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2009年12月

2009年12月31日 (木)

きょうの俳句「除夜の鐘」

除夜の鐘は人間の百八の煩悩を消し去るためというが、毎年撞くのは消し去ることができないからでしょう。煩悩を消し去る事が出来ないのが人間といえそうです。

どう聞いてみても恋なし除夜の鐘  岩間 乙二

除夜の鐘と恋の取り合わせが面白いです。普通の人には全くその通りと感じるのでは。
乙二は江戸時代後期の人で陸前(宮城県)白石の千住院住職。

除夜の鐘幾谷こゆる雪の闇  飯田 蛇笏(だこつ)

きょうはこうゆう除夜の鐘が全国各地で聞かれるのでしょうね。

サイモン・ラトルの「第九」を聞いています。名演奏です。今年も今日で終わり、個人的にも色々な忘れえぬ出来事がありました。政治の世界では政権交 代が歴史的な出来事として記録されるでしょう。しかし民主党らしさが見えてくるのは「2011年度」からだと私は思っています。まあじっくりと見守ってい きたいと思います。
例年だと大晦日に仏壇と神棚の掃除をして、子供達をつれてお墓参りに行くのがぱパターンでした。今年は27日墓参りをすませ、仏壇と神棚の掃除も29日に終わりました。余裕の大晦日です。では皆様良いお年をお迎え下さい。来年もよろしくお願いいたします。

戦前は高射砲陣地があり一般人は登ることが出来なかった稲佐山。
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2009年12月26日 (土)

きょうの俳句「賀状書く」

賀状書くだけの縁(えにし)を大事とす  片岡 光子

皆さん、賀状はもうおすみですか?永六輔さんは年が明けてから賀状は書くと言われていました。昔は二日の書初めから松の内に賀状は書くものだったと、ローカル紙のコラムにあった。私は昨日に投函しました。

現役時代は両親の縁の引継ぎもあり、百枚を超えていた年賀状も今や百枚を超えることはない。賀状を出して四日までに来なかった人には、翌年から賀状 を出さない。翌年来ても返事を出さないとそれで縁が切れる。その程度の縁だったということだろう。そのようにして賀状を減らしてきた。しかし定年後十年 経っても賀状が来る人とは、たとえ賀状だけの縁でも大事にしたいと思う。そして今まで添書きがなかった人も、最近は一言添書きをする人が多くなってきた。 こちらも一言は書き添えるようにしている。九割ほどはパソコンなどの印刷物になってきたがそれでも工夫の跡が見え面白い。例え一年に一度の縁であってもそ の人との過去のふれあいは消えるものではない。だから賀状だけの縁を私も大事にしたいと思っているのである。

昨夜は、末娘夫婦と婿の両親、仕事が終わった長男も加わり「メリークリスマス」と言わないパーティを開いた。全て妻の手作り料理、11時近くまで団欒の時を過ごした。
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不眠症のもも姫、抱っこする人をじっと見つめるようになりました。
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2009年12月18日 (金)

きょうの俳句「忘年会」

姥(うば)ふえてしかも美女なし年忘  宝井 其角

其角(きかく)は、芭蕉の一番弟子、「夕すずみよくぞ男に生まれける」「名月や畳の上に松の影」という名句をものにしている。この句は女性から 「ほっとけ」と苦情が出そうな句であるが男性優位の江戸時代である、美女を侍らして酒を飲みたいと思うのは男なら当たり前のことである。しかし忘年会とな れば美女はいなくてもそんなことに関係なく年忘会は楽しいものである。と解釈しなければならい。しかし古句ながら現代に通用するところがおもしろかです ね。

山人の忘年会は、ボウリングの会と小学校クラス会の幹事で開く忘年会の二回である。クラス会は五、六人で昼間に食事するだけであるが、ボウリングは 職業、身分にまったく関係のない赤の他人だったものたちが和気藹々と団欒するのは楽いものである。今回は、幹事が「じゃんけん大会」といっていきなり 「じゃんけん」を始めた。じゃんけんは、会社時代60人ぐらいの忘年会の余興「じゃんけん大会」で優勝して、スペイン製の天使の陶器(値段は数万)獲得し たことがある山人である、13人ぐらいなら楽勝である。何が貰えるかと思ったら何と女装をさせられてしまった。70年をこえる生涯でこんな恥ずかしい思い をしたのは始めである。家に帰って両親の仏壇に涙ながらにお詫びをした次第である。

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2009年12月13日 (日)

十二月句会(21)

昨年暮、主宰が亡くなられ存亡の危機にあった我らが句会は、主宰夫人を新たな指導者として仰ぎ、会の運営進行は山人が引き継ぎなんとか納句会までこぎ着けた。大手術をして十ヶ月ほど休養された人も参加されて久しぶりに全員参加の楽しい句会となった。
兼題は「日記買う、日記果(は)つ」と十二月雑詠でした。

記すこともなき日もありて日記果つ 田鶴子

亡き夫の机辺そのまま年は行く   田鶴子(高点句)、机辺(きへん)

こもごもの言葉収めて日記果つ   路子

気掛りなことの終らず日記果つ   山人

過去は過去望み新たに日記買ふ   洋子

忌を修し師走心となりてゐし    洋子(山人特選句)

虚子の句碑出会う小春の一日かな  千代美

苦も楽も早や忘却の古暦      伯水

暮近し師の一周忌夢の内      寂水

点滴の落下ゆるやか日短      汀子

長崎市民会館横の銀杏並木(現在はもう散り尽くしてしまいました)
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諏訪神社、どんこ茶屋
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諏訪神社境内
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2009年12月 8日 (火)

宮参り

宮参り赤子こっくり神の留守

陰暦十月は神無月、八百万の神は出雲大社へ会議のため旅立たれ、それで各神社の神様は留守になるので、俳句では「神の旅」「神送り」「神の留守」などの季題が使われています。

というところで、十一月初めに生まれた孫娘の「宮参り」に付き添いました。神の留守で境内はがらんとしていたのに、控え室に行くと60人ぐらいの人 で満席である。何せ赤子一人に4人から6人の付き添いがいるから大変です。本殿に上がると、宮参りの子は7人、それに七五三、車のお祓い、還暦などが一緒 くたになり通路まで補助椅子を置いてやっと全員が座れました。赤ん坊の生年月日、住所氏名を読み上げた後、笛と太鼓の生演奏で巫女さんが優雅な舞を舞い無 事終了した。結構太鼓の音は大きかったのに熟睡していたのか誰一人として泣き出す子はいなかった。抱っこしていた婿の母親の話では、巫女さんの舞の時は目 を開けて横目で見ていたそうである。

そのあと、写真屋へ行き親子三人の記念撮影。撮影は流石プロである。べそをかく子を色々な小道具であやす人、後から支える人、白湯を飲ませる人と三 人がかりでなんとか笑顔を引き出し無事終了した。それから我が家に戻り婿殿の両親も一緒に我が家でピーチ姫の成長を祝いました。
生まれたとき2、 7K弱だった子も3、5kgまで増え順調に成長していて一安心である。娘が退院して20日ほど我が家で親子三人が暮らしたが、老人夫婦に赤ん坊の泣き声は 命の息吹として元気を与えてくれました。この孫娘の成人式まで生きるのはちょっと辛いが戦争のない平和な世の中をと願うばかりである。

がらんとした諏訪神社の長坂
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長崎人なら一度は食べたことがある明治時代からある「月見茶屋」
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なにがあるの?
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馬子にも衣装?最近まだ褒め言葉と思っている人がいてびっくり。
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福沢諭吉先生も寝泊まりしたという長崎の名刹「光永寺」の銀杏落葉
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