりし      千代美
  秋めゐて踊り稽古も熱を帯び     伯 水
  原爆忌砲火交える国もあり      寂 水
  秋めきし風心地よく厨事       汀 子
  秋めきて富士の輪郭現れし      慶 秋

  句会の翌日になって

  「一雨が新涼といふをもたらせり」 滝沢 伊代次



会報誌

2006年8月28日 (月)

長崎のお盆雑感

日記 > myblog

長崎市の本屋だけで売り上げ10位以内に入った本がある。

『長崎に来ちゃった!〜関東女のビックリ移住体験〜』

東京で栃木県の女性が長崎出身の男性と結婚して、
夫が長崎で仕事を始めるため、共に長崎へやって来て、
言葉、生活習慣の違いを面白おかしく漫画化したものである。その帯に「お墓で花火?そりゃないよ!」とある。
長崎人からすれば、「へぇー!よそではお墓で花火ばせんと!へぇー」となる。

長崎のお盆は8月13日から16日までお墓参りをする。
初盆でない家は、14日、15日とお墓参りをする。

「夕食も盆の急ぎや墓参」森川 許六

と江戸時代の俳句にもあるように、昔、盆の墓参りは夕方から行くのが当たり前だった。
(昔の盆は陰暦の7月13日〜16日だから当然月は煌々と
照っているので、盆踊りも満月を仰いで踊る)
我が家も毎年夕食後、6時ぐらいからお墓参りに行く。
お参りが終わると必ず花火をして、帰ってきた祖先の霊にもみてもらう。
住宅街では出来ない10連発の打ち上げ花火や、落下傘、矢火矢、ドラゴン花火、電気花火、線香花火など楽しむのである。

「爆竹に精霊たちも逃げまどう」

ところが最近何を血迷ったか、お墓の中で爆竹をならす不届き者が多くなった。爆竹の本元中国では、大晦日の夜に厄払いのため鳴らし、あとは景気づけなど、祝い事のために鳴らすものである。せっかく西方浄土から長い旅をして帰ってきた精霊たちを爆竹で追い払うような行為がどんなに罰当たりの行為か想像もつかないのであろうか。幼児はこわいと泣き出すし、言語道断である。

花火が終わると、又明日来ますと言って帰る。
帰りは、喫茶店により、蜜かけ、金時、ミルクセーキなどを
食べる。ところで長崎のミルクセーキは、かき氷が入っているのがミルクセーキである。だからスプーンとストーローが付いてくる。
初めは匙で食べ、溶けるとストローで飲む。
頭の本でもこんなミルクセーキ見たことないと驚いていたのに驚いた。15日は、早めに行き、7時頃には街へ下りて、精霊流しを見に行く。がしかし、最近の精霊流しは、佐田まさしの「精霊流し」のしっとりとした情感はかけらもない。
ただ、爆竹がなり響く喧騒の巷になる。耳栓をしていないと
鼓膜が破れそうである。もう何年も素通りして帰っている。
里帰りの娘も夫もなんだこりゃという感じだ。
お盆になり西方浄土から帰ってきた精霊を迎えて、そしてまた西方浄土へ精霊船でお送りするというこころゆかしい行事が爆竹で台無しである。爆竹を一箱爆発させる行為も珍しくなくなった。いつ事故が起きてもおかしくない状態にある。
そして事故が起こってやっと規制ががはじまるのである。
もう昔の心静かに精霊を送るという雰囲気はまったくない。
やれやれである。



お墓で花火



大型の精霊船

2006年8月27日 (日)

8月ボーリング例会

バスを待つ残暑の会釈老同志 河野 静雲 

海風に髪吹かるゝも秋暑し  明石 和子

若いときは夏が来るとなにかわくわくするような気分に
なっていたが、年を取る毎に夏が苦手になってくる。
30度を超えるともうぐったりである。
その30度を超えていた20日(日)、ボーリングの月例会がある。
体もだるいし、130 ぐらいなら上等だと思って参加する。

結果は以下の通り。

1G  151
2G  167
3G  190
4G  165

Total 673  AV 168

参加しているクラブは、ハンディキャップ制を取っている。
アベレージ 200以上がハンディ 0。
200から自分のアベレージを引いた数の8掛けがハンデ
となる。山人はハンデ150だから200−150=50
の8掛け 40が 1Gのハンデになる。
だから Totalは 673+(40掛け4)160=833。
ハンデ16のナンバーワンが休みだったので
ぶっちぎりの優勝となる。今年4回目の優勝。
アベレージもも史上2番目の成績となる。
心臓病の障害者で、練習には1回も行っていないぶっつけ本番、
年齢69才。 我ながら天晴れと自画自賛。
(創立30年のこのクラブでは、この程度では誉めて貰えない)
ボーリングは自分との戦いである。集中力が少しでも途切れると
凡ミスをしてしまう。成績を考えずに無心に投げたのが
よかったのであろう。
何年か前、敬老の日に90才以上で180は軽いという
スーパーじいさんがテレビで放映されていたので
この程度で有頂天になるほど柔な人間ではないのだが、
他になんの取柄もない山人ゆえに、ご勘弁願いたい。

二日間、高校野球の決勝を見る。早実の斉藤投手には
ただただ脱帽、心技体完璧であったと思う。
今後如何なる道を歩むのか興味深い。

2006年8月14日 (月)

帰省子

 帰省子の電話の相手母は知る 森田 峠

東京にいる次女が二歳の子を連れて帰省した。
この子には高校時代からの親友が地元に五人いる。
内4人は小・中学校からの付き合いなので、
山人も妻もみんなをちゃん付けで呼ぶ仲だから、
全く気がおけない子供たちである。
帰省した翌日、三人が子連れで遊びに来る。
結婚の時期はそれぞれ違うが、三人の子が二歳、
今年生まれた子が三ヶ月。年ごろになれば、
中・高校生同士となる。
来年は6人に増えるので、このグループに人口減少はない。
昨夜は独身の子が来て、妻が「ご飯食べていかんね」
というと、「はーい、すみません」といって
我が家と同じ食事をして帰る。
別にリーダーがいるわけではない。
独身、子持ちもわいわいがやがやと楽しんでいる。
こういう仲は珍しいと思う。
これから子供たちに、命をすりへらす思いをしたり
自分自身の人生の悩みなどが起きても
お互いに良い知恵をだしあい、助け合いながら
人生の荒波を乗り切ってゆくことが出来ると思う。
子育てとは、鳥や動物を見れば一目瞭然である。
子供が親離れが出来るようにと、
親は一生懸命に守り育てるのである。
人間も基本的には同じだと思う。
近頃は幾つになっても、親離れ、子離れが
出来ていないケースがよく見受けられるのだが、
この次女は友達がいることで、親離れが出来ている、
と山人は思っている。

二歳児は男の子だから大変。

勝つと思えば

勝つと思うな思えば負けよ。
夏の甲子園、本気で優勝をねらっていた長崎代表清峰高が
二回戦で福井商に敗れる。
二枚看板の投手もまあまあであり、打線も一回戦で大爆発、
よもや二回戦で負けるとは誰も思っていなかったに違いない。
試合前、主将が絶対に勝ちますと、どのチームもコメントする。
この絶対に勝つの意味には、ふたつの意味がある。
(一)、自分たちの全力を出し切れば勝利の可能性が出てくる、
とにかく頑張る。
(二)、もう一つは、投手力、打力共に自分のチームが上である。
だから負けるわけがない。だから絶対に勝つ。
清峰高の場合は(二)のケースだったと思う。
ところが打てると思った投手を打てない。
投手は球が思うところにいかない。
打たれるはずがないと思うバッターに打たれる。
完全に浮き足立ってしまい、
試合が終わっていないのにもう泣き出す選手が出てくる。
応援している方もこれは駄目だなという気がしてくる。
自分たちが、優勝候補といわれた強豪をどうやって
倒してきたかを忘れ、何故だ何故だ思っているうちに、
試合が終わってしまった。9回ワンアウトあと、
スリーランホームランが出て1点差になり、
逆転かと思われたが好打順の二番、三番は何の策もなく凡退。
一度勝利をあきらめてしまうと、集中力が途絶える
好例であった。
準優勝した春よりも二倍は強くなっていると、
監督は胸を張ったが、精神力の面ではまだまだであった。
吉田監督は選手を絶対に怒らないそうである。そんな優しい
監督のもとで、優勝を狙えるチームが育ったのである。
また来年、必ずや清峰旋風が吹き荒れることであろう。
乞うご期待!

8日が立秋、空にはいわし雲。

2006年8月10日 (木)

長崎原爆の日

黙とうをするのみの我原爆忌

東京から里帰りしている次女と二歳の男の子と三人で黙祷をする。
黙とうが終わり、毎日新聞に載っていた、佐世保では道行く人で黙とうをする人は先ずいない。という記事を読むと、
娘が「えー!信じられない」という。
しかし十日の長崎新聞によると、買い物客で賑わう長崎市浜の町アーケード街で十一時二分、サイレンが鳴っても立ち止まる人は少ない、とある。
平和運動などに参加することは被爆者であってもなかなか難しい。
しかし一分間立ち止まり、眼を閉じ、手を合わせ平和を祈ることは誰にでも出来る。
数年前、夏の甲子園で広島県代表高から、八月六日に黙祷をして欲しいと要望がだされたが、高野連は八月十五日に黙祷をしているから必要ないと拒否したという記憶がある。たった二分間平和を祈る時間が増えたからといって、いったい何がどう不都合なのか、理解に苦しむ。
我が長崎県代表「清峰高」は九日、十一時二分、練習を止め広瀧主将の号令で整列し長崎の方角を向いて一分間の黙祷。
広瀧主将は「野球が出来ることに感謝し、全力でプレーする」と話した。
吉田洸二監督は「八月九日は県民にとって特別な日。
平和な状態で、素晴らしい場所で、スポーツができることに感謝している。私を含め戦争を知らない世代も、平和の尊さを子供たちに伝えていかなければならない」と語った。
『長崎新聞』

広島、長崎原爆の日は原爆被害者に対する「鎮魂の日」であると共に、核兵器廃絶を目指す日でもある。しかしながら、
長崎市長の巻頭言「人間は、いったい何をしているのか」
という怒りの言葉のように核兵器廃絶の道は限りなく遠い。
私が「ピカッ」と光ったあの閃光を決して忘れることがないように、被爆者たちが核廃絶運動をを断念することなどはあり得ない。
被爆者達は年々少なくなっていくが、戦争を知らない若い世代にも核廃絶を目指す高校生一万人署名活動の動きがある。
昨年メンバーの一人が「この運動を進めていく上で、ただ被害の実態を訴えていくだけではなく、日本の加害者責任をも学ばなければ、この運動は進まない」とコメントをしていた。黙とうもしない、核兵器廃絶署名に素通りする人たちを、破廉恥と言うことは簡単である。しかし長崎に於いてすら被爆の実態を知らない人が多いというのが実状であろう。
被爆の実態をねばり強く訴えていく以外道は開けないだろう。山人のこのささやかなブログのリンク、「被爆者の声」でも被爆者の生の声を聞きことが出来る。月に一度でも訪問してほしい。また、核兵器廃絶高校生一万人署名活動の皆さんに次の言葉を贈りたい。

「百万の署名は戦争放火者を激怒させるだろう。
 千万人の署名はかれらを混乱させるだろう。
 そして、億の署名はかれらを沈黙させるだろう」

 H・ジョンソン(1874-1966)、イギリスの宗教家。


九日の平和祈念像、平和運動はこのようにたくましくあれ。


平和の泉
「のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが一面に
浮いていました 
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」
〜あの日のある少女の手記から〜
「水を水を」声なほ耳に原爆忌 
 宮田えき女


原爆落下中心地

2006年8月 8日 (火)

夏の甲子園開幕

長崎代表清峰高、福島代表光南高に大勝。
清峰高の特徴は吉田監督、選手ともに学習能力が高いことである。
光南高の県大会準決勝、決勝戦のビデオを見たと言うことだし、
22点取ったことは、春の選抜決勝で横浜高に
21-0で負けたことが引き金になっている。
光南高もこの敗戦が来年の大きなバネになることを期待したい。
山人も見た長崎県大会決勝でただ一人冴えなかった選手がいた。
9番ライト池野君であった。送りバントを二度も失敗し、
追いついたファールフライを落球する、満塁のチャンスに
1-3から絶好のストライクを打席をはずして見逃し、
次のボール球を空振り三振、トータルでも11打席無安打、
この選手をどうするのか興味があった。
結果は三塁打2,二塁打1,安打1の四打数4安打の大当たり
であった。
また守備はうまいが打撃が非力なサードをかえて、県大会まで
控えだった大津選手をセカンドにいれ、その選手がホームランを
打つなど、吉田采配はぴたりと的中している。
春の選抜以来の先発になった有迫投手は自己採点で
60点といっているので、
次の試合ではきちんと修正してくるだろう。
また右のエース富尾投手も県大会では自責点0の好投手。
この二枚看板はそう簡単に打ち崩されることはないと思う。
夏の大会も清峰旋風が吹きあれそうな予感の一戦であった。

2006年8月 3日 (木)

WBAライトフライ級王座決定戦

 昨夜、普段見ることがないボクシング中継を見る。
試合が終って、毎晩見ているヤフーのスポーツコーナーチェックする。右下に、ヤフー!投票 亀田が判定で世界タイトルを獲得 あなたの判定は?で亀田の勝利 、ファン・ランダエダの勝利、引き分があり それぞれにチェックできるようになっている。ファン・ランダエダの勝利にチェックを入れ、投票の結果を見ると、投票者数7万人弱の内、ファン・ランダエダの勝利が94%、亀田の勝利が4%、となっていた。今日の新聞はどう書いてあるか興味深く見る。微妙な判定が片隅に小さく載っていた。今日のヤフーでは、昨夜TBSに抗議の電話が殺到したある。むべなるかなである。
TBSが総力を挙げて、亀田親子をもり立てるパフォーマンスを
演出してきたのだが、世界チャンピオンになったことで
TBSのイメージダウンとなる皮肉な結果となったようである。
亀田親子に関して言えば、試合は完敗、そして痛恨の勝利と
いう痛ましい結果となった。
亀田新チャンピオンは、負けたことにより本当に強い真のチャンピオンになれる可能性があったのに、残念である。
数ヶ月前、具志堅用高氏が毎日新聞紙上で亀田親子の傍若無人のパフォーマンスと試合相手の弱さを指摘し、タイトル戦は早すぎるというコメントをして、協栄ジムと亀田パパが激怒するというニュースがあったのだが、具志堅氏の見識の高さを思い知るのみである。
蛇足だがTBSの日曜朝の番組「関口ひろしのサンデーモーニング」のコーナーで、大沢親分と、張本勲氏が、各スポーツの
結果に対して「天晴れ!」「喝!」をいう滑稽なコーナーが
あるのだが、はたして両氏は如何なる判断をくだすのか興味津々である。山人はスポーツは大好き人間だが、素人である。しかしボクシングで飯を食っている玄人、或いはスポーツ評論家は、微妙な判定であった、だけでは済まされない。今後の専門家と称する人たちの意見に注目したい。


一房だけの百日紅(さるすべり)

2006年7月31日 (月)

ながさきみなとまつり花火大会

「大花火大観衆の夢が散る」

「アリガトー!」歓声上がる大花火

30日、「みなとまつり」の花火大会を妻と見に行く。
ここ数年欠かしたことがない。
今年は5000発、かなり見応えがあった。
十数年前「小浜温泉」であった九州花火師大会を
かぶりつきで見て以来、花火は病みつきになる。
頭の上から花火が降りかかってくると我を忘れる。
観衆も贅沢になり、中花火ぐらいでは冷静だが、
大花火になると、「うわー」という歓声、拍手、
若いグループからは、「アリガトー」とかけ声が上がる。
そして花火が消えたあとの、「ふー」というため息。
みんないかなる夢を見たのであろうか?

花火は消え去る物だからこそ感動が残る。


花火は海上から上がる。
空には六日月。対岸の灯もきれい。



デジカメによる初めての花火は
ほとんどが失敗、大花火は残念ながら
撮れなかった。




2006年7月30日 (日)

月例俳句会

月例俳句会があった。

兼題(前もって出されていた季題)は麦茶。

「帰宅して冷し麦茶に甦る」 蕉露

「何はさて冷やし麦茶を供せられ」 田鶴子

smile「酒豪かと見へしジョッキの麦茶かな」 路子

「引越屋生まそうに呑む麦茶かな」 山人

smile「二階よりまた降りて来て麦茶かな」 洋子

「けふの日の初めに麦茶冷やしけり」 千代美

「麦茶割り藷焼酎の旨きかな」 伯水

smile「庭師去る麦茶のボトル空にして」 寂水

「麦茶くむ子に癒さるる旅疲れ」 汀子

「一杯の麦茶で話はじまりぬ」 慶秋

俳句を始めて既に19年になる。
「俳諧を読む(俳句読本)」
というメルマガを発行しているので
毎日俳句歳時記を開き、最低百句は鑑賞をしているが、
自分では俳人という意識はない。
俳句は、五七五の中に季語を入れれば出来上がる。
しかし人から良い句と思われる句を句作するのは難しい。
月例句会で五句は出句しているので、
出来た句は千句を超えるが、
自分で納得できる句はわずかである。
それでもいつの日にか、名句が出来ることを期待して
山人は頑張っている。
もはや俳句は人生の一部であると言っても言い過ぎではない。


例会の各人の全句を
山人がワープロで打ち、
一年分を製本している。
表紙絵は主宰が書いてくださる。

2006年7月25日 (火)

夏の高校野球長崎大会

 第88回全国高校野球選手権長崎大会の優勝戦を見に行く。
(結果は2対0で清峰高校が波佐見高校に勝つ)
昔は只だったのに入場料500円取られる。
社会人野球が只なので違和感がある。
甲子園ならいざ知らず、地方大会で徴収するとは
納得がいかない。
大朝日新聞とあろうものがそれくらい負担しろ言いたい。
前日の天気予報では雨が降ったり止んだりであったが
梅雨明けしたかのように入道雲が空に見られらた。
かんかん照りも何のその、ネット裏で観戦する。
清峰高校の富尾投手を見たいがゆえである。
制球が今一であったが、スライダーに切れがあり、
しかも低めに決まっていたため2安打完封、完投勝利だった。
結局春の選抜準優勝の立役者、エース有迫を温存したまま
優勝したことになる。春の選抜では有迫一枚だったため、
優勝戦は力尽き結局、0対21 という歴史的大敗をしたの
だが、右の富尾投手を僅か四ヶ月程で育て上げた
清峰高校の吉田監督は只者ではない。
本気で優勝をねらっているのであろう。
8回の2アウト満塁のピンチにも動ぜず、9回も富尾に
続投させた吉田監督に全国優勝への執念を見た思いがする。
九州で、春、夏の甲子園大会で優勝経験がないのは長崎県と
宮崎県だけだと思うが、此の分では長崎県のほうが
一足先に優勝をしそうである。

勝利への一投一打雲の峰
歓喜の優勝
校歌斉唱

2006年7月23日 (日)

長崎大水害

日記 > myblog

 全国的に大雨による被害が出ている。
被害に遭われたかたには、心からお悔やみ申し上げます。
二十四年前の1982年7月23日は、「長崎大水害」の日である。
一週間前ぐらいから断続的に強い雨が降り続いていたのだが当日、一時間雨量128�、日雨量が527�という記録的な雨量で、死者行方不明者299名という大きな被害が出た。
我家は高台にあったため、家屋の被害はなかったものの電気、ガス、水道が一週間ぐらいストップ、原爆後のようなひどい状態であった。また町の中心部を流れる「中島川」が氾濫し古い由緒ある石橋群が崩壊するという信じがたい状態になった。この大水害をふまえた中島川河畔の改修工事がやっと最近終わったばかりである。
三百年ぐらい前に、このような大水害の記録があるという
話だが、後世の人たちがこの改修工事に感謝してくれることを祈るばかりである。


大水害後の眼鏡橋


改修後の眼鏡橋、右側の歩道の下に新しい水路がある。

2006年7月19日 (水)

ボウリング大会

日曜日、ボウリングの月例会がある。
成績は、4ゲームで(159、157、136、149)Total 601
8人中6位だった。
8年前会社を定年退職してから、近所の奥さんに誘われ
妻と一緒に老舗のボウリングクラブに入会し、
その月例会に参加するようになった。
その後、山人は、尿管結石で約半年、狭心症で二年間休会。
4年前心臓バイパス手術を受け、一年ぐらいやすんでから 、
又ボウリングを始めた。ニトロダーム(冠動脈拡張薬)
という貼り薬を胸に貼り、
ニトログリセン(舌下錠)を用意して始める。
勿論医師からは
大丈夫という確約を受けている。
そして去年まで140前後だった
AV(アベレージ)が今年になってから150にあがる。
優勝も今までに2回しかなかったのに、
今年はすでに2回も優勝している。
練習など全く行かないし、いつも
試合がぶっつけ本番である。だから現状維持ができれば充分だと
思っていたのに、嬉しい誤算である。
原因は昨年一月から始めたラージボール(卓球)意外に
思い当たることがない。
足腰が鍛えられて、フィニッシュでの踏ん張りがきくように
なったからだと思う。
山人は蒲柳の質である。中学三年、高校一年と結核のため
休学する。そのため三十年前第一回の小学校の同窓会が
あったときに、「君は死んだと思っていた」と言われ、
びっくりする。だがその後も何度か死を覚悟する大病を
経験した。遺言状は二通も書き、葬式の段取りも、
長男に最低の費用で質素にやることと言い渡してある。
また友人でもある主治医には、BGMに「アメイジングブルース」
をかけてくれと頼んでいる。
と、死に対する準備万端が整っているのであるが、
昨年、ラージボールを始めてから急に体調がよくなり
それが今年のボーリングの成績にも表れてきたという次第。
最近「人は生かされているのではなく、生きてゆくものである」
という言葉を見かけたが、山人は違う。
「自分は生きているのではなく、生かされている」
というのが実感である。

では、誰が、何のために自分を生かしてくれているのか?

山人の旅はまだまだ終りそうにない。

西国山人のメルマガ
「俳諧を読む(俳句読本)」

2006年7月11日 (火)

ラージボール(卓球)

「玉の汗卓球台に飛び散りて」 伯 水

週二回ラージボールを楽しんでいる。
ラージボール(卓球)は卓球の球(40ミリ)より少し大きくて(44ミリ)軽い。だから球が遅く蹴鶏の喧嘩のような現在の卓球とちがってラリーが続くし、カーブ、スライス、カット、ドライブ、ロブと自由自在に打てる。丁度硬式テニスのような感じで楽しむことが出来る。
卓球は会社勤めのとき、昼休み毎日のようにやっていたので素人ではない。
メンバーは11人(男3人、女8人、内寡婦2)、平均年齢65才? 若手は50代の前半と思われる二人だけだが、正確な年齢は定かではない。
コーチをしている小学校時代からの友人と、サブのコーチ役の山人が経験者、あとは皆始めてラケットを握った人ちだ。
山人は家内と昨年から参加しているが、入った当時は、サーブも出来なかった奥さん達が今や変化球サーブに、スマッシュと目を見張るような試合をしている。そしてまだ発展途上にある。
問題点は、2時間ほぼ休みなく動き回っているのに、全員の体型が変わっていないことだ。
それでも皆何かを期待して、わいわいと楽しんでいる。まあ60才以上で、これから何か運動でも始めてみるかと思っている方は、易しくて無理なく始められるラージボールが絶対にお勧めである。
心臓病の障害者手帳を持っている山人が言うのだから間違いない。


ラージボールの仲間達

2006年7月 7日 (金)

七夕

星とほしあひそうもなき雨夜かな  高島 玄札

七月七日は七夕、奈良時代は乞巧奠(きつこうでん)とも
言い宮中の年中行事として行われていた。
一年のあいだ天の川をへだてて会うことが出来なかった
牽牛、織女が晴れて会える日である。
しかしながら今は梅雨最中、ゆえに上記の俳句のような
状態になる。
七夕はもともと、陰暦の七月七日の行事だから、
普段は立秋の後になるので、俳句歳時記では
秋の部に載っている。
(今年の陰暦七月七日は7月31日)
元来民間行事は、陰暦に基づいて行われてきた。
新暦に変わったときに、民間行事は旧暦で行うべしと通達が
あれば、旧暦、一月遅れ(有名な仙台の七夕祭りは8月7日)、
新暦と混乱することはなかったであろう。
今更言ってもどうにもならないが、民間行事は生活に
密着していた陰暦で行うべし、(特に七夕は)と
山人は思う。
(一年ぶりの逢瀬が雨で会えないなんて可哀相)
蛇足
牽牛星は鷲座のアルタイル、織女星は琴座のヴェガ。
天の川をはさんで明るく見えるということだから、月末頃
挑戦されては如何。最近天の川なんて見たことないなぁ。

2006年6月30日 (金)

老人よ、怒れ!

「住民税納め見上げる梅雨の空」
暗い空であった。
sad
市民税・県民税を納めた。
六月の初め、新聞のコラム冒頭で、市民税・県民税の
納付書を受け取った65才以上の人は驚いたことだろう、
とコメントがあった。まさに開いた口がふさがらなかった。
平成17年度の納税額「9900円」が、今年は「47,900」円と
5倍近く上がっている。収入は1円も増えていないのにである。
年金も月額2万減らされ、年額50万に満たない
年金を貰っている妻も今年から介護保険料が5万近くきたと
こぼしていた。
これまで40年近く、税金も年金も一月の遅滞もなく納め、
現在の20代、30代の人たちよりよりもはるかに多額の税金、
年金を払っている。
固定資産税も、資産に応じた税をきちんと納めている。
それと直接税と間接税の割合が現在どれくらいか分からないが
間接税に関して言えば、所得に関係なく平等に払っているわけだから、むしろ低所得者のほうが間接税の負担率は高いといえる。
なにも「お前ら低所得者達は今まで優遇されてきたのだから
これからは払うものはきちんと払って貰うぞ」と
言われる筋合いはない。
老人を厄介者にする風潮があるが、これまでにきちんと国民としての義務を果たしてこの国を支えてきた人たちである。
老人に敬意を払わない国に未來はない。
angry
五月雨を集めて水かさが増えた
中島川

2006年6月24日 (土)

都市対抗野球九州地区予選

「勝利への一投一打雲の峰」

「西国山人」という意味ありげな名前で「俳諧を読む」というメルマガを発行し、俳句歴も20年近くあるので、山人を知るものから文系と思われているが、
自分では体育会系と思っている。
23日は、3時に起きて「日本」対「ブラジル」を応援。
山人は予選の三敗もありうると予想していたので、
完敗の結果に妙に納得する。サッカーはさておき、
6月17日から都市対抗野球九州地区予選が長崎で行われた。
19日、20日、24日と地元「三菱重工長崎」の応援に行く。
社会人野球といってもレベルはかなり高い。二年ほど前、
ホークス二軍と、三菱重工長崎との試合を見に行ったが
全く互角であった。
入場料は500円だが、三菱の係員が入場券を呉れる。
三菱の団扇を受取り、三菱OBのような顔をして応援に
参加する。
社会人野球も、最近はクラブチームが増え、参加チームが多くなったが、まだ企業チームには歯が立たない。企業チームは
組織された応援団がいて、その応援合戦が楽しくて面白い。
試合開始と終了時には、お互いにエールの交換があり
すがすがしい。プロ野球の応援よりはるかに質が高い。
普段はネット裏に陣取り、バッテリーを観察する。
回りには、老たる野球雀が居て姦しく、
プロ野球解説者も顔負けの手厳しい評論が飛び交う。
実によく野球を知っている。なるほどと納得させられること
しきりである。他県の打者の弱点まで知っている。
今日(24日)は敗者復活戦による第二代表決定戦だったが、
地元「三菱重工長崎」が都市対抗準優勝の経験がある強豪
「ホンダ熊本」に、一度はドラフト候補に上がったこともある
エース格の手嶋が緩急を付けた丁寧な投球で、
ねらい球をしぼらさず、6安打の散発に押さえ、
打線も好調で 6対1 で勝利する。
手嶋はピンチになると制球を乱し、カウントをとりにいった
球を痛打されるケースが多かったが、今日は安心して
見ていることが出来た。老兵のエース後藤が健在だけに、
東京ドームの活躍が期待できそうである。
今日は土曜日だったので、「ホンダ熊本」も100人以上の
応援団がいたし、地元応援団は2000人ぐらいはいたのでは。
お互いに「いいぞー!いいぞー!ガンバレ!ガンバレ!」と
賑やかであった。
スポーツの世界では、別に強制されなくても、素直に日本を
愛し、郷土チームを応援する。これで良いと思う。
だからことさら憲法条文で愛国心とか郷土愛を強制されると、
なにか胡散臭いもの感じるのである。
山人はスポーツ大好き人間である。
長崎県営野球場「ビッグNスタジアム」


一般の応援は、日焼けを恐れ日陰へと集まる。日焼けは皮膚癌の一要因である。山人の友人も皮膚癌でなくなった。リンパへの転移が早く、皮膚癌は怖い癌である。(20日)


20日の沖縄電力の応援団、沖縄民族衣装に着替えての踊りには敵陣からもやんやの喝采があった。



三菱重工長崎香焼造船所で建造された世界一の豪華客船・
ダイヤモンド・プリンセス号

2006年6月19日 (月)

あじさい祭

「シーボルト跡地の四葩青々と」

紫陽花を俳句では、四葩(よひら)、七変化とも詠む。
今、長崎では、あじさい祭が眼鏡橋界隈の中島川沿いと、
グラバー園で開かれている。
全国各地でもあじさい祭が開かれているが、紫陽花は長崎が
本場、長崎市の市花になっている。
また紫陽花の学名ハイドランゲア・オタクサは、
長崎出島のオランダ商館医師として赴任したシーボルト
(シーボルトはオランダ人ではなく、ドイツ人)がつけ、
オタクサはシーボルトの長崎妻「たき(おたきさん)」から
名付けられた。
シーボルトは在日6年ほどで、国外持ち出し禁止の日本地図を
持ち出そうとして国外追放になったので、やさしかった
「おたきさん」偲び学名につけたのであろう。
だから紫陽花は、長崎には、ロマンのある花なのである。
雨をたっぷりと吸い込んだ紫陽花はみずみずしく美しい。

「あじさいの重さは雨の重さかな」平井千代美

眼鏡橋



紫陽花(1)



紫陽花(2)


紫陽花(3)

2006年6月 8日 (木)

小学校のクラス会

日記 > myblog
「麦秋や同窓会のバスの旅」

毎年恒例となっている小学校のクラス会が4日、5日と
ある。
福岡県筑後川沿いにある原鶴温泉へ行く。

「原鶴の農婦が鵜舟農衣着て」本多静江
   
昭和24年卒業の6年6組だったから6・6会と称し、
ここ10年ぐらい毎年一泊二日の旅行をしている。
卒業名簿を見ると総勢62名。山人もそうだが八割ぐらいが被爆者である。そのせいか すでに10人も亡くなって
いる。男性9人、女性1人。やはり女性は強い。
外に行方不明者が14人いるので、亡くなった者はもっと多いのかもしれない。恩師は一回りしか年が違わないので健在である。足が悪いので残念ながら参加はされなかった。
参加者は連絡が付く34人のうち、毎年20人前後参加する。今年は男7人、女12人の計19人が参加した。
女12人のうち6人が寡婦である。亡くなった夫は
皆60代から70代の前半で亡くているから、やはり原爆の
影響が有るのかも知れない。
夕食後、螢狩りへゆく。
車と人は満杯であったが螢は今一だった。
帰ってから、一部屋に集まり、遅くまでわいわいがやがやと
歓談する。
山人の小中学校時代は、男女が会話することなどまずあり得なっかったのに、当時から仲良しであったかのように昔話に
会話がはずむ。男性、女性の性の部分が半減したせいもあるのかも。
翌日は、黒田藩の支藩であった甘木市の秋月城を見学して帰途についた。
「涼風や秋月城址蒼天に」沼田夕虹

麦の秋



ホテル前で記念写真


2006年6月 2日 (金)

向こう三軒両隣

「越して来し家よりピアノ若葉風」

昨年、八年ほど空き家であった前の家に、2月頃から
リフォームが始まり、5月にリホームが終わると、
しばらくして40代のご夫婦と中高生の娘さん二人の
4人家族が引っ越して来た。
すぐご夫婦が挨拶に見えた。
とても感じの良いご夫婦である。娘さんも庭にいる家内に
通りから挨拶をするとかで躾がしっかりしていることが
分かる。
奥さんがピアノの先生をしているので、子供が行き交い、
ピアノの音が午後から聞こえてくるようになった。
夜いつも真っ暗だった家に灯りがつき、ピアノの音が聞こえてくると、なんだか心が温まりほっとするのである。
現在、妻はその奥さんと家の前でよく立話をしている。

「良き隣人は遠き親戚にまさる」


若葉風が吹いていたのだが?

我が家の門前

2006年5月29日 (月)

運動会

「運動会ことし五等と胸を張り」
小学4年と5年の孫の運動会に妻と末娘と三人で応援にく。
「運動会」は秋の季語であるし、私の少年時代は、
当然秋に行われていた。しかし最近の長崎の小、
中学校の運動会は、 五月の終わりか六月の初旬に
行われている。
1年から6年までを赤組、黄組、青組と縦割りにして、
同じ色の鉢巻の上級生、下級生を応援するので、
とても良い雰囲気だ。父兄も親達よりじいちゃん
ばあちゃんがの方が多し、みんな楽しそうである。
運動会を見ている限りでは、とても平和であった。
ひとつ気になったのは、運動場に雑草の一本も
生えていない。風が吹けば埃もうもうである。
運動場の真ん中に芝生でもあれば、埃が舞うことは
ありえないのに、草の生えていない運動場を誰も
おかしいと思わないのが、不思議である。
沖縄の何とか踊り

「金八先生」で有名になったソーラン節

2006年5月23日 (火)

吟行

20日(土)俳句会の吟行があった。
「吟行日卯の花腐しからり晴」
長崎市の南西部の山の上にある、「式見ハイツ」に行く。
吟行の面白いのは、共通の環境でありながら全く違う句が
出来るのがなんとも興味深い。
しかしこんな句が出来たりもする。
「吟行やまず老鶯に迎へられ」山人
「吟行や夏鶯に迎へられ」 洋子
式見ハイツは宿泊施設であり、トロン湯という温泉もある。
温泉でくつろいだものは、こういう句をものにする。
「山の湯にくまなく及び新樹光」路子(山人の特選句)
また隣接地に「あぐり(アグリカルチャ)の丘」があり、
此処を散策し作句したりする。
天気の良い土曜の10時半なのに誰もいない。
お祭り好きの長崎人には、自然と対話するこのような所は
あまりなじめないのかも知れない。
12時半から、ビールを飲んで食事して句会となる。
選者特選句
「万緑の中登りゆく定期バス」路子
山人の選句
「一病を友とし生きて薫風裡」蕉露
「平和とは夏めく風に子らの声」寂水
「昨夜の雨宿せし薔薇に香の微か」慶秋
「木の上に少年在りて丘の夏」田鶴子
「山荘の昼餉や旨き新茶かな」伯水
「吟行や丘のサイロと夏の海」千代美
「楚々と咲き池の辺や夏薊」洋子

山人は六句とも無点句だったが、自然とゆっくりと対話が
でき、昼からビールが飲め、旨い食事ができれば
「成績はどうでもいいやい生ビール」という心境で
あったのである。


「人影のなきあぐり丘薫風裡」山人

「老鶯や紫紺に煙る遠き島」 蕉露

2006年5月13日 (土)

出島雑感

 「阿蘭陀も花に来にけり馬に鞍」 芭 蕉

(延宝7年・1679年、作句)
(オランダ人までも馬に鞍をおいて江戸の花見に来ていた)

このオランダ人は、長崎出島のオランダ商館長(甲比丹・
カピタン)である。甲比丹は、年に1回江戸に参府して
将軍に謁見するのが義務づけられていた。
この延宝七年は、3月1日(陰暦)拝賀と在るので、
甲比丹は、江戸で満開の花見を楽しんだことは間違いない。
長崎の出島は、鎖国時代に唯一西洋文明の開かれた窓口として、海に突き出た約4000坪弱の人工島であった。
今は埋め立てにより海側を路面電車が通る街中の一区画と
なっている。
現在この出島の復元整備事業が着々と進んでいる。
4月から、「長崎さるく(ぶらぶら歩く)博」が開催されているので、地元の人はこうゆう場所にあまり出かけないのであるが、数年ぶりに出島を訪れてみた。
入場門があって、500円徴収されそうになったが、
市民である証拠の免許証を見せてただで入る。
カピタン部屋など10棟ほど完成していた。
中は資料館としても充実してある程度昔を偲ぶことが出来た。
しかしながらである、今や街中にある旧出島を建物だけを
復元する意味があるのだろうか、疑問に思った。
それよりも今も造成されている港の埋立地に新しく「出島」として復元した方が、当時の出島の置かれた環境がより
理解できて、時間もお金もかからず、より良いと思うの
だが如何であろう。
もっともこの考えに賛意を表したものはまだ一人しかいないので老の戯言でしかないのだが。
将来は側を流れる川の流れを変えて、昔の出島に近づけたいという考えがあるらしいが、お役人の考えることは
とにかくにお金がかかるのである。

長崎出島


話変わって、「長崎さるく博’06」は、お金もあまりかからずおすすめだと思いますよ。
 長崎に一度は来てみんね!


※「長崎港俯瞰図」川原慶賀、 
の一部分



※現在の入場門だが、昔の入場門ではなく、昔は水門があったところ。門番役が行ったり来たりしていたが、カメラを向けるとポーズを取ってくれた。



2006年5月 6日 (土)

春愁

「この国の行き先見へず春愁ふ」

春が終わり夏が来てもこの国への愁いは消えない。

4月30日、長崎の「鉄橋」という人通りの一番多い橋の上で、ビラ配りと署名活動の20人ぐらいの高校生を見かけた。
八年前からはじめたという、「核兵器廃絶と平和な世界をめざす高校生一万人署名」の活動である。暫く見ていたが、被爆都市ナガサキであるにも係わらず、かなりの人が無視をして行く。
この国を駄目にしているのは、単に政治家だけではなく、
自分のこと以外には、全く無関心な人たちであることがよく
分かる。
でも彼等はめげることなく、明るく声を張り上げていた。
そしてこの運動に参加する高校生は着実に増え、他県にまで拡がりを見せている。
去年、長崎で署名活動に参加した神奈川県の女子高生が、
テレビのインタビューで、「長崎は反応があってやりがいがある。神奈川はまだまだですが頑張ります」。
とコメントをしていた。
署名をして、ポケットにあった500円玉を募金箱に入れ、中を覗くと数枚の千円札が入っていた。流石ナガサキ!
次は千円入れようと思ってその場を後にした。
※受け取ったビラ
※この子の指さす未來は、薔薇色?それとも灰色?

2006年5月 1日 (月)

セイルドリル

1日、長崎帆船祭が終わる。
30日、日本丸、海王丸の「セイルドリル」を見に行く。
セイルドリルとは、帆を張ることをいう。
午後1時からスタートしておよそ1時間ほで張りあがった。「海王丸」「日本丸」共に全長105mはあるので、
流石に壮観である。
「うーん!すごか!すごか!」と皆大満足。

「蛇足」・地元のテレビ局のレポーターが、海王丸に使われているロープは何kmあるか知っているかと
 MCに 尋ねていたが、正解は
なんと30Kmちかくあるそうである。



セイルドリルを終えて挨拶する海王丸の練習生
海王丸の雄姿

セイルドリルの途中、先は日本丸

2006年4月28日 (金)

長崎帆船祭

毎年長崎では、港祭の一環として4月28日から
5月1日まで帆船祭が行われる。
今年も海王丸、日本丸ほか、六隻の帆船が入港した。

「帆にはらむ5月の風や日本丸」 塚原 路子
 
画像は、ロシアの帆船「パラダ」が昨年完成した
「女神大橋」をくぐり抜けて来たところである。
後方に見えるのが、海王丸?か日本丸。


2006年4月12日 (水)

黄砂降る

「つれづれなるまゝに、日暮らしパソコンに

むかひて、心にうつりゆくよしなし事を、

そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ

ものぐるほしけれ」


春晴れた日なのに、西日本の空は、もやがかかったような

日がよくある。

黄砂である。黄砂は、はるか中国黄土高原より偏西風に

乗って飛んでくる。すっきりとしない空模様であるが

黄砂というと なにかロマンを感じるのである。

又春には、長崎港に 豪華客船がよく寄港する。

「霾(つちふる)や鶴の港に豪華船」

霾(黄砂が降る)、鶴の港(長崎港)