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被爆者の生の声が聞かれます

右脳俳句で自分史作り

心を癒す風景画


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日記

2010年2月18日 (木)

鶴の港に豪華客船

霾や鶴の港に豪華船 

霾(つちふる・黄砂が降ること)、鶴の港(長崎港の異称)

黄砂はまだ降らないが、長崎に17日、クルーズ客船の総トン数「151,400」トン、世界第八位という豪華客船が入港しました。「クイーン・メ リー2」。長崎の三菱重工業で建造された「ダイヤモンド・プリンセス」「サファイア・プリンセス」がいずれも115,875トン(世界27位)でこんな大 きな船がと驚いたものだが上には上があるものである。
港口に架かっている女神大橋から真下を通る船を見たかったのだが朝に弱い山人には無理であった。昼からゆっくりと妻と娘と孫の4人で見物にいき「ふっとかね」と楽しんだ。

水辺の森公園に行くと、連凧を揚げていた。凧も手作りというおじさんを囲んでわいわいがやがや、「ちょっと糸ばさわらせてくれんね」「ちょっととい わんでいっぱいよかよ」「凧ば作るとは大変やろ」「一日暇やけん、なんでんなかよ」130枚という連凧は大空にいつまでも翻っていました。好奇心旺盛なB 型家族四人の昼下がりでした。

クイーン・メリー2

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水辺の森公園の連凧

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2010年1月 1日 (金)

謹賀新年

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

目出度さもちう位也おらが春  小林 一茶

老人になれば中ぐらいの目出度さがあれば上等であることが分かります。昨年十一月末娘が出産して婿共々我が家に居ついているので退屈することがあり ません。「火葬場で赤ん坊の泣き声がするとほっとする」という言葉を聞いたことがあります。正に至言である。赤ん坊の泣き声をうるさいと思うか、生命の息 吹と感じるかは年齢に寄るのかも知れません。気がかりなことはあるものの身近で赤子の泣き声が聞こえるということだけで拙者は幸せだと感じている次第で す。

手作りのおせち料理
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顔をひっかくので手にソックスのもも姫
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2009年12月 8日 (火)

宮参り

宮参り赤子こっくり神の留守

陰暦十月は神無月、八百万の神は出雲大社へ会議のため旅立たれ、それで各神社の神様は留守になるので、俳句では「神の旅」「神送り」「神の留守」などの季題が使われています。

というところで、十一月初めに生まれた孫娘の「宮参り」に付き添いました。神の留守で境内はがらんとしていたのに、控え室に行くと60人ぐらいの人 で満席である。何せ赤子一人に4人から6人の付き添いがいるから大変です。本殿に上がると、宮参りの子は7人、それに七五三、車のお祓い、還暦などが一緒 くたになり通路まで補助椅子を置いてやっと全員が座れました。赤ん坊の生年月日、住所氏名を読み上げた後、笛と太鼓の生演奏で巫女さんが優雅な舞を舞い無 事終了した。結構太鼓の音は大きかったのに熟睡していたのか誰一人として泣き出す子はいなかった。抱っこしていた婿の母親の話では、巫女さんの舞の時は目 を開けて横目で見ていたそうである。

そのあと、写真屋へ行き親子三人の記念撮影。撮影は流石プロである。べそをかく子を色々な小道具であやす人、後から支える人、白湯を飲ませる人と三 人がかりでなんとか笑顔を引き出し無事終了した。それから我が家に戻り婿殿の両親も一緒に我が家でピーチ姫の成長を祝いました。
生まれたとき2、 7K弱だった子も3、5kgまで増え順調に成長していて一安心である。娘が退院して20日ほど我が家で親子三人が暮らしたが、老人夫婦に赤ん坊の泣き声は 命の息吹として元気を与えてくれました。この孫娘の成人式まで生きるのはちょっと辛いが戦争のない平和な世の中をと願うばかりである。

がらんとした諏訪神社の長坂
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長崎人なら一度は食べたことがある明治時代からある「月見茶屋」
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なにがあるの?
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馬子にも衣装?最近まだ褒め言葉と思っている人がいてびっくり。
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福沢諭吉先生も寝泊まりしたという長崎の名刹「光永寺」の銀杏落葉
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2009年10月15日 (木)

鉄道の日

10月14日は「鉄道の日」でした。

長崎を走る都電や鉄道日


先日見慣れない色の電車(長崎では路面電車のことを電車という)に乗ると、この電車は都電(東京の路面電車)2018号です、という吊り下げ案内があった。普段は走っていないが「鉄道の日」を記念してと言うことが書いてあった。
少し前までは、日本各地の電車が長崎で走っていたが、最近はバリアフリー対応の電車が増えてきたので、古い電車はお蔵入りになっているようだ。
またこのバリアフリー対応なども一因ということで、20年近く100円だった運賃が10月1日から120円に値上げされた。これでもまだ長崎の路面電車は日本一安い運賃だそうだ。そのせいか、やむを得ないというのが市民感情のようでした。

山人は障害者手帳をを持っているので電車・バスは半額である。同伴者一名まで半額であるが介護の必要はないのでこれはパスしている。卓球できるもの が何で障害者かという者が身近にいるが、心臓バイパス手術した者は死ぬまで障害者である。障害者の割引は、障害者でも家に引きこもるのではなく、多いに街 に出かけましょう、というのが趣旨だと思うので有り難く利用させていただいている。

2018

2009年8月 4日 (火)

梅雨明

梅雨明の空の広さの戻りけり  佐圓 久美子

7日はもう「立秋」だというのに、ようやく4日、長崎地方は観測史上一番遅い梅雨明けとなった。梅雨明けと言ってもからりと晴れた青空ではない。政 治の混迷が気象に現れたと言えるような天気である。異常気象の一環であろうが驚く者も少ない。政治は国民の意志で替えることが出来るが、異常気象は天のな せる業であるからいかんともしがたい。この遅い梅雨明けが今後の気象に何事も影響を与えないことを祈るばかりである。

先日、Y画伯と長崎半島へドライブに行きました。

軍艦島といわれる端島

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岳路(たけろ)
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2009年7月27日 (月)

ながさきみなとまつり花火大会

花火大好き人間の山人は、毎年行われる「ながさきみなと祭り」の花火大会を必ず見に行くことにしている。今年は25日(土)が3000発、27日(日)が5000発ということだったが、25日が大雨のため中止になり、26日に8000発ということになる。

暗く暑く大群衆と花火待つ  西東 三鬼
                                                                                 知人から主催者側の招待券を貰ったので、かぶりつきの特等席で近所の奥さんと我々 夫婦、三女夫婦と五人、シートを敷いて座り、上記の俳句のように今や遅しと待ちかまえる。湿度が高く風も全くないという無風状態の中で始まる。
と ころが最初の景気づけるように「ぱちぱちどんどん」と始まる小花火が上がり出すと、その煙がもうもうと空に立ち込め風がないため煙が流れない。その煙の中 に花火が上がるため、花火が三分に一ぐらい煙に隠れくっきりと見えないのである。普段なら「わぁ!わぁ!わぁ!」と歓声が沸き起こるのにシーンとしてい る。「あれーなんだかいつもと違うぞ」という感じである。中花火、大花火が上がり出すと流石に歓声が上がりだしたが、結局最後まで煙が消えることなく少し 盛り上がりに欠ける花火大会となった。小雨が降る中で見たこともあるが、花火の煙が気になったことは一度もない。花火が湿気ため煙が多かったのかなどと思 いながら帰路についた。

写真もよく撮れなかった
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まあまあの一枚
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2009年7月22日 (水)

日蝕・長崎

部分日蝕は見たことがあるが皆既日食は見たことがない。今回の日蝕は長崎でも9割欠けるというので、わくわくして待ち受ける。しかしあいにくの曇り空。それでもカメラで何枚かシャッターを切った。アマチュアながら手持ちでこれだけ撮れればと自画自賛。
次回の皆既日食は26年後とか、小生98歳だから手持ちは無理だろう、その時は三脚を使わねばなるまいと思った次第である。

欠け始め

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ピーク
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レンズは300mm

2009年7月19日 (日)

中学生のオーケストラ演奏会

山人の出身校である長崎市立桜馬場中学校のオーケストラ部(孫が出演している)「第2回定期演奏会」を聞きに行きました。昨年は「柔道場」だったので演奏者も観客も汗だくという有様だった。
今 年は「長崎市民会館文化ホール」で開催されたので、クラブ活動の発表会というより演奏会として楽しむことが出来た。長崎県の中学校ではブラスバンド部はあ るがオーケストラ部はこの中学校だけである。部員は毎年変るしほとんどの部員が初めての楽器である。それを音を外さないまで持って行くのだから、指導者の 苦労は並大抵ではないだろう。
総勢60数名のフルオーケストラ、ひどい演奏の乱れもなく2時間30分を楽しむことが出来ました。部員の内、男子が 5人というのが今後の課題であろう。指導者の確保、経費の問題など大変だと思うが、この定期演奏会はなんとか続けて欲しいものである。長崎市の補助なども 必要だと思った。演奏の質はともかく、これだけの中学生が一心不乱に演奏に打ち込む姿には、深い感動を覚えました。

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長崎市立諏訪小学校弦楽クラブの友情出演

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2009年6月 9日 (火)

天草でおくる

五月に、山人の命の恩人であるホームドクターで、また友人でもある「R・MD」の母上が86歳で急逝されました。天草で一人暮らしをされていました が、今年から体調を崩されケアハウスに入居されたばかりであった。彼の母上は、色白で皺シミがほとんどないという私が知る限り希に見るきれいな老婦人でし た。亡くなる前日にお世話していた奥さんが、「また来ますね」と長崎へ帰ってきた翌日早朝の出来事でした。朝の7時半頃、今船の中からと連絡を受け、妻と 昼の便で駆けつけました。ご遺体は戻ってきたばかりで、まだ眠っているような安らかな死顔でした。
力仕事が出来ない山人は、通夜と本葬の受付とお香典の管理ぐらいの手伝いしかできなかったが、北海道、東京、大分にいる三人の孫達が家族全員で当日中に駆けつけてくれ、おばあちゃんも大感謝だったと思います。

アカデミー賞を取った「おくりびと」では、家族の前で遺体を儀式のように着付けするシーンがあったが、かようなことは当地では行われない。病院か葬 儀社の仕事である。ご遺体を柩に納めるお手伝いをした後、葬儀社の方が何かしていると気付いてはいたが、暫くして呼ばれていくと、綿でできた見事な白無垢 で飾られていました。遺体は何人も見ているがこんな着付は初めて見ました。生前を偲ばすとてもきれいなお姿ででした。
葬儀では、霊前で5人の曾孫達が「ひいおばあちゃん!天国でも元気でいてね!」と語りかけ、会場の涙を誘いました。

山人は尊厳死会員である。無用な延命治療は受けず、認知症などにかからず、家族に迷惑を掛けることなく、ぽっくりと死にたいというのが希望である。しかし認知症になる人もなりたいと思ってなるわけではないので、これは難しい問題なのである。
去年の暮に亡くなられた俳句会の主宰は亡くなる前日まで元気で夜に具合が悪くなり、翌朝入院し、夕方には亡くなるという潔さであった。
今回の場合も今年になって入退院を繰り返されたが、頭はしっかりしすぎるほどしていたし、親孝行な息子と優しくて確者(しっかりもの)の嫁に恵まれ、とても幸せな一生だったと思いました。
私は天草へは何度か泊まりがけで行き、「(先生の)お母さん、お母さん」と呼んでいたので、「お母さん、最後にとても息子孝行をされましたね、見事な死様でしたよ」と心から手を合わせました。

合掌!

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2009年3月 5日 (木)

哀悼!

「被爆者の声」を収録された 伊藤明彦さんが 3月3日夜 肺炎のため七十二歳で逝去されました。衷心よりお悔やみ申し上げます。

以前より献体を希望されていたため、ご遺体は献体に回され 告別式も行われないということだそうです。

入院中も次の被爆取材のことを口にされていたと言うことだから心残りだったと思います。

三年前に「西国山人のつれづれ草」を立ち上げ、最初にリンクしたのが「被爆者の声」でした。リンクしたときは1万台だった「被爆者の声」のアクセス数も今年12万を超え、英語版も公開されて、運動は順調に推移している中で本当に残念であります。

また伊藤さんが昨年四月に立ち上げ、七月に休刊されたブログ「伊藤明彦 ヒロ・ナガ.com」にも相互リンクしていただき、またのブログ再開を願っていたのに、これもかなわぬ夢となってしまいました。

しかし伊藤さんが心から願った『二度と人類に核兵器を使わせていけない』という願いは不滅です。今年になって毎日、一話から二話「被爆者の声」を聞きながら核廃絶の思いを新たにしていた今日この頃だったのに、無念!

放送記者時代「カミソリ伊藤」と言われていた強面の伊藤さんを偲びながら 合掌!!

2009年2月15日 (日)

一ヶ月検診

九死に一生を得た娘と孫の一ヶ月検診があった。孫の方は体重が4.7Kと順調に増えもう大丈夫とか。娘も検査データの全てがなんとか標準値に戻り、問題ないということだった。
「羊水塞栓症」の検査を依頼していたH医科大学の教授からは、「あるデーターが標準値であったため確定は出来ないが、臨床に立ち会った医師の診断にお任せする」という返事があったそうだ。だから保険の診断書は「羊水塞栓症」になるのではという娘の話だった。
人 が奇跡的に助かるには、運がだけではなくいろいろな要素がある。まず最初の子が死産したので、引き続き大学病院にかかっていたこと。三ヶ月ほど前に、無事 に出産して一般病棟に戻った産婦が突然死する事例があり病院が異常出産に対する緊急体制を取っていたこと。出産が31日の午前9時前で、すでに各科の医師 が出勤していたこと(出産後強烈な悪寒が始まるとすぐに20人ちかい医師が集まった)。つまり出産が深夜だったり、1月1日だったら、当番医しかいずこん な対応は出来なかったはずである。そうして医師が「生きているのが不思議」と言うぐらいに強かった娘と孫の自然治癒力?そして人智の及ばざるなにか不思議 な力が働いた、としか思えない何かがあるのである。自分の命は自分だけのものという神をも恐れぬ考えを持ってはいけない。自分の命がいかに多くの人に支え られているかを悟らなければならないのである。
今はただ神仏?や多くの人たちに感謝する毎日である。
そしてまたこの孫が、直接会いに行ってくれた私の妹や、写真を見た私の友人などから私によく似ていると言われている。それで娘は5月の連休に帰って来ると言っているので、私が迎えに行こうかなと思っている今日この頃なのである。

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昨日、私のパソコン部屋は27度という6月の気温。
散歩道では、オキザリスが咲いていました。
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2009年2月 6日 (金)

無事に退院!

1月18日に書いた手紙です

「けい」たんからの 手紙

ぼく けいたんでちゅ。みっかまえに、ねむりぐちゅりを ちゅうちゃ ちゃれて あたまの MRI をとられまちた。ちょちて せんせいから「まずだいじょうぶでしょう」といわれまちた。しょれで きょう ぶじに たいいんできることに なりまちた。

けいたんと ママの いのちを いっしょうけんめいに たちゅけてくれた せんせいたちと かんごしのおねえちゃんたちと けんさなどをしてくれたひとたちに こころから おんれいもうしあげまちゅ。ほんとうに ありがとう ごじゃいまちた。

せんせいのはなしでは、ママも ぼくも ほんとうにあぶなかったそうでちゅ。ふたりとも たすかったのが ふしぎでちゅ といわれたそうでちゅ。

けいたんにはね 6さいの ようちゃん というおにいたんが おそら にいるんだよ。そのようちゃんがね、おおみそかに ママとけいたんが しにか けていたときに、おそらかおりてきて、「しんじゃだめだよ! がんばれ! がんばれ!」 と はげまちてくれたんだ。だから けいたんもね「しんでたまる かー!」 と いっちょうけんめいに がんばったんだよ。せんせいの はなちでは ぼくより ママのほうがもっとあぶなかったんだって。ママも ようちゃ んの おかげだといっていたよ。ようちゃんにいたん ほんとに ありがとう これからも パパや ママや おうたんにいちゃん けいたんを まもってちょ うだいね。

あーあ ほんとうに いきるということは たいへんなことでちゅね。けいたんひとりの いのちではないことが よくわかりまちた。ママと けいたんを しんぱいちてくれた みなしゃん ほんとうにありがとうごじゃいまちた。みなしゃんのために けいたん がんばりまちゅ。

きょうから ママのおしょばで ねむれるから うれちいでちゅ。でもね けいたんには おうたん というこわいおにいたんがいるんだ。ぎゃあぎゃあ  ないたら ぶっとばすー といっているんだって もうじょうだんは かおだけにちてくれーだ。ぼくはちゅかれているんだから かんべんちてくれよ! た のむよー! またね。 

追伸

やっとおうちにかえってきまちた。びょういんでは おなかがしゅいて よくないたけどおうちでは ままがしゅぐおっぱいを のまちぇてくれるので よくね むれまちゅ。パパや ながさきのおばあちゃんに はじめてだっこしゃれて うれちかったでちゅ。でもね びっくりちたのは、ぼくをぶっとばちゅー といっ ていた おうたんにいたんが、かわいい かわいい といって けいたんをだきちめるんだ。いままで ママがいちばん ちゅきだといっていたのに、けいたん が いちばんちゅきになったといっているんだよ。しんぱいちてたけど これでひとあんちんだ。おんたんにいたん なかよく あしょぼうね。おわり。

ほんとにしんどかったよ

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