2012年1月

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被爆者の生の声が聞かれます

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2012年1月28日 (土)

初句会 2011

初句会

漸くにふたりのくらし女正月  路子

三才児屠蘇なめ「うめえ」初笑  和牛

去年からの縫ひ残すもの縫始  洋子

山昇り海へ沈む日日脚伸ぶ  千代美

笹鳴きも目覚めし朝の癒しかな  伯水

初鏡七十路の襟正しうす  汀子

新年会は「赫々」という和風小料理屋で、1500円の定食を食べながら開催。三句出しの三句選句だからすらすらと終わりあとは雑談に花が咲きました。美しい和服姿のご婦人も二人居て新年会らしい雰囲気を味わうことができました。
長崎はいまラタンフェスティバル開催中、きょうは「皇帝パレード」が浜ん町アーケード街を通るため身動きできないぐらいの大混雑でした。催し物が少ない真冬の行事であり日帰り観光客が多く、聞き慣れない九州弁が飛び交っていました。

長崎ランタンフェスティバル
http://www.nagasaki-lantern.com/

皇帝パレードの皇后役、卓球の四元奈生美さん
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浜ん町アーケード
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観光通のオブジェ(夜になると点灯されきれいです)
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蝋梅が満開
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2011年12月17日 (土)

十二月句会「2011」

十二月句会

兼題は「年用意」と「冬期雑詠」でした。

虚子の軸かけて我が家の年用意  田鶴子

夫の遺影拭きつつ年を惜しみけり 田鶴子

帰省子の数をかぞえて年用意   路子

年の瀬や何か忘れているような  路子

掃苔へ行くも我が家の年用意   和牛

新しき包丁も買ひ年用意     和牛

体調を整へてより年用意     洋子

日短かや縫ひかけの物そのままに 洋子

しずかなる夫婦のくらし年用意  千代美

冬帽子買ひもし銀座四丁目   千代美

枯蓮や子守唄あり古城あり    伯水   (島原にて)

冬耕や老いの一徹通しけり    伯水   

年用意まずは焼あご利尻昆布   汀子  あご(飛び魚)

石蕗の花友のブログへ花を添へ  汀子

八十六歳の主催夫人も恙なく出席され何よりでした。また全員に点が入り和気藹々の納め句座となりまたした。新年会の日時も決まりよき年を願って散会しました。

八手の花
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銀杏散る
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冬の眼鏡橋
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2011年11月27日 (日)

十一月句会(2011)

兼題は「凩」。凩というような風が吹かなかったので皆さん苦労されたようです。

花石蕗や子守唄にも土地言葉  田鶴子

音もなく小滝小流れ紅葉山  田鶴子

木枯や盲導犬の目に憂ひ  路子

橋の上(え)の我をうつして川小春  路子

花時計花の抜かれて冬構(ふゆがまえ)  和牛

凩や喪中欠礼今日も又  和牛

煮かへして独りの昼餉煮大根  洋子

木枯や吹かるるままに髪乱れ  洋子

木枯や帰宅の遅き夫を待つ  千代美

ふるさとの近くて遠し冬の虹  千代美

木枯や市の露店は早仕舞ひ  伯水

半丁の豆腐も匂ふ蕪汁  伯水

すずなりの柿も一興里の秋  汀子

凩の一号追ひて東路へ  汀子

石蕗の花

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蔦紅葉

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中島川界隈

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長崎港の観光丸

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2011年10月23日 (日)

十月句会(2011)

兼題は「夜寒」と「おくんち」でした。

夜寒さや細き月得し門を閉ず 田鶴子

踊り子や暫し憩いの影おきて 田鶴子

ひとりごつ我に気づきし夜寒かな 路子

送る人送らるる人秋日傘 路子

仕舞湯やけふは長めに夜の寒さ 和牛

おくんちの郷土料理のおすそわけ 和牛

耳鳴りのまつわりつきし夜寒かな 洋子

コスモスや刻は静かに流れけり 洋子

行く秋や夫とひと日の小旅行 千代美

太鼓山一瞬秋日遮りし 千代美

耳鳴りの尽きることなく夜寒かな 伯水

東北の秋刀魚の煙しみにけり 伯水

夜寒さの駅を乗り継ぎ加賀能登へ 汀子

まなざしも凛凛し宮日の根曳衆 汀子

太鼓山(コッコデショ)。
根曳衆(ねびきしゅう・踊り町の出し物を担いだり押したりする人たち)

鍾馗蘭(しょうきらん)
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太鼓山(八月の中島川夜祭りに稽古中の「コッコデショ」が飛び入り)

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投げ上げた太鼓山(対岸から)

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次に山人が生まれた町、東古川町「川舟」が登場

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網打ち船頭が網を投げたところ

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2011年10月15日 (土)

運動会

運動会

 子が走るビデオも走る運動会 赤松 美枝

 何役もこなす住職運動会  浅原 賢祥

当地の小・中学校の運動会は何故だか5月下旬か6月上旬に開催されるが、高校と保育園の運動会は秋である。俳句では運動会は秋の季語であるように運動会は秋がふさわしい。
先週まだ一歳の孫娘「ピーチ姫」の保育園運動会に婿の両親と参加した。市の南部にある「南陽小学校」のグランドに到着すると、「なんとなんとグランドが芝生ではないか」。青々とはしていなかったがチョー感激する。(学校のグランドの芝生化と電柱の地中化は私の願いである)。グランドの芝生化に何の関心もない婿の両親、妻も「いいねー」と目を見張る。一寸強い風が吹けばもうもうと砂塵を巻き上げ目も開けられないグランドとは段違いである。運動会では初めて草の上で弁当を食べたが、余りに気分が良かったので、婿の母親が作ってきた「おにぎり」と「おいなり」を四個も食べてしまった。普段昼飯は食べないのに。
保育園はお寺が経営しているので、子供達はお行儀が良い。悪ふざけをする子供もいなくて整然と行われた。我が「ピーチ姫」も最初の入場行進はよたよたしながらなんとか無事に整列する。体操の時は一応手を振り回すまではできた。母親との競技では途中で大泣きをしたがお昼はグランドを駆け回り上機嫌であった。澄みきった青空の下での運動会は身も心も洗われたように爽快でした。きょうは東京にいる孫の運動会(小学校)。やはり運動会は秋である。

芝生のグランド

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一歳児の入場行進

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住職である園長せんせいのあいさつ

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 かけっこ

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  年長さんの鼓笛隊行進

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うーんまだがんばるじょ

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当夜は十三夜でした。友人のR.docの力作
(但しこれは十二夜)

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2011年9月25日 (日)

九月句会(2011)

兼題・「燈火親し」と「秋季雑詠」

亡き夫の部屋もひらきて今日の月  田鶴子

燈下親し隣となりの灯や親し  田鶴子

ふる里のあるしあわせや彼岸花  路子

ハーモニカ洩れくる秋の燈の親し  路子

酒を酌む寡黙の親子秋の宿  和牛

幼子の絵本楽しむ灯火親し  和牛

実紫こぼれてもなほ美しき  洋子

それぞれに燈火親しむ窓灯り  洋子

蕎麦の花石仏多き信州路  千代美

読みかへす母の手紙や秋灯下  千代美

境内に山羊も放たれ秋彼岸  伯水

ハイネよりゲーテを好み秋燈下  伯水

それぞれが机辺に寄りて長き夜を  汀子

晩学の俳句や燈下親しけれ  汀子


七月に逝去された句友「寂水」さんの「七七日法要」に妻と出席しました。
お寺での法会、納骨式に参加、そして卓袱料理屋の食事会にも招待されました。こういう会の始まりには、必ず「献杯」があり、故人と特に親しい人や社会的地位が高い人が挨拶をして静かに「献杯」と言って会が始まる。忘年会や新年会などで「乾杯」の音頭は何度もやったことがあるがこれはすべて私的なものである。しかし「献杯」はしたことがない。当たり前である。社会的地位は何もないし、富もないし、美しくもない。こんな私が指名されるわけがない。気楽な気持ちで会の始まりを待っていた。
すると後ろに人の気配がするや、耳元で「献杯をお願いします」と寂水さんの奥様がささやかれて、すーと戻られたではないか。「えー、えー、何で俺が」転瞬、頭が真っ白になりかけたが、そこはもうすぐ後期高齢者である。ゆっくりと立ち上がり「ただいま献杯のご指名を…」と何とか何かをしゃべって献杯まで行くことが出来た。
何を言ったかよく覚えていないのだが辛口評論家の妻が「不意打ちにしてはよくできた。落ち着いていて、声も震えていなかったし、あなたも成長をした」と妻から誉められた。しかし全く予測していなかっただけに寿命が数日縮まった気がした。
大学教授、医者、元看護学校の校長、元総婦長、私が辞めた会社の社長とか名のある人たちは多かったのに、なぜ奥様はあえて私を指名されたかを考えてみました。
発病されて二年四ヶ月間、寂水さんは私たちの句会へ一度も休まれずに投句をされました。そして私がメールした句会の成績を見て「特選に入ったよ、二点入った」と嬉しそうに話をしていたと、奥様からお聞きしました。臨終の言葉が「五、七、五……」であったように、残り少ない寿命を俳句で癒されていたのでしょう。だから人生終末の友であった私に「献杯」をと思われたのかも知れません。もっとこまめにメールをしていればよかったと胸が痛みます。ホスピスへも直ぐにお見舞いに行けばよかった。全く思いやりの心が足りなかったと悔やむこと頻りである。

会が終わり奥様から「主人の俳句を送って下さい」と頼まれました。「メールでも良いです」と言われたので点が入った句と今年に詠まれた俳句と、句会全員の弔句をメールで送りました。二日後奥様から「主人の俳句と皆様の弔句を読んでいると涙が止まりませんでした」とメールがありました。
通夜の時も、告別式の時も、七七忌もよどみなくご自分の言葉でしっかりと挨拶された奥様でした。
今はただただご冥福をお祈りするのみであります。
しかし男性の平均寿命を越えることができ、まれに見る賢夫人に恵まれた寂水さんは、幸せな一生だったのではと私は思いました。合掌。

彼岸花

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コスモス

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2011年8月27日 (土)

八月句会(2011)

兼題は「盆の月」でした。

盆の月夫の遺影を縁に置き 田鶴子

夜の秋や一間はいつも灯しゐて 田鶴子

若き日に逝きし母恋ふ盆の月 路子

逝く夏や老舗デパート閉店す 路子

十年後この子この孫盆の月 和牛

亡き人を思ふよすがや盆の月 和牛

盆用意在りし日の母偲びつつ 洋子

真菰舟胸に抱かれ送らるる 洋子

亡き人の話に更けて盆の月 千代美

大戦の思い出むなし盆の月 伯水

物忘れしてもせずとも茗荷汁 伯水

偲ぶ人偲ばるる人盆の月 汀子

残る蚊の耳元につきあぎとにも 汀子  あぎと(あご)

86歳の主催夫人が出席され会が引き締まりました。的確な批評に添削、63年の句歴は流石であり、山人などまだ遠く及ばぬことを思い知らされました。

2011年8月19日 (金)

雨の盂蘭盆

新盆やあきらめられぬ子を想ふ  増村 雅子

盂蘭盆に父似母似の子等集ふ  春原 幸子

七十年の人生でお盆の8月14日、15日に通り雨のよう雨が降ることがあっても、二日間断続的に激しい雨が降り続いたという記憶は全くない。毎日朝晩「般若心経」を唱えているし墓参りは止めようと思ったが妻がやっぱり行こうというので、14日雨の切れ目夕方6時過ぎ妻と娘と子の四人で行く。線香を上げたところでまた雨が降り出しすぐ引き上げる。例年だと盆燈籠が灯り花火が彩る賑やかなお墓もがらんとしていた。

15日は民謡『長崎ぶらぶら節』で 「長崎名物 紙蔦揚げ〈はたあげ〉盆祭り 秋はお諏訪のシャギリで 氏子がぶらぶら ぶらりぶらりと言うたもんだいちゅう」。と歌われる盆祭り「精霊流し」が行われるが、また朝から激しい雨が断続的に降る。
夕方六時頃雨が止んだので、三女一家三人とお墓に行く。そして帰京する次女の婿を空港まで見送りに行った長男と次女一家三人をお墓で待ち合わせする。辺りはまだ四五軒程残って花火をしている。7時すぎに花火を買って来た一行とお参りを済ます。既に雨がぽつぽつしていたが、ここで土砂降りとなる。もう花火の段ではない。残っていた人たちもさっさと引き上げる。残っているのは我一家のみ、止みそうもないので這う這うの体で引き上げる。途中であった精霊船もすべて停泊中であった。(8時過ぎ雨は小止みになり精霊流しは再開された)これは日本の政治の現状に神がお怒りになっているのかなと思った次第である。

長崎の各町内では精霊船を出す。これを催合船(もやいぶね・舳に町の名前がある)という。初盆で精霊船を出さないところは町内の精霊船に故人の写真や燈籠をかざり送り出してもらう。我が町内では担ぎ手も居ないしお金もないので、軽トラックの荷台に精霊船と同じ飾り付けをして精霊船の代行としている。車の前では花火を揚げ、また町内の各人が「志」を持って集まって来る。五百円から五千円ぐらい、初盆の所は1万から3万ぐらい。例年10万ぐらい集まる。会計の私がそのお金を預かるので15日の夜は現場にいなくてはならない。車の飾り付けに10万ぐらいかかるのでとんとんというところである。今年は初盆が多かったので18万ぐらい「志」があつまった。出発の午後9時には町内会長の挨拶があり、チャンコンと銅鑼が鳴り、車は警笛を鳴らし、50人ぐらいの人が見送る中で車は出発する。これでお盆は終わりとなる。

ふるさとは遠のくばかり盆の月  山本 瓜塔

子を生みに帰るふるさと盆の月  三輪 浅茅

8月句会の兼題は「盆の月」。今年の8月14日が陰暦の7月15日、満月を見上げながらの盂蘭盆だからさぞや名句が出来るものと大いに期待したのに、あいにくの無月である。未だに一句も出来ない。そして18日迄晴天の日がなくまるで梅雨の延長である。それで涼しければよいが気温は連日32度あるから蒸し暑い。東京の娘も暑い暑いとこぼしている。異常気象が異常でなくなってきた昨今、又何かが起こらねばよいがと思った次第であります。

14日、午後7時頃のお墓

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まだ百日紅が咲いていた

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2011年8月 9日 (火)

長崎原爆忌

9日、長崎は66回目の原爆忌を迎えた。

五十路越すケロイドの娘に原爆忌  宮田えき女

帰り来ぬ子の年数へ原爆忌  宮田えき女

「被爆者の平均年齢は77歳、父の知人だった宮田えき女さんも鬼籍には入られて久しい。」

死にゆくのみ西日の廊に溢れ臥し  下村ひろし

後書「特設救護病院にて。運ばれてくる被爆傷病者は病室だけでは収容できず、廊下に溢れた。而もそのまま事切れる人が多かった」

炎天の骸(むくろ)を運ぶ塵芥車  下村ひろし

後書「路上にまろぶ多くの焼死体を塵芥車が来て、恰(あたか)もごみを拾うように去ってゆく。その酸鼻を極めた情景は今でも目に焼きついている」

「爆心地から3.4キロ離れていた小学校の校庭でも毎日死体が焼かれ、ぼうぼうと燃えさかる炎を呆然と見つめていたことを今でも忘れることはない。」

(下村ひろし先生は長崎では著名な産婦人科医で父の知人であり、私の長女を取り上げていただきました。馬酔木の同人で著名な俳人でもあった方です。)

消えぬ怒り消えぬケロイド原爆忌  下村ひろし

年を取るごとに原爆に対する怒りが増してくる。広島、長崎への原爆投下は人体実験以外のなにものでもない。日本は加害者たる責任を逃れることは出来ないが、原爆投下はルール違反である。ウィキペディアのトルーマン大統領を検索すると、当時のアイゼンハワー元帥は「米国が世界で最初にそんなにも恐ろしく破壊的な新兵器を使用する国になるのを、私は見たくない」(1963年の回想録)と何度も激しく抗議していたとある。
米国大統領が広島、長崎に来て謝罪しないかぎり私の怒りも消えることはない。

今、私の願いはこのブログとメルマガ「俳句読本」でリンクしている『被爆者の声』のアクセスが百万を超えることにある。このブログをリンクしたときはまだ1万弱だったのに今や二十万二千を超える。百万は決して夢ではない。そして百万が達成できたら次は一千万である。まだ核廃絶の道は遠く険しいが『被爆者の声』のアクセスを増やすことは、道を広げる役割の一つと私は固く信じているのである。

「被爆者の声」
 http://www.geocities.jp/s20hibaku/

中島川夜市

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2011年8月 8日 (月)

きょうの俳句「秋立つ」

季題・秋立つ、立秋、秋来る、秋に入る、今朝の秋、今日の秋

きょう8日は、二十四節気 [陰暦で、太陽の黄道上の位置によって定めた季節区分。初期の陰暦では一年を二十四等分した平気(へいき)であったが、後に黄道を二十四等分した定気(ていき)を採用した。立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒/日本国語大辞典] の一つ「立秋」である。暦の上では今日から秋であるが、全国の62地点で猛暑日が観測されたという。

そよりともせいで秋立つ事かいの  上島鬼貫(おにつら・芭蕉とほぼ同時代の人)

まあこんな感じの秋の入りだったようである。

しかしこれからの夏真っ盛りという暑い日々の中に、秋の気配を感じ取るのが「俳人」と言われる所以なのに、「俳人」ではない小生はただ暑さにうだりごろごろしている毎日であります。あなたは「廃人」ではと言われぬように頑張りたいと思うのだが、我が余命幾ばくなりやと思うきょうこの頃である。

秋立つといふばかりでも足かろし  小林一茶

おのおのがたくれぐれも熱中症にお気を付け下さい。残暑お見舞い申し上げます。

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