9日、長崎は66回目の原爆忌を迎えた。
五十路越すケロイドの娘に原爆忌 宮田えき女
帰り来ぬ子の年数へ原爆忌 宮田えき女
「被爆者の平均年齢は77歳、父の知人だった宮田えき女さんも鬼籍には入られて久しい。」
死にゆくのみ西日の廊に溢れ臥し 下村ひろし
後書「特設救護病院にて。運ばれてくる被爆傷病者は病室だけでは収容できず、廊下に溢れた。而もそのまま事切れる人が多かった」
炎天の骸(むくろ)を運ぶ塵芥車 下村ひろし
後書「路上にまろぶ多くの焼死体を塵芥車が来て、恰(あたか)もごみを拾うように去ってゆく。その酸鼻を極めた情景は今でも目に焼きついている」
「爆心地から3.4キロ離れていた小学校の校庭でも毎日死体が焼かれ、ぼうぼうと燃えさかる炎を呆然と見つめていたことを今でも忘れることはない。」
(下村ひろし先生は長崎では著名な産婦人科医で父の知人であり、私の長女を取り上げていただきました。馬酔木の同人で著名な俳人でもあった方です。)
消えぬ怒り消えぬケロイド原爆忌 下村ひろし
年を取るごとに原爆に対する怒りが増してくる。広島、長崎への原爆投下は人体実験以外のなにものでもない。日本は加害者たる責任を逃れることは出来ないが、原爆投下はルール違反である。ウィキペディアのトルーマン大統領を検索すると、当時のアイゼンハワー元帥は「米国が世界で最初にそんなにも恐ろしく破壊的な新兵器を使用する国になるのを、私は見たくない」(1963年の回想録)と何度も激しく抗議していたとある。
米国大統領が広島、長崎に来て謝罪しないかぎり私の怒りも消えることはない。
今、私の願いはこのブログとメルマガ「俳句読本」でリンクしている『被爆者の声』のアクセスが百万を超えることにある。このブログをリンクしたときはまだ1万弱だったのに今や二十万二千を超える。百万は決して夢ではない。そして百万が達成できたら次は一千万である。まだ核廃絶の道は遠く険しいが『被爆者の声』のアクセスを増やすことは、道を広げる役割の一つと私は固く信じているのである。
「被爆者の声」
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中島川夜市
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